by 獅子丸
横浜港の夜景が一望できる最高のテーブルに案内されると、ロイエンタールは蝋燭の灯りの下に置かれたあるものに目を留めた。
およそ大人の席には相応しくない可愛らしいテディベアが2つ。
柔らかな蜂蜜色と濃い茶色のクマのぬいぐるみ。
そして、茶色のクマの手には「お誕生日おめでとう」と書かれたカードが添えられている。
悪戯っぽく無言で微笑むミッターマイヤーにちらりと視線を送りつつも、そのちょっと不釣り合いと思われるテーブルコーディネートにはとりあえず目を瞑ることにしてロイエンタールは黙って座った。
味にも雰囲気にもうるさいロイエンタールを満足させるサービスは、多分ベルゲングリューンが密かに手を回していると思われたが、そんなことより何より「ミッターマイヤーが自分のために」セッティングしてくれたこの場を心から楽しんだ。
数週間のオーバーワークの疲れも見せず、ミッターマイヤーはよく飲みよく食べ思い切り喋る。
そんなときのミッターマイヤーを独占し、眺めていられることはロイエンタールの一番の幸せであり、それだけでも最高のプレゼントを堪能した。
デザートも終わり頃、ミッターマイヤーはようやく思わせぶりにその可愛らしいぬいぐるみを指さした。
「それ、おれからのプレゼントだ」
「これが、か?」
「まあ、ちょっと持ってみろよ」
ロイエンタールは何が仕掛けてあるのかと訝りながら、優雅に長い手を伸ばしてカードを持つ茶色のクマを手にする。
思ったよりそれはずっしりと重たくて、意外な感じだった。
「それがオスカーさま誕生時の重さだ」
「なに?」
「2750グラム。可愛い重さだろ」
ロイエンタールはそのぬいぐるみの重さを慎重に手の中で確かめ、もうひとつのクマに手を伸ばす。
「こっちは?」
「おれの誕生時の重さ。2560グラム」
「なるほど…私の重さなどどうやって…ベルゲングリューンに聞いたのか?」
「うん、だけどベルゲングリューンも朧気だからって、ちゃんと実家に確認してくれたから間違いないぞ」
「自分が何グラムかだったなんて全く興味がなかったな」
「だろうと思ったよ。おれも自分の重さなんて知らなかったから久しぶりに実家に電話しちゃったしな」
「わざわざご苦労だったな…」
忙しいと駆けずり回っていたミッターマイヤー。
捉えどころがなくなって、人の気持ちを不安に陥れておきながら、こんなことをするための画策をしていたなんて、ロイエンタールは一瞬悔しさと、そしてこみ上げる幸福を押さえることが出来ない。
「生まれた時の重さはたいして変わらなかったのに、結局色々差が付いたな」
ロイエンタールは心と裏腹の感想を述べてみる。
「どういう意味だよ」
「たいした意味はないが?」
そう言い合う2人ともが笑い合っていた。
「ともかく。お誕生日おめでとう…オスカー」
「もう一度言ってくれ、最後の名前のところ」
「い や だ」
どんなに形で縛っても、なかなかままにならない愛しいパートナー。
ロイエンタールはその色違いの瞳に喜びと情欲の揺らめきを添えて、微かに顎を上げ合図を送る。
さっと頬に血を昇らせ、ミッターマイヤーもそれに応えたかのように見えた。
2匹のぬいぐるみを手にしたミッターマイヤーを引きずるようにして部屋へ戻るや、ドアが閉まるのももどかしく唇を合わせる。
どさり、と重たげな音を立て、2人の誕生時と同じ重さのテディベアはドアの前に置き去りにされた。
慎重に外したのはチョーカーだけ。
後はもう、ともに珍しくも獣のように情熱的に求め合った。
ことにロイエンタールは、ほんの少し心の隙間に影を落とした寂しさを振り払い、この柔らかな温もりを逃すまいとするかのように、片時も肌を離すことなく身体を重ねた。
何度も、何度も。
幸せな夜はゆっくりと更けていった。
「おまえさ、限度ってものがあるだろ」
早朝、殊更ゆっくりとした動作でベルゲングリューンの運転する車の後部座席に座りながら、ミッターマイヤーはぶつぶつ文句を言いながらもホテルのルームサービスで取り寄せた朝食を手にしている。
「今日も仕事だと言わなかったおまえが悪い」
両手にテディベアを抱えたロイエンタールはそんなミッターマイヤーの不機嫌などものともしない。
「ダメだ…腹も減ったけど…ねむ…」
言い終わる間もなくミッターマイヤーはロイエンタールの膝枕で眠り込んでいた。
まだ車はベイエリアを離れてもいない。
「朝から呼び出して済まなかったな、ベルゲングリューン」
「いいえ。お気遣いは無用です、オスカー様」
バックミラーに映るなんとも幸せそうなロイエンタールに、夜も明けきらないうちから呼び出されても文句の言いようがない。
いままで誕生日祝いなどと言ってもおよそ喜んだ試しのない若様の、見たことのない表情なのだ。
ホテルのセッティングはお手の物だったが、ミッターマイヤーにロイエンタールの生まれた時の体重を聞かれた時は流石になんのことやらさっぱり判らなかった。
今彼の手にしている物がその正体だと判ってベルゲングリューンは微笑ましく思う。
多分以前のロイエンタールなら、くだらないと一蹴しただろう。
愛情とはこんなにも人を変えるものなのだろうか。
高速道路に乗ると、広がる景色が朝焼けで言葉では言い表せないほど美しい。
そう、告げようとしてふと見ると、後部座席の2人はともに眠りこけていた。
彼は思いきりアクセルを踏み込んでつくばへの道を走り出す。
彼の大切な若様のパートナーが男であることにはきっと一生心から納得することは出来なくても、この幸せな平安がいつまでも続くようにと、願わずにいられないベルゲングリューンなのだった。
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