宗政報告No.15(2005年10月18日)
この度の宗議会議員選挙にあたりましては、多くの皆さんのご支持をたまわり、再度、選出いただきました。身にあまる重責ではありますが、皆さんのお智慧とご助言をいただきながら歩んでまいりたいと思っています。今後4年間、なにとぞ皆さんの厚いご支援をお願い致します。 投票による選挙 全国13教区で実施 女性議員2名誕生 宗議会議員の任期満了に伴う選挙が、先月17日行われ、30教区のうち、13教区で投票による選挙が実施されました。前回の選挙では、4教区だけでしたから、真宗興法議員団が事実上の内部分裂をきたしたための不安定要素を抱えた中で、宗政に対して無関心ではいられない情況となったことが多くの選挙区で投票になった要因ではないかと思われます。ただ、13という数が多いといえるかどうかの問題はありますが。 ところで、今回の選挙の最大の注目点は、なんと言っても女性議員が2名誕生したことです。これは、不十分ながらも選挙制度が変えられたことによるといえます。しかも、お二人とも、投票による選挙に当選しての議員であることも大きな意義があります。 ここに、住職でない女性が議員になったことには、次の2点で大きな意義があります。まず、宗議会に女性の視点と感性が取り入れらることにより、男性主導で展開されてきた宗政に幅と深みが加えられる可能性が開かれたということであり、次に、宗門の最高議決機関である宗議会に住職でない教師が入ることにより、住職のみで構成されている教区会、組会が変革されざるを得なくなったのではないかと思われることです。 投票となった13教区の選挙結果 投票となった13教区の選挙結果は、次の通りです。なお、氏名の敬称を略します。 ・奥羽 教区 藤野 護 本間義悦 当127 次127 注:得票数同数のためクジにより藤野氏当選 有権者数300.投票総数256.無効2 ・仙台 教区 藤内和光 東館祐宗 当123 次 36 有権者数217.投票総数160.無効1 ・東京 教区 藤森教念 柴田達也 旦保立子 井上恵二 当235 当166 当147 次114 有権者数997.投票総数671.無効9 ・高田 教区 藤島 恵 竹田恵示 居多徳恵 当162 当152 次118 有権者数559.投票総数432.無効0 ・小松 教区 能邨英士 翫 正敏 当133 次 25 有権者数212.投票総数163.無効5 ・大聖寺教区 但馬 弘 伊勢谷功 当 47 次 32 有権者数 93. 投票総数 80.無効1 ・岐阜 教区 篠田 穣 和田正之 川出昭順 当200 当134 次116 有権者数537.投票総数452.無効2 ・名古屋教区 木全和博 勅使 忍 栗原 堯 松本好行 河野授典 伊藤孝道 当277 当267 当231 当190 当180 次143 有権者数1530.投票総数1295.無効7 ・長浜 教区 東野文恵 秦 信映 明石祐暁 当219 当202 次 82 有権者数630.投票総数505.無効2 ・京都 教区 高木文善 大橋秀暢 椋田知雄 赤松範昭 小松英雄 当232 当178 当167 当154 次 70 有権者数1246.投票総数806.無効5 ・大坂 教区 本多一壽 林 治 近松譽一 深田英雄 清 史彦 当241 当234 当202 当179 次173 有権者数1267.投票総数1029.無効0 ・山陽 教区 玉光順正 望月慶子 五百井均 当176 当146 次145 有権者数524.投票総数473.無効6 ・日豊 教区 村上大純 長久寺徳瑞 長谷川法雄 当197 当137 次109 有権者数611.投票総数446.無効3 ※太字は、トップ当選となったグループ恒沙を含む野党の議員と女性議員。残念ながら、 女性議員はグループ恒沙ではありません。 正副議長を真宗興法議員団が独占 この13・14の両日に、この度の選挙後最初の臨時宗会が開催され、宗務総長選出が主案件でありました。総長選挙に先立ち、宗議会の議長・副議長の選挙が行われ、次のような結果になりました。 議 長 選 挙 調 紀 氏 39 票 白 票 22 票 副議長 選 挙 黒川紘紀氏 40 票 釈氏政昭氏 20 票 白 票 1票 今回の正副議長選挙について、少し解説を加えますと、選挙に先立つ代表者会議で、副議長のポストは野党第一党のグループ恒沙から選出するということが了解されていました。 そこで我々としては、A氏を副議長候補として擁立することを決めたわけです。ところが、与党・真宗興法議員団はA氏では受け入れられないと、拒否してきました。真宗興法議員団のおメガネに適うものでなければ、副議長候補にはなれないということのようです。 これでは、真宗大谷派の宗議会の副議長なのか、「真宗興法議員団の副議長」なのか、どうも、そこがはっきりしていないのではないかと思うほど、議会を真宗興法議員団は私物視しているということです。議会の副議長候補を擁立するのに、なぜ、真宗興法議員団の了解が必要なのか。宗門の議会であって、「真宗興法議員団の議会」ではないのであります。 百歩譲って、もし、真宗大谷派の議会の副議長としてA氏が不適格というなら、その理由を明確に示してもらいたいと申し入れたのですが、理由を開陳することなく、B氏なら受け入れられると、A氏にもB氏にも大変失礼な提案をして参りました。A氏擁立を決めた我々としては、明確な理由なしにA氏に辞退を勧めるような非礼なことができるわけがなく、まして、それならとB氏に乗り換えられるはずもありません。A氏を受け入れられない理由を聞くことなしに、B氏擁立を検討することなど論外のことです。 A氏拒否の理由開示をどこまでも求めていたら、「そんなことばかり言っているなら、副議長も真宗興法議員団から出す」と、恫喝としか受け取れないような対応をしてまいりました。副議長の職に就くということは、野党としては、議会運営上からも、また内部情報を得る上からも、大変魅力的であることには違いありません。しかし、結局、真宗興法議員団はA氏を拒否する理由も明らかにせず、交渉は決裂。真宗興法議員団は黒川氏を擁立して、数にものをいわせて副議長も真宗興法議員団からだすという愚行に出たわけです。 衆議院では、三分の二を上回わる議席を小泉与党が獲得しましたが、副議長は民主党の横路氏が勤めています。これが、議会制をひくうえでの、守るべきルールなのでしょう。ところで、副議長ポストはグループ恒沙からという約束は、真宗興法議員団にとっては、「本来二つとも真宗興法議員団がもらうところだが、お情けで副議長を分けてあげよう、ついては人選は我々のメガネに適ったものでなければだめだぞ」という内容であったようです。 そして、実際そのようになりました。これは、議席占有率が5割半ばという、過半数をわずかに越える議員しか擁していない真宗興法議員団の議会全体に対する配慮を欠いた独りよがりそのものです。この横暴さは、実は、今に始まったことではなく、真宗興法議員団の常套的政治手法そのものであり、しかも彼らは至ってそれを当然のことのように解していると思われます。たぶん今回のことも、グループ恒沙がどこまでも筋を通そうとするから損をしたとしか見ていないのではないでしょうか。 宗務総長に熊谷宗恵氏 再選 2日目、今臨時宗会の主案件である宗務総長選挙が行われ、次のような結果となり、熊谷氏が再選されました。そして、17日、長久寺氏・高木氏・林氏・里雄氏・安藤氏が参務に指名され、第2次熊谷内局が発足しました。 投票結果 熊谷宗恵氏 39票 木全和博氏 25票 前述の選挙結果でご報告しましたように、投票のあった13教区のうち、9教区でグループ恒沙を含む野党候補(グループ恒沙の5名は全員トップ)がトップ当選を果たしています。そこに、2年半の熊谷・真宗興法議員団の宗政に対する厳しい批判と大きな失望を読み取ることができるのではないでしょうか。 そして、この度の宗務総長選挙は、議会がこれまでの熊谷宗政をどう評価するかという意味合いもあります。通常、750回御遠忌というような事業をひかえている場合には、大事業をテコに高い支持を獲るものでしょうが、投票結果にありますように、ほぼ4割の議員が対立候補に投票したという、熊谷宗政に対しての明確な批判と対決姿勢が鮮明になったということなのでしょう。しかも、それがひとつにまとまったというところに、大きな意義があります。 ただ、その統一候補が、どうしてグループ恒沙から出せなかったのかということについては、紆余曲折があり、とにかく野党が一致して出せる統一候補ということに力点を置いた人選であったということです。この度は、名より実を選択したということです。 ところで、選挙期間中にある方から、「本山の議会であるのに、娑婆の議会のように対立と対決ばかりで、どうして協調して一つになれないのか」という、実に厳しいご批判を受けたことを思い出しています。おっしゃる通り、まことに情けない限りであります。みなが、一つになって、一つのことについて徹底して議論して、導き出された結論には、みなが責任を持つという議会でありたいと願っています。 しかし、政権会派があり、しかも32年間に亘って単独与党として政権を握り続け、横暴ともいえる議会運営(先程の副議長選が好例)と、無責任な行政手法(内容は後述)を取り続ける限り、厳しく批判せざるをえないのです。 無責任な行政手法と、大変失礼な表現のように思われるかもしれませんが、そのように言わざるをえないのです。つまり、当局は大事な問題については、ほとんど委員会に丸投げして、その答申なり結論を、「委員会の報告を最大限尊重して」とその内容をそのまま施策とし、そしてその責任を委員会に押しつけるかたちで方針決定をしているのが近年の行政手法です。 そして多くの委員会は、宗務総長や当局の諮問機関であり、いわゆる行政委員会であるにも関わらず、結論が議会と異なることを恐れての対策としてか、議員を学識経験者として委員に加えることが殆どです。そのため、議会と行政のもたれ合い関係を作り出し、委員会の趨勢の一端をあたかも議会が担っているが如き装いをとります。本来、行政委員会には議員は入るべきではない(専門知識・経験が必要とされる時を除き)と考えます。しかし、現在は委員会が方針決定の大きな位置を占めているものですから、委員を辞退することは意見を反映させる場も失うということになりかねません。行政委員会とは別に、議会は議会内に重要案件については委員会を設置して充分な審議を重ねるべきであります。その点からも、常任委員会制は是非必要と思われます。 ここで、委員会丸投げ手法について、我々に関わりの深い問題を取り上げ、具体的に指摘してみましょう。いま、仙台教区で頭を痛めている事として、ご依頼並びに御遠忌志の算定基準の見直し問題があります。 本来、御依頼については、内局の専権事項であるのですが、2001年宗務総長の諮問機関として、「ご依頼に関する委員会」が条例によって設置されます。その委員構成は、宗議会議員・参議会議員・学識経験者から宗務総長が15名以内で委嘱するとあります。ここにも如実に議会と行政の未分離がうかがえます。さて、その委員会がご依頼基準の作成を担うこととなります。当局は、そこでも例によって、答申内容を最大限に尊重するとして、委員会の最終報告ををもって、算定基準としました。しかし、その新基準は不公平是正を目的としたはずでしたが、その算出方法が、甚だ妥当性と公平性に欠け、したがって導き出されたご依頼は極めて不合理なものとなりました。それが、仙台教区においては、2002年度に対して、36%増というものになったのです。仙台教区では、いまもその基準を拒否しています。算出方法が道理に合わないからです。 問題は、道理に適っていない御依頼をしておきながら、だれも責任を取らないというこの行政手法です。当局は、我々が決めたのではなく、委員会で決めて頂いたことを尊重しただけだというでしょうし、そして委員会は報告書を提出すると同時に解散しましたから、だれも責任を取らずに数字だけが残り、我々を振り回しています。 これが、委員会丸投げ無責任手法そのものです。 会派届けは、2会派 宗議会に会派が果たして必要であるのかどうかは、十分検討に値する問題であります。ただ、現行のように真宗興法議員団が多数を力として、自分たちだけが宗政を運営しているというが如きあり方に対抗するには、会派が必要であるといわざるを得ません。 ところで、10月14日現在、議会事務局に会派届けを提出しているのは、真宗興法議員団とグループ恒沙の2会派で、真和議員団は会派構成に必要な5名が集まらなかったのか、理由は明確ではありませんが、会派届けは出されていません。したがって、2会派に所属しない人たちは無所属ということになります。一応、無所属は17名になりますが、控え室も別にして10名と7名の2グループになっています。しかし、それぞれ10名・7名で一つかというと必ずしもそうではないようです。もっとも、来年の定宗までには、十分な議員活動をはかる上から、会派を名乗るところがでてくるものと思われます。 【 真宗興法議員団 】 37名 鷲山宣裕氏(北海道・新)奥村裕明(北海道・新)藤野護氏(奥羽)柴田達也氏(東京)安原晃氏(三条)加藤祐晃氏(三条・新)竹田恵示氏(高田)石川正生氏(富山)黒川紘紀氏(高岡)船見研雄氏(高岡・再)江尻静哉氏(能登)松岡元雄氏(能登・新)熊谷宗恵氏(金沢)谷山真午氏(金沢)但馬弘氏(大聖寺)藤田智賢氏(福井)朝倉順章氏(福井)三島多聞氏(高山・新)不破仁氏(大垣)里雄康意氏(大垣)下谷泰史氏(大垣)和田正之氏(岐阜)杉浦義孝氏(岡崎)安藤伝融氏(岡崎)松本好行氏(名古屋)勅使忍氏(名古屋・新)秦信映氏(長浜)東野文恵氏(長浜・新)高木文善氏(京都)大橋秀暢氏(京都)林治氏(大阪)望月慶子(山陽・新)長久寺徳瑞氏(日豊)調紀氏(久留米)武宮眞哉氏(長崎)岩坂賢龍氏(熊本・新)日谷法泉氏(鹿児島) 【 グループ恒沙 】 11名 寺永哲氏(北海道)新羅興正氏(山形)藤内和光(仙台)藤森教念氏(東京)高橋悉氏(三条)藤島恵氏(高田)森島憲秀氏(富山)篠田穣氏(岐阜)三浦長氏(岡崎)釈氏政昭氏(四国)村上大純氏(日豊・新) 【 無所属 ー1】 10名 大沢秀麿氏(北海道)福田元道氏(高岡)能邨英士氏(小松)木全和博氏(名古屋)三浦崇氏(三重)赤松範昭氏(京都・新)本多一壽氏(大阪・新)大城雅史氏(久留米)旦保立子氏(東京・新)玉光順正氏(山陽・新) 【 無所属 ー2】 7名 岡川秀映氏(能登)吉藤雅人氏(金沢・新)河野授典氏(名古屋)栗原堯氏(名古屋)椋田知雄氏(京都)深田英雄氏(大阪)近松譽一氏(大阪)
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