歎異抄に聞く

第12回

いわき市社会福祉センターで行われた歎異抄に聞く会の講義録を掲載いたします
        第4章について 


   歎異抄第4章

 慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏となりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。今生に、いかに、いとおし不便とおもうとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々



    《 慈悲ということ 》
  今回から第4章に入ります。1章から3章までを安心訓といい、4章から10章をを起行訓というように分類してみる読みかたがあります。安心とは、信心のことで、1から3章は信心そのものを中心テーマとしてとりあげ、4章からは起行、つまり生活のことを課題として述べられているというのです。生活といいましても、生活一般ではもちろんなく、念仏によって開かれる生活についてであります。ここでも、その読み方を支持したいと思います。
 4章では、慈悲が取り上げられています。生活の上で、もっとも基本的課題であります他者との関わりについて、それも他者に手を差し伸べ、助けようとする慈悲の実践を通して念仏の教えを明らかにしようとしているといえます。
 ところで、慈悲というと、どのように捉えておられるでしょうか。慈悲をかけることより、かけられることを思い浮かべられるのではないでしょうか。この私を遙かに超えた偉大な存在が私にかけて下さる大きな愛情というイメージでしょうか。この私のことを常に気に掛けてくださり、いつも私を見まもってくださっているという。
 ここでサンスクリット語にかえして、慈悲をたずねてみますと、慈は、「ミトラ」といい、あの弥勒菩薩と言葉の上からは近い意味で、友、友人をあらわしています。そして、悲は「カルナー」といい、呻きと訳すことが出来ます。つまり、他人の苦しみ、呻きをあたかも友人の痛みとして聞き取るということです。

 我々の関心は、自分のこと、自分の家族のこと、自分の友達のこと、地域のことなど、自分自身と深く関係することにしかはたらかないといえるのではないでしょうか。そんな私に、自分とは直接関係のない他者が、あたかも友人であるように見出されるということを意味します。関わりの希薄な人を友のように見ることが出来たということは、それは、仏の慈悲が私の上にひらかれたということなのでしょう。
 たとえば、アフガニスタンで家族を失い路頭に迷う子どもがテレビ画面に映し出されると胸が痛みます。見ず知らずの人の悲惨な人生に涙する事があります。そういうかたちで慈悲は私たちの上に展開されるのでしょう。私たちは、他人の痛みや苦しみに無関心ではいられない。他人の苦しみ、痛み、悩みに同苦するものを皆が抱えているといえます。しかし、その同苦する思いは長続きはせず、一過性のものとして忘れ去られ、日常意識の中に引き戻されるのが、また私たちの偽らざる姿でもあります。確かに同苦する感情は、私たちのうちには存在するのですが、それを上回る自己関心を中心にしての日常意識が私たちを支配しているからです。


    《 耳目開明 》
  私たちは、申しましたように、自分に関係のあること、興味のあることにしかあまり関心を持ちませんし、持ったとしてもあまり長続きしないという傾向があります。そういう私たちの在り方を「心塞意閉」と、経典では指摘しています。こころを塞ぎ、思いを閉ざし、自我意識の殻の中に閉塞しているというのです。そこでは、自己関心のみを頼りとし、自分だけの大変狭い世界を生きることにならざるを得ません。
 念仏の教えを生きるというのは、そういう狭い世界から解き放たれ、自己関心が破られて、他者に対して「耳目」が開かれる。他者に耳を傾け、まなざしを向けるものとなる。耳目開明であります。他者が課題となり、それまで見過ごしてきた他者に立ち止まり、他者を大事な存在として発見するものとなる。
 なぜなら、念仏とは、「あらゆる人々と共に、生まれたことを真に喜べるものであれ」との、阿弥陀仏からのメッセージであり、そのメッセージに聞き続けることが、念仏の教えを生きる者となるということに他ならないからです。
 慈悲は、本来仏のはたらきというか、仏の仕事に属するものでしょうが、仏のものである慈悲が、私の課題となり、仏の仕事の一分をはからずも担うものとなる。それこそが念仏によって開かれた生活といえるのでしょう。
 その念仏を生きる者にとって、他者を助けることが何処で成立するのか。この4章のテーマであります。


    《 聖道の慈悲 》
  念仏者にとっての他者救済を明らかにしようとして、まず、その手がかりとして、聖道の慈悲を取り上げます。
 聖道というのは、聖が歩む仏道であります。聖とは、捨家棄欲ということです。家族や縁者を捨て、欲望を克服しての歩みで、出家のことです。
 ところで、住職である私は出家でしょうか、在家でしょうか、とお尋ねするとどのようにお答えになりますか。僧侶だから出家だろう。家族がいるのだから在家だろう。そうです、もちろん申すまでもなく、在家です。結婚して、子供をもうけ、家庭をもっているわけですから。家族をもち、家に住まいするということは、衣食住を維持し、子どもを育てるということですから、経済活動のただ中に身を置くということであり、欲望のなかを生きるわけです。欲望の中にありながら、仏道を歩むということは本来成立しないのではないかとお考えの方も多いかと思いますが、法然上人・親鸞聖人は、たとえ欲望を棄てられなくても歩むことの出来る仏道があることを明らかにして下さいました。それが、念仏の仏道です。欲望を棄てられないものが歩むことの出来る仏道が立てられることによって、全ての人が歩むことの出来る仏道がそこに成立したわけです。
 一方、聖の道は、家を離れ欲望を棄てることを前提としているわけですから、歩める人は自ずと限定されます。多くの人は、聖道の仏道を歩む行者の信者として、直接仏道を歩むものとしてではなく、仏道の周辺に位置付けられる傍観者とならざるを得ないということになります。仏道に対する了解は、多くがこのようなものではないでしょうか。そういうなかで、全ての人が直接仏道に参加することの出来るものとして、念仏の仏道が示されたわけです。
 欲望を棄てることを前提とする聖にとって、他者を救済するということは、自らを犠牲にしてまでも他者を救おうとする関わり方さえ求められるかと思います。しかし、ここにあるように、たとえ自らを犠牲にしても思うように助けることが出来きないということがあります。あるいは、自らをどこまで犠牲にできるのかということも問題であります。はたして、人間が人間を助け遂げることが可能なのか。結局、人間には出来ることしか出来ないのではないか。ここに、人が人を貫徹して助け救うことは不可能ではないかと思い至らざるを得ません。
 とはいえ、他者を放って置けず、なんとかせずにはおれません。ここに、聖道の慈悲から浄土の慈悲への「かわりめ」転換が果たされる契機があります。


 《 たすけるものから共にたすけられるものへ 》
  最澄が比叡山を開かれるにあたって、どのような人をここで生み出したいかということを『山家学生式』に記されています。最もよく知られているのが、「一隅を照らす」ものとなれということではないでしょうか。たとえ、不本意ながら社会の片隅に居たとしても、そこにあって他の人を照らす光となるような人物であれということでしょうか。
 大変立派なことであると思いますが、真宗の教えからは、一隅にあって照らされるものであれという表現になるように思います。発光体となって他を照らすより、被照体として教えに照らされ、他の人に照らされるものとして歩む。被照体としての歩みというのは、教えを説いて伝えることは出来なくても、一番先頭に立って教えを聞くことなら出来ます。照らされる人生は、ゆたかで幅広い世界を開いてきます。また、照らされる歩みが、自ずと他の人を照らしていくのでしょう。
 慈悲ということにおいても、たすけようたすけようとすることから、たすけられるものとして、自身と他者を見出すという転換がここですすめられています。歎異抄本文では、「念仏していそぎ仏となりて大慈大悲心をもって思うが如く衆生を利益する」とあります。いそぎ仏になるというのは、私が仏になってそれから、ということではなく、たすけることが出来うるのは仏のみであるということを明確に私たちに知らせる言葉ではないでしょうか。私たちにおいては、自らが念仏申すものとなり、浄土往生を願うものとなること。つまり、仏に救われるものとして確信が持てるものとなることこそが、同時に、他者にとっても救いとなるということです。なぜなら、ここに救われることの出来る証があるのですから。自らが念仏申すものとなることが、真に救いを必要としている人にとって大きな救いとなる。それを、浄土の慈悲というのでしょう。


                                                (つづく)