私には好きな花がある。
冬が過ぎて春が来ようとしている頃、空気に暖かさと柔らかさが感じられるようになると、この花が咲く。青くて小さい花。名前は知らない。知らなくて良い。ただその花が咲けば、春が来たことを感じられる。
私は春に生まれたからか、春が一番好きだ。つまり、春一番だ。いや、そうじゃない。
子供の頃、私は埼玉のとある所に住んでいた。そこは東京に隣接していながらまったくの片田舎、道路はたいてい片方向 1車線、越してきた当時はジャリ道もあったりした。家の周りは田畑に囲まれていて、春になれば蝶が羽を広げ、夏になれば蝉が鳴き、秋になれば蜻蛉が飛び交い、そして冬は何も居ない、そんな所。だから子供の頃は金など使わず、もっぱら網を持って虫を追いかけて遊んでいた。それだけに、冬は嫌いだった。何もいないからだ。唯一雪が降れば、それが遊びのタネになったくらいか。
だから、春が好きだった。何も居ない季節が終わり、何かが居る季節が始まるからだ。
始まりの季節。
そして、その到来を告げるのは、私にとっては桜ではなく、この花だった。家の脇に流れている用水の両脇に、今くらいの頃に青い小さい花を付ける。子供の頃は今ほど感受性もなかったし、花を愛でるなんて気持ちはなかった。でも、この花が咲くと、嬉しかった。
今住んでいるところは土が露出しているところなど殆ど無く、生活の中に季節を感じる事はできないから、この花は、ずっと見ていなかった。それが先日、自転車でてきとーに流していたら、付近を流れる川沿いの、土手一面を青く彩っている、この花を見つけた。季節は丁度、この花が咲く季節、春が近付いている頃だった。
今でも気持ちは変わらない。虫など追いかけることも無くなったし、金を掛ければ何時でもどこでも遊ぶ事が出来る。でも、この花が咲くのはやはり嬉しい。何故かは分らないが、嬉しいものは嬉しいんだからしようがないじゃないか。
そしてこの花が咲くと、何かが始まる様な予感−ないし期待−がする。そして、いろいろやりたくなる。
やはり私は、この花が好きだ。
名を、"オオイヌノフグリ"という。