京都ではこれまで、数々の景観論争がおこなわれてきた。
 古くは、京都タワーの美観論争。それから、京都ホテルの高層建築論争。さらに、鴨川に架けるポンデザール橋のデザイン論争。最近では、巨大な京都駅建設のスケール論争などである。そのたびごとに、住民による反対運動がおこっている。
 さすがに、パリのセーヌ川に架かるポンデザール橋を、そのまま京都にもってこようとする乱暴な計画は中止となった。しかし、それ以外は商業資本に屈し、京都にふさわしからぬ建築が建てられたのであった。

 ところで、京都の景観を考えるうえでとても参考になるのは、各時代の京都の町の風景を屏風に描いた「洛中洛外図」である。中でも有名なのは、織田信長が上杉謙信に贈った狩野永徳筆とされるものであろう。
 その洛中洛外図を見ると、信長が上洛し京都の実権をにぎった16世紀中ごろの京都には、様々な種類、大きさの建築が建ち並んでいたようだ。屋根もいろいろで、瓦屋根もあれば、板葺、かや葺など多彩であった。きらびやかな家、そうでない家もそれぞれが個性的でありながら全体としてみごとに調和している。全ての建物に屋根がかかり、そしてその屋根や壁の仕上材が土や木などの自然素材であった。そのことも一体感をかもし出す大きな要因であったのではなかろうか。
 多様で変化に富んでいるが、全体として統一がとれている。風景、景観を考えるときに大切なポイントが洛中洛外図には秘められていると思う。
 京都市では、前回このコラムで紹介したように、建築の高さを下げたり、看板を見直すような新景観基準をつくった。これまでの乱開発にひとまずブレーキをかけた形となる。しかし、ほんとうに魅力的な美しい町を後世に伝えていくための正念場はこれからである。
 「どのような風景であれ、風景は魂の状態にほかならない」ジュネーブ生まれの思索者、アミエルの言葉である。
 京都の人たちは、どのような現代の洛中洛外図を描いていくのだろうか。その絵に魂を込めるのはこれからなのである。
 物語は今はじまったばかりである。

 建築家 野口政司
 
2008年3月22日(土曜日) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より

野口建築事務所
Noguchi Architect & Associates

物語のはじまり Ⅱ