**鹿踊り(ししおどり)のはじまり**
其の三

 鹿のめぐりはだんだんゆるやかになり、みんなは交る交る、前肢(まえあし)を一本環の中のほうへ出して、今にもかけ出して行きそうにしては、びっくりしたようにまた引っ込めて、とっとっとっとっしずかに走るのでした。その足音は気もちよく野原の黒土の底の方までひびきました。それから鹿どもはまわるのをやめて、みんな手拭のこちらの方に来て立ちました。




 嘉十はにわかに耳がきいんと鳴りました。そしてがたがたふるえました。鹿どもの風にゆれる草穂のような気もちが、波になって伝わってきたのでした。
 嘉十はほんとうにじぶんの耳を疑いました。それは鹿のことばがきこえてきたからです。


「じゃ、おれ行って見で来〔く〕べが。」 

「うんにゃ、危ないじゃ。も少し見でべ。」

 こんなことばもきこえました。

「何時(いつ)だがの狐みだいに口発破などさ罹(かか)ってぁ、つまらないもな、たかで栃の団子でよ。」

「そだそだ、全ぐだ。」

 こんなことばも聞きました。

「生ぎものだがも知れないじゃい。」

「うん。生ぎものらしどごもあるな。」


 こんなことばも聞えました。そのうちにとうとう一疋が、いかにも決心したらしく、せなかをまっすぐにして環からはなれて、まんなかの方に進み出ました。



進んで行った鹿は、首をあらんかぎり延ばし、四本の脚を引きしめ,そろりそろりと手拭に近づいて行きました。


が、俄かにひどく飛びあがって、一目散に遁げ戻ってきました。廻りの五疋も一ぺんにぱっと四方へちらけようとしましたが、はじめの鹿が、ぴたりととまりましたのでやっと安心して、のそのそ戻ってその鹿の前に集まりました。


「なじょだた。なにだた、あの白い長いやづぁ。」

「縦にしわの寄ったもんだったけぁな。」

「そだら生ぎものだないがべ、やっぱり蕈(きのこ)などだべが。毒蕈(ぶすきのこ)だべ。」

「うんにゃ、きのごだない。やっぱり生ぎものらし。」

「そうが。生ぎもので皺うんと寄ってらば、年寄りだな。」

「うん年寄りの番兵だ。ううはははは。」

「ふふふ青白の番兵だ。」

「こんどおれ行って見べが。」

「行ってみろ、大丈夫だ。」

「喰っつがないが。」

「うんにゃ、大丈夫だ。」



其の四