昔ギリシャのイカロスはこの歌に、今日は焦点をあてて論じたい。なぜならこの歌は |
実験的マゾの歌 |
である可能性が高いからだ。それは何故か? それを考える前に、まずは背景情報をまとめておこう。 イカロスとはギリシャ神話に出てくる人物で、 鳥の羽を蝋で固めた翼で地下迷宮から脱出しようとした。 しかし飛ぶ事に夢中になるあまり天高くに昇り、 蝋の翼が解けて墜落してしまう。 次にサドとは、マルキドサド、サド公爵、フランス革命前後の 作家で、ソドムの120日の著者である。このソドムの異常性欲から サディズムという言葉が生まれた。 サディズムとは加虐性愛とも言い、一般的には(?)征服欲や 攻撃欲という様に受け取られているようです。 これに対しマゾとはマゾッホという作家に由来している。 第一次世界大戦前後のオーストリアの作家で、毛皮を着た ビーナスの著者である。作中の登場人物、クジエムスキーの 異常性欲からマゾヒズムという言葉が生まれた。 マゾヒズムとは被虐性愛とも言い、サディズムが内向きに 働いた状態であり、サディストとの同化となるようです。 つまり虐げられる事で虐げたのと同様の満足を得る、と。 さて、ここで本題、イカロスの歌は実験的マゾの歌か? に入るのですが、まあ難しいネタを散々振った後で何ですが、 ぶっちゃけ蝋で鳥の翼をつけた時にものごっつ熱くて、でも それがあまりにも良くて雲より高く上り詰める様な気持ちに なったが、刺激が強すぎて命を失うに至った、という解釈な訳です。 なぜ実験的か、私は次のように考えた。
日々研究・開発し、並行してガイドラインの策定を行っていた事が 容易に想像できる。そしてこれら性欲の普及と発展のため、 日々啓蒙活動やデモンストレーションも行っていたに違いない。 それらから、この行為が誕生した。 |
蝋の翼で心も体も fly high |
しかしギリシャ時代には医学が十分に発達していなかったため 蝋は熱容量が大きそうなのでそんな特大の蝋の翼なんかつけたら そりゃ大火傷するワイ、という様な判断はできなかったのだろう。 また同様に、大火傷や大打撲でも命を落とす事もあったのだろう。 まったく、生まれる時代を間違えたとしか言いようがない。 惨事であり、悲劇である。 ちなみに歌は次の様に続く。 だけど僕らはイカロスの私はこの下りには懐疑的である。 無謀な行為で命を落とす、そんな勇気は持って欲しくはない。 イカロスの時代には、不幸にも命を落とすかどうかの判断が できなかったが、今の科学・医学であればそのような判断は容易 であろう。むしろ、イカロスの惨事を反面教師として受け入れる べきなのである。命を賭して該当性欲の可能性と普及を追及した イカロスへの、それがせめてもの餞になるのではないだろうか、 と私は思う。 つまり、鉄の勇気をうけついではいけないよ、というコトです。 つまり、夢中になってやりすぎると危ないよ、というコトです。 つまり、書いてて疲れたので今日はこの辺で、というヤツです。 つまり、調べてて疲れたので今日はこの辺で、というヤツです。 ※IRON MAIDEN の Live After Death を聴いてさえいなければ… |
−以上− |