困ったときは笑っとけ 4 by 獅子丸



結局ベルゲングリューンが認めざるを得ない程ロイエンタールが回復したのは、それからまた一週間近く経ってからだった。
寝ているのに退屈しだしてからはいかにベルゲングリューンを追い払うかに腐心して、渋々ながら彼を了解させた条件は、もう一度都内にあるクリニックへ行って診察を受けることだった。
「ヴォルフ、今夜はご馳走にしよう。美味いスウィーツも仕入れてくるから待っておいで」
朝、仕事に出かけるミッターマイヤーにロイエンタールはそう言って、唇にキスを贈る。
ミッターマイヤーも、もうこれくらいの朝の儀式には動じなくなった。
昼休み、食堂で一人昼食を食べ、良く晴れた窓の外を眺めやる。
バレンタインデイが来てしまった。
お互い何も言い出せなかったが、ロイエンタールの方は2週間も寝込んでしまってそれどころじゃなかったかもしれないし、2人きりでご馳走とスウィーツだけならそれで十分幸せだという想像が、ミッターマイヤーを少しほっとさせている。
これで、待っていたモノが今日中に届いてくれれば。
定時に研究所を出て家に帰り着いても、まだロイエンタールは戻っていなかった。
留守中に何か届いた気配もない。
時間を持て余して家の中のことを何かしようにも、部屋の中は塵ひとつ落ちていないし、洗濯物も綺麗に片付き、キッチンも整然としている。
ミッターマイヤーは書斎に籠もってMacを立ち上げ、暫くメールやネットのチェックをしたり、データの整理をしたりして過ごした。
「お腹すいたなー」
時計を見るともう午後9時を回っている。
ロイエンタールが連絡も無しにこんなに遅いのが気にかかる。
午後から出かけたのだとすれば、少しくらいは仕方ないかもしれないが、それにしても遅すぎる。
ままよ、と都内の事務所に電話しても誰も出なかった。
不安な気持ちのまま小一時間が過ぎ、ミッターマイヤーはドアチャイムの音に飛び上がらんばかりに驚いた。
ロイエンタールだったら、鳴らさずに自分の鍵で入ってくるだろう。
慌ててドアフォンに出ると「宅配便です」との声。
随分夜遅くなってはいたが、待ちに待っていたモノが届いた嬉しさに、ミッターマイヤーは即刻マンションのフロントロックを解除した。
待つことしばし、再びドアチャイムが鳴る。
ミッターマイヤーは、小走りに廊下を駆けてドアを開いた。
「ありがとう、待ってたんだ…」
帽子を目深に被った背の高い男は、手にお届け物の箱ではなくナイフを持っていた。
「外人さん、大人しく金出しなよ」
男はナイフを突きつけ、もう片方の手でミッターマイヤーの襟首を締め上げる。
ようやく事の次第と身の危険を感じたミッターマイヤーは、男のナイフを持った腕を両手で掴み、抵抗して揉み合いになった。
「金なんかない、放せっ!」
「なんだと、この野郎」
揉み合いながら力いっぱいぶつかると、ぴしりと鏡張りのクロゼットの扉にひびが入る。
相手はミッターマイヤーよりも体格が良く力も強い。
揉み合いを続けながら何度も壁に叩き付けられ、空いている手は喉をぐいぐいと締め上げてくる。
呼吸が出来なくなり、目の前が暗くなってきた。
それでもナイフを振り回す腕を必死の思いで放さない。
だが、次の瞬間、足元が玄関と廊下の僅かな段差にひっかかり、ミッターマイヤーはがくりと体勢を崩した。
相手の体重とナイフが彼の全身にのし掛かってくる。
──ああ、もう…。
息苦しくて喘ぎながらぎゅっと目を閉じ、床に転がる。
追い打ちをかけるようにガチャンと何かが壊れる音がする。
重みの次に襲って来るであろう痛みの衝撃は、だが、数刻が過ぎてもやってこなかった。
その代わり、ぼたぼたと冷たい水が降ってくる。
「ミッターマイヤー、大丈夫か?」
「え?」
ずるり、とミッターマイヤーの上から男が剥がされる。
急激に楽になった呼吸に咳き込むミッターマイヤーは、ぐったりした男を投げ捨てたロイエンタールに助け起こされた。
辺り一面、砕け散ったフラワーベースと、そこに溢れんばかりに活けてあった白いチューリップの花が散らばっている。
「遅くなってすまなかった。怪我はないか?」
響きの良い優しい声が遠くに聞こえる。
「…ロイエンタール」
かろうじてそれだけ唇が呟いた。

「手配中の連続強盗です。宅配便のフリをするのが犯行の手口でした。犯人の怪我はたんこぶ程度ですから心配は要りません」
警察がやってきて大騒ぎになり、またもや生きた心地のしないベルゲングリューンが駆けつけた。
その間、ミッターマイヤーは誰にも口をきかずソファに座り込み、隣にいるロイエンタールの服の裾を握り締めたまま動こうともしなかった。
「こちらの方のお怪我が無くて何よりです。ご本人の事情聴取は追って連絡しますのでその時に」
その言葉を最後に警察は引き上げ、荒らされた玄関を片付けたベルゲングリューンはその本来の仕事である弁護士としての役目を果たすために奔走する。
「連絡は全て私の方に入るようにしましたので、お二人ともゆっくり休んで下さい」
彼は本当は心配でこの場に留まりたいのだが、様子のおかしいミッターマイヤーを安心させるには自分が居ない方が良いだろうと判断したのだった。
カチ、とロックをする音がして、部屋にようやく静寂が訪れた。

傍らで呆然としているミッターマイヤーに触れようと手を伸ばすと、彼は怯えたようにその指先を避けた。
「ミッターマイヤー、ヴォルフガング。私がわかるか?」
呼びかけながら、そっと頬に触れる。
「遅くなってすまなかった。でももう大丈夫だ。そうだろう?」
視線を合わそうとしなかったグレイが、ゆっくりとロイエンタールを見上げる。
労りに満ちた青と黒の宝石の在処を、震える指先が探り当てる。
「……ロイエンタール…」
「そうだ」
やっと安心したようにみるみる大きな瞳に涙が溢れ、頷くロイエンタールにしっかりと両腕で抱きついてミッターマイヤーは静かに泣き始めた。
髪を撫で、背中をさすり、感情の嵐が過ぎ去るのを待つ。
ゆっくりと、穏やかに時間が過ぎて行く。
しばらくすると、ミッターマイヤーは照れたように顔を上げ、微笑んでロイエンタールを安心させようとする。
「ありがとう、もう大丈夫だ」
二人はお互いに、何があったかを語り始めた。
ロイエンタールは、病院が混んでいた上に帰りの高速も事故渋滞にひっかかりこんなに遅くなってしまったことを説明する。
「俺、宅配便を待っていたんだ…」
「夜遅かったのに、宅配便が届いたと思ったんだな」
「うん…ずっと届くの待ってて…」
ロイエンタールはまだ彼の服を握っていた手に、ベルゲングリューンの入れてくれたココアのカップを握らせた。
「冷めてしまったな。温かいのを入れてやる。ちょっと待っておいで」
そう言い置いて立ち上がると、リビングのキャビネットを開け、中から箱を取りだした。
「午前中に届いていたんだ。目に付くところに置いておけば良かった。私の落ち度だ」
それはミッターマイヤーが待ちに待った品物に間違いなかった。
キッチンへ行こうとするロイエンタールを、ミッターマイヤーは引き留める。
「待って、ロイエンタール」
がさがさと急いで封を切って中身を出す。
アクリル製の専用BOXから出てきたのは、揃いの時計だった。
「バレンタイン…もう日付変わっちゃった…間に合わなくてごめん」
「これを、私に?」
「いつもロイエンタールは…誕生日もクリスマスも、いつだって俺のために、俺のことを考えてくれてて…俺、今年は絶対に忘れないぞって思ってたんだ。だから先月これを頼んで、バレンタインデイに受け取って貰おうと…」
「ヴォルフ…」
FOSSILのデジタル時計は、フィリップ・スタルクモデル。
「ロイエンタールは何でも持ってるし、どんな高価な物でも手に入れられるし、何が喜んで貰えるか見当も付かなくて…一生懸命考えたんだけど…でも、間に合わなくて、間抜けだったな…」
「そんなことはない。嬉しいよ、ヴォルフガング」
生まれて初めて、金額に換算出来ないプレゼントを贈られた嬉しさに、ロイエンタールは天にも舞い上がらんばかりに喜んでいた。
いつも無表情な美貌は、ほんの少し表情を緩めただけのようにしか見えなかったけれど。
再びミッターマイヤーの隣に座り、逸る気持ちを抑えて尋ねる。
「キスしても良いか?」
「…オスカー。俺、これを受け取って貰えたら、もう納得出来ないなんて言わないって決めてた。ほんとはもっと前にそう思ったんだけど…なかなか言い出せなくて……」
言葉は途中で唇の間に消えた。
蛇の生殺しも、無理矢理同居の後悔も、この一瞬で全て吹っ飛ぶ。
最高に幸せな数時間遅れのバレンタインデイが二人の上に訪れた。

枕元の時計はもうすぐ夜明けを指している。
ロイエンタールは、隣で眠るミッターマイヤーの、まだうっすらと汗ばんだまま額に張り付いている蜜色の髪を優しく撫で上げた。
「ん…、今何時?」
「まだ早いし、今日は休んだ方が良い」
ミッターマイヤーは、またゆるゆると眠りに引き込まれそうになる。
「そうだ、ヴォルフガング。来月ニュージーランドへ行こう」
「え?」
「ミルフォード・トラックのトラッキングツアーを申し込んである」
ミッターマイヤーは、ぱっと目を覚ました。
先月、テレビでレポート番組を見ていて、思い切り行ってみたいと訴えた、あの場所だ。
「私のバレンタインプレゼントだ。遅くなってしまったが」
にやり、とロイエンタールが笑う。
「だって、だって、俺が調べたら最低でも90日以上申し込みにかかるって言われたんだぞ」
「本当はバレンタインデイに間に合わせたかったんだが、結局一月遅れになってしまった」
「凄いや、ロイエンタール!!」
凄いのは本人ではなく腕利きの子守弁護士なのだが、とうの本人はようやく市内のホテルでひと息つきながらくしゃみを連発していた。
この勢いでお預け分を取り戻そうと絡めようとした腕から、小柄な身体がするりと抜け出した。
「目が覚めちゃったよ。シャワー浴びてくる。ありがと、ロイエンタール。愛してる」
「おい、こら、待て。ヴォルフ」
最悪のタイミングの告白だったとがっくり来ても後の祭り。
こうなったら風呂場に追い掛けるしかない。
その為に広い風呂場のあるマンションを選んだのだから。
ミッターマイヤーは、この先ロイエンタールに食らわせたお預けのツケをたっぷり払わされるハメになるのだが、果たしてレッスンが順調に進むかは神様にだって判らなかった。

そして、正式な婚姻が整うまでまだきっと波瀾万丈があるに違いないと、起こりもしていない波風に胃袋をきりきりさせながらベルゲングリューンは眠りについた。
頑張れ、ベルゲングリューン。若様の幸せは、きっと君の幸せに通じるに違いない…よ?

end

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お疲れ様でした〜。お付き合いいただきありがとうございました(^-^)
むう、なんかムダに長くなってしまった気もしなくもなく…場面転換でミッターマイヤーが寝てばかりというのも芸が無くてイヤン、な感じなんですが、目をつぶってやって下さい(>_<)
ろくにリハビリも無しにバレンタイン用に話を書こうと思った方が無謀だったかと。
『やりたい』妄想暴走男ロイエンタールですが、男24歳、やりたい盛りです、普通(笑)ミッターマイヤーの方がヘンなんですよ?
つくばの双璧にはまだたくさんエピソードがあって、もちろんベルゲングリューン最大の驚天動地もあるんですが、私にそこまで書く力が付くかどうかが問題ですね…ふ。
今回は書いてる本人がとっても楽しくて幸せでした♪
ああ、ちなみに子守弁護士ベルゲングリューン、オスカー様とそんなに酷い年齢差はないんですよ…苦労して老けちゃっただけで(爆)
出来ればご感想、お待ちしてます。ではまた!!

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