[ 2003-12-28 自分のヘビーメタル好きについて考える ]

私はヘビーメタルが好きだ。マニア・ヲタと言われようと、ヘビメタなどと下げすさまれ不本意なレッテルを貼られようと、マイナーと迫害されようと、好きなバンドの名前を認知されていなくても、カラオケ行っても歌う歌がなくっても、英語の歌をうっかり歌って場をしらけさせてしまっても、それでも私はヘビーメタルが大好きだ。

しかしそれは何故か? どうしてそこまで音楽にこだわるのか? それには、自分がどんな音楽をどのように聴いてきたかを思い出してみないと分らないかもしれない。だから、思い出してみよう。

考えてみれば、子供の頃の私は音楽などまったく興味がなかった。音楽の授業は退屈だったし、身の回りにある音楽といったら適当な歌手が適当に歌う流行の歌だけだった。それらは消費され、新しい音楽が供給されるだけだった。そんなものには、興味が持てなかった。

そんな私が音楽を聴き始めたきっかけは、強制力だった。中学 2年の夏休み、名曲を 5曲聴いて感想文を書いて来いという宿題。当時オーディオ設備もロクに持っていなかった私には、なかなか厳しい宿題だった。しかたなくレイディオでエアチェックし、名曲といわれる曲を録音しては聴いてみた。いくつか聴いた中で、バロックのオルガンが、よく心に響いた。荘厳で装飾過多で、音楽センスのない私にも分りやすかった。そこから、少しづつ音楽に触れるようになった。

そして偶然中学 2年当時、洋楽ポップスブームがやって来ていた。マイケル容疑者、マドンナなどが台頭し、生意気なガキ供はこぞってそれらの音楽を聴いた。私も聴いた。私は WHAM (日本名: どっかーん!) を良く好んだ。maxell の磁気テープの宣伝に使われた freedom (日本名: 自由!) をこよなく愛した。日に 10回は聴いた。今思えば貧しい音楽経験ではあったが、これが私が外国の音楽に自発的に触れた最初のものだった。

最初こそポップスを聴いていた私ではあるが、そのうち微妙に音楽の好みが変わってくる。アップテンポで激しい音を好むようになった。これには、私の心拍数が普通の人より多い事、若干血の気が多かった事が挙げられると思う。そうこうしている内に、私は BON JOVI (愛称: ボンちゃん) と出会う。その頃ボンちゃんは 7800°FAHRENHEIT を出したばかりで、まだビッグネームではなくて、アメリカ本国よりもむしろ日本での人気の方が高かった。そしてそれは曲を聴けば分る。妙に甘ったるいバラード、若さがにじみ出るような青臭いロック、まさに日本人が好みアメリカ人が敬遠しそうな曲ばかりだ。そして日本人であり幼かった私は、単純にその曲にのめり込んだ。SHE DON'T KNOW ME を聴いてはまだ芽生えもせぬ恋愛感情を擬似的に味わってみたり、ONLY LONELY を聴いてはそのドラマティックな曲調に酔ったものだ。しかし彼等は数年後、You give love a bad name, livin' on a prayer 等の名曲を排出し、メジャーに乗る。そしてそれを期に、私はその音楽から離れていった (といっても、バンドで演奏する機会は多かったが)。

私は機会と時代に恵まれていた。ボンちゃんに触れて以降にも、いい音楽のムーヴメントに出会っていった。であった順に書いていくと、LOUDNESS に代表されるジャパニーズメタル、IRON MAIDEN 等の NWOBHM、そして METALLICA に代表される THRASH METAL、HELLOWEEN に代表される POWER/MELODIC METAL。どれもが斬新で、アイディアと演奏力に満ちていて、どれもが力強く、個性的で、なにより激しかった。

そして中学 3年の時、モトと出会い、ヤツから色々な事を教わった。上記の METALLICA を教えてくれたのもギター教えてくれたのもヤツだった。そして、最初にバンドに参加したのもやはりモトの居るバンドだった。最初にプレイしたのは ACES HIGH/IRON MAIDEN。私はドラムを担当した。まだドラム初心者だった私には少々荷が重かったが、ともかく音に合わせて叩けるだけ叩いた。今思えば自分のプレイはあまりにも稚拙だったが、その時の一体感・高揚感は今でも忘れられない。音楽は聴くためだけのものではなく、自分でプレイするものでもあるとその時知った。しかし残念な事にこのバンドへの参加はほんの数回で終わり、その後モトとも疎遠になってしまった。高校への進学が理由だった。でも、モトは今でも私にとって心の師匠だし、教えられた事は今もなお生きている。

高校では自分のみが頼りだった。音楽を一緒にやる仲間こそいたが、私を指導してくれるような人はいなかったし、ある種の競い合いができる様な相手もいなかった。特に良いギタリストとの出会いがなく、自らドラムを叩きギターを弾くしかなかった状況に私は身悶えし続けた。自分が 5人くらいいればいいのに、当時はずっとそんな事を考えていたものだ。さらに、私の好きな音楽が一般に受け入れられ難いという事を思い知らされもした。私の好きなバンドたちを語るのに、私は常に次の様な表現をとる事を強いられた。"アメリカにはヘビーメタルのジャンルの中にスラッシュメタルっていうカテゴリがあってね、その中で最高なのがこのメタリカってバンドなんだよ"。かたや、暴威とか青心とか、その辺はまだ許せる、当時はおにゃん濃くラブ (意図しないで美味しい変換したので晒しておく) とかを聴いている風情ばかり。理解されるどころかむしろ嫌悪さえ向けられた。人は、"知っている" == "好き" と勘違いする生き物であり、逆説的に "知らない" == "嫌い" とも勘違いする生き物なのだ。だから、私もそういうありふれた音楽を聴いている風情を嫌悪した。もともとそういう音楽が嫌いだったという事もあるし、嫌悪を向けられた事もあるし、私の聴く音楽にもそういうものを嫌悪する要素があったからだ。私はそういった音楽をつまらない物だとレッテルを張り、嫌悪した。

しかしそういった考えから離れる機会が訪れた。それをもたらしたのは ISOLATION/TOTO だった。それに気付いたのは 1990年、もう大学生になっていた頃、偶然旅先で聴いた "ISOLATION" に耳を奪われた。ヴォーカルは声量のあるハイトーン、若干ノイズの入った味のある声。ギターはスティーブ・ルカサー、ドラムはジェフ・ポーカロ、どちらも稀代の名手だった。私はドラマーであるだけに、特にジェフ・ポーカロのドラミングに聴き入った。シンプルなパターンだが、何というか緊張感がある不思議なドラムだった。いうなればタキシードでも着ながら叩いている様な。ちょっとでもリズムを外したら叱られそうな。曲は哀愁とエモーションに満ちていた。哀れな男の悲しい感情がこの緊張感の中に表現され、それが切ないほどに伝わってきた。その緊張感は、その男の張り詰めた琴線を表現しているかの様に感じた。私が聴かない激しくない音楽にも、こういった素晴らしい要素があるのかと魅了された。そこでまた、音楽の幅が広がった様に思う。そして、卑下していた普通の音楽にも目を向けるようになった。

上述のような事もあり、大学での音楽生活はなかなか豊かなものだった。link している某マンガ家を通して、色々な人と出会い、話をし、音楽を聴き、ああだこうだと言い合い、そしてバンドを組んだ。某マンガ家はなかなかのギターの弾き手だったし、音楽の趣味も合ったので、このバンド活動は 3年にも及んだ。私達は毎年学祭でプレイした。ANTHRAXGUNS 'N' ROSESMETALLICASKID ROWVAN HALENW.A.S.P.、そしてまたあの曲、ACES HIGH/IRON MAIDEN をプレイする事もできた。しかもギターでだ。このバンドでは自分がやれる範囲一杯でいろんな事ができたし、何より好きな曲をプレイする事ができたのが嬉しかった。人に合わせるのではなく、自分の好きな事をやれるという事は、単純に嬉しい。そしてそれを仲間と共有できるという事も嬉しいものだ。

その後、私は大学を卒業・就職。それに合わせて私の音楽人生は堕落する。カラオケの付き合いの為に、好きでもない日本の売れ線の音楽を聴き、それを自分に好きだと錯覚させ聴き続けたためだ。今にして思えば、何が 杖 (WANDS) か、何が 子供さん (Mr.CHILDREN) か、何が灰色 (GLAY) かと思う。しかし、面白さを優先するために私は聴いた。音楽を裏切った。

そんな折、私は 1枚のアルバムと出会う。それは、BURRN! の年間ベストアルバムに選ばれていたものだった。"METROPOLIS PT2: SCENES FROM A MEMORY/DREAM THEATER" だった。これには、私が今まで音楽に求めていたものの全てがあった。激しさ、アップテンポ、複雑さ、感情表現、そして卓越した演奏力。全てにおいて、完全だった。それに気付くと、まがい物の音楽、退屈な音楽を捨て、嘘の音楽、安全な音楽を捨てた。REGRESSION の歌詞を読み、OVERTURE 1928 を聴きながら、会社に入って以来打ち捨てられていた Pearl のスティックを握った。以降、曲に合わせて叩いた。自分のために叩いた。全てを叩き終えると、また聴いた。また聴いては、叩いた。今までのどの曲よりもよかった。それまでに聴いて叩いてきた音楽の中で最高だった。

今の時点で思い返してみると、私は不幸にも音楽に真面目に向き合う機会が多かった。本来音楽は "楽" しむものなのだが、深考する性格が災いしてか、必要以上に固執していたかもしれない。でもその結果、私は音楽を本気で好きになった。特にずっと私を支え・奮い立たせてきたヘビーメタルを好きになった。これはただ単に音面 (おとずら) が面白いとか歌詞が何となくいいとかそんないいかげんものではなく、一朝一夕に形成されたものではなく、感動とか嫌悪とか挫折とか絶望とかがあって、それらを越えた先に見出した答えであって、単なるエリアスとかではなく、実体験を伴ったものなのだ。だから、SHAWSHANK でアンディーが言った次の言葉が私には真実だと思える。

音楽は決して人から奪えない

それ位に、私は音楽が好きだし、特にヘビーメタルが大好きだ。

-以上-



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