about : コンピュータが発展した結果、コンピュータをOffにする

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コンピュータとネットワークが発展した結果、世の中はとても便利になりました。
つい先日も、デジカメを買う際にネットで値段を調べた上で買い物をして、お陰で
3000円ほどボラれずに済んだりもしました。ありがたい事です。
そんなプライベートな事だけでなく、ネットでの買い物や金融取引、各種料金の
支払いや手続き、ひいてはエンターテインメント等、家にいながら生活の殆どに
コンピュータが入り込み、便利になりました。

ひょっとするともう、仕事以外で外に出る必要は無くなって来るんじゃないか、
そんな気さえしてきます。
(本来は仕事も在宅で、と言いたいところですが、セキュリティ面から難しい)

とまあここまでは肯定的に書いてみたのですが、はたしてこれって人を真に
幸せにしているのか? と考えてみると微妙です。

本来こういったものは、別にコンピュータを通してやる "必要はない" ものです。
買い物も店に行けばできるし、お金の出し入れも銀行や機関に行けばできますし、
エンターテインメントは外に出れば体験できるはずです。
それらを実体験する事で、得られるものもあったりするはずです。
ですがこれらをネットワークを介してコンピュータ上で処理してしまうと、これら
実体験が、失われてしまいます。
本当は、店に行けば他にいいものがあったり、買う前に店員から色々情報を
聞き出したりできるかもしれないし、ひょっとするとよりよいものを薦められる
可能性もあります。そしてそこで生じるコミュニケーションは、ネットワーク
からは得難いものかも知れません。

ちょっとした買い物や出掛ける事が、地域のコミュニケーションを生成すると
したら、ネットやコンピュータはそういうものを奪っているのかも知れません。


人間の寿命は限られています。また、何かを実行するのに時間 0 という事は
あり得ません。何かを行う限り時間を消費し、そしてそこで有り得た可能性や
機会を喪失してゆきます。それが選択というものです。

何かをするのに、コンピュータを選ぶも実体験を選ぶもそれはその人の自由。
ただ、得られる結果は必ずしも同一・等価・同質ではありません。


コンピュータの電源を落として外に出るのも悪くない選択だと、私は思います。
少なくともコンピュータがなくても、人は何千年も生きてこれたんだし。

そうしないと得られない物が、世の中には多すぎる。
−以上−

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