about : すごいストール
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最近気になるキーワードはこれだ。
「すごい」
TV でもいい、誰でも良い。話を注意深く
聞いていると、良く出くわすのが、
「すごい」といったあとに詰まってしまう
シチュエーションだ。なんか、すごく…
と言った後、後に言葉が続かず別の方向に
行ってしまったりして、結局その「すごい」が
何にかかるのか、すなわち何を強調したいのかが
分らず終いになってしまう場合が多のだ。
「すごい」には主に 2通りの使い方がある。
1.後に続く述語を強調する(副詞)。
→私の彼氏のチンポはすごく大きい。
2.述語として用いられ、主語が通常より超越
した、優れている、という表現に用いる。
→私の彼氏のチンポはすごい。
上記のケースで用いられている「すごい」は
1. の用法であると考えられる。しかし、強調
すべき語があやふやになってしまうとき、その
「すごい」は全く意味をなさない。つまりその
センテンスはナンセンスである。
ではこのような表現が現れるのはなぜだろう?
答えとして考えられるのは、
1) 語彙の衰弱、未発達
2) 感情表現の不慣れ
というあたりだろうか。僕がこの表現から
受ける印象はこうだ。あることから何かを
感じ取ったのだが、その表現ができない。
またはそれが何なのか、なんという感情
なのか、が分らない。ということだ。
それがすばらしい、すごいということは
分る、しかし、それをどう表現するかという
工程で停止してしまうのだ。それゆえ、
「すごい」の後が続かないのだ。
普段からの感情の表現が少ないのか、もともと
言葉を知らないのか、はたまた感情、感受性が
希薄で、普段感情を意識することがないのか。
そういったところだろう。
また 1つ、違う解釈もある。普段は違う語で
「すごい」が置き換えられているという可能性だ。
「超」はそれに当たらないだろうか。もしかしたら
すごいという言葉そのものをあまり用いないがため、
すごいに対して違和感を感じるのかもしれない。
また、言葉には連鎖性がある、というか連想記憶で
取り出されることがある。よく、反射で喋っていたり
することがあるだろう。この連想記憶のテーブルに
まず、すごいが無い。かつそれに続く言葉が
なければ、この「すごいストール」の説明がつくかも
しれない。
この「すごいストール」は客観的に見て格好
悪いので、僕は気をつけるようにしている。
これは好みの問題だけどね。
−以上−
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