about : possibility

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 生きてる事って、可能性だと思うんだよね。
例えば、全ての事象が独立で、その選択肢が 2つだけだったとする。
そしてその人の人生において、選択すべき事象が n 個あったとする。
この場合、その人が実現できる結果の組み合わせは 2^n 通りある。
例えば事象が 1日に一回だったとして、ある人が 80年生きたとしたら、
2^(365 * 80) = 1.19 * 10^8790 の組み合わせがある事になる。
人は、それだけの可能性を持っている、とも言える。

 この世界にはどれくらい人がいるかというと、現在 6,367,509,155人
だそうだ。64億人弱。
これだけの人達それぞれに上記の可能性が存在するのかと思うと、
世界が実現しうる未来の形は 64 * 10^10 * 1.19 * 10^8790 = …
もう書くのが面倒くさいので割愛。ともかくすごい可能性があるって事。

 また、今っていうのは、現在存在している人だけで実現されたのではない。
例えば私という人は私の父と母、父方の祖父と祖母、母方の祖父と祖母、
例えば 30代くらい遡ると、2^30 の組み合わせがある。

 そして現在の私の存在は、ただ父と母だけが要因という訳ではない。
生まれてこの方関わってきた全ての人、全ての時、全ての確率、その他
環境要因も含まれる。袖刷り合うも他生の縁というのに近いようだが、
大なり小なり他人様より影響を受けているのだ。

 そしてそれは私だけではなく、私の祖先達もそうであったはず。
その生きた時代において存在している人達は互いに影響し合い、そして
それが後世に伝播している。

 その伝播の中で、もし 1人でも欠けていたらどうなっていただろうか。
はたして現在の世界は現在の状態になり得ただろうか。多分、なり得ない。
ある 1人が欠ける事は、それ以降の全ての子孫の欠落を意味する。
系統樹そのものが断ち切られてしまう。もしかしたら、その子孫の中から
面白い人間が現れて、私を笑わせ、私に感銘を与え、私をお笑い芸人に
成らしめたかもしれないのに、その可能性が絶たれてしまうかもしれない
と考えると、気も狂わんばかりだ。

 多分数世代も遡れば、殆どの生は、互いに影響しあっているものと思う。

 存在は、影響し合う。

 だから、私は命を奪う事にとても臆病なんだよね。
1つの命を殺す事は、現在においてはただ 1つの命でも、未来を考えれば
きっと無限の命を殺す事と同じなんだ。

 だから、むやみやたらに命を奪ってはいけない。
 生あるものは、互いの生を尊重しなければならない。

 私は、時として殴り合いを肯定する。
 しかし殺人まではよほどの理由がない限り肯定できないだろう。
 殺すことなく事象を解決できないか、可能な限りの検討が必要だ。
−以上−

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