ただ美しく闇を纏いて 黎明編5 

by 獅子丸



辺境の惑星の、そのまた辺境の地に、古い小さな町はひっそりとあった。
薄暗い街灯よりも明るい満月の光が、石造りの家並みを照らしている。
バイエルラインは石畳の細い路地を幾度も曲がり、人気のない、陰影の濃い深夜の町をひた走る。
ようやく辿り着いた小さな広場には円い噴水があり、サラサラと水音だけが辺りに響いていた。
弾む息を押さえつつ不安げに佇んでると、月の前を大きな雲が過ぎり、一瞬辺りは真っ暗になる。
「バイエルライン」
闇の中、囁くような声がする。だが、その声は間違えようもない。
「閣下、ミッターマイヤー閣下ですか?」
必死に目を凝らすバイエルラインの前に、再び月光が差してくる。
やがて、噴水の反対側に懐かしい姿が現れた。
「ミッターマイヤー閣下っ」
「来るなッ、バイエルライン」
走り出そうとしたバイエルラインを、鋭くミッターマイヤーの声が制する。
「約束したものは持ってきてくれたか」
「閣下……。はい、歴史博物館から持ってきました。現存する最古のリヴォルバーです」
「弾は?」
「特別に作らせました。銀の弾です…閣下、一体…」
「それで俺を撃て。バイエルライン」
今、ほんの数メートルしか離れていないところに、ここ一年血眼になって探し求めたかけがえのない大切な人がいる。
瀕死の重傷で今にも生命の灯が消えそうだったのに、前と変わらない姿でそこに立っている。
だが、その凛とした声で彼に命じていることは、とても信じられなかった。
「な…何をおっしゃっているんです、ミッターマイヤー閣下」
「やめろ、バイエルライン。俺はもう、お前の知っているミッターマイヤーじゃない。さあ、狙え!間違いなく心臓を撃ち抜くんだ」
「そんなこと、私に出来る訳がありません!それより閣下、どこでどうしていらっしゃったのですか?もう傷はよろしいのですか?」
言いながらバイエルラインは、噴水をぐるりと回ってミッターマイヤーの居るところまで歩み寄った。
見慣れた軍服姿ではなく、ラフな服に身を包んだ小柄な姿は彼の知っているミッターマイヤーよりも若々しく、微かな夜風にそれだけは変わらず癖のある蜂蜜色の髪が柔らかく揺れている。
「それ以上近寄るんじゃない、バイエルライン!頼むから…」
あとほんの少しで手が届くところまで来たバイエルラインに向かって、ミッターマイヤーは悲痛な声を上げた。
振り返った瞳に宿っているものは険しく、そして哀しげだった。
「俺はもう、閣下などと、ミッターマイヤーなどと呼ばれる人間じゃないんだ。俺は死んだはずだ、バイエルライン。そうだろう?」
「棺に入れてあったのは精巧な人形でした。でも包帯を巻いていたので誰にも判りませんでした」
「一度死んだのだから、今ここで死んでも問題じゃない。俺は自分で死ぬことすら出来ないんだ。その銃でしか、その弾でしか、俺を殺せない。頼むから撃ってくれ、バイエルライン」
バイエルラインの混乱は極みに達していた。
ここにミッターマイヤーがいるというのに、やっと再会出来たというのに、その人自身の口から今ここで自分を殺してくれと叫んでいる。
そもそもバイエルラインに、ミッターマイヤーへ銃を向けることなど出来ようもなかった。
「殺せ!早く撃つんだ、バイエルラインッ。俺の命令に逆らうのか!」
「ミッターマイヤー閣下…」
命令に対する染みついた習性がバイエルラインの手をコートのポケットに忍ばせた銃へと向けさせた。
だが、取り出しては見たもののミッターマイヤーを狙うことなど出来はしない。
先ほどまでの冴えた月明かりを隠すかのように、辺りにはうっすらと霧が立ち始めている。
やがて、ガタリと音を立てて銃は転がった。ガクリと膝を付き、バイエルラインは湿った石畳に座り込んだ。
「出来ません。私に貴方を撃つなどと、出来る訳がありませんッ」
「バイエルライン…」
「教えて下さい。どうしてですか?何故殺せなどとおっしゃるのですか?」

「教えてやろう、バイエルライン」
深く良く通る声に、二人ははっとして振り向いた。
流れる霧を纏って石畳を歩いてくる背の高い姿は、ロイエンタールだった。
「ロイエンタール…」
ロイエンタールは、一瞬、哀しげな視線をミッターマイヤーに向けたが何も言わなかった。そして、バイエルラインへ冷たく光る金銀妖瞳を向けた。
「人の生き血を啜り、永遠の生命を持つものどものことを何と言うか知っているか?」
「…吸血鬼、と…」
「そうだ。俺はそう呼ばれる一族らしい」
「そんな…あれはただの伝説で…」
「では、何故俺はこうしてここに生きている?何故瀕死の重体だったはずのミッターマイヤーが生きているのだ?」
「まさか、まさかミッターマイヤー閣下も…」
「仲間にするしか助ける術はなかった。永遠の生命を持つもの同士、共に生きて欲しかったのだがな。お前には理解して貰えずとも、俺の真実はずっと変わってはいない…ミッターマイヤー、俺の欲しいものはこの世でひとつ、お前だけだ」
ロイエンタールの視線は、ひたと愛しい者の面に向けられている。苦しげに眉を寄せながら、ミッターマイヤーは繰り返された愛を告げる言葉を聞いていた。
そして何かを諦めたような溜め息の後、ロイエンタールは続けた。
「バイエルライン、吸血鬼を殺すにはそんな銃だけでは足りないぞ」
転がった銃の隣に、白木で出来た杭と、大振りのサバイバルナイフが投げられた。
「銀の弾で撃ち、その杭を心臓に突き刺す。なおかつ首を落とさなければ完全には死なないそうだ。ミッターマイヤーに対してお前がそれを出来るのか?」
古来から伝えられる残酷な吸血鬼退治の方法に、バイエルラインが息を呑む。
「ミッターマイヤーを一族にしたのは俺だ。だから俺が死ねばミッターマイヤーも死ぬことになるだろう。お前がミッターマイヤーに銃を向けることは出来ずとも、俺になら出来るだろう。所詮一人で生き存えるつもりなどないのだからそれもいい。お前の腕なら外すことはないだろうが、心臓を狙えよ」
「ロイエンタール!」
信じられぬとばかりにミッターマイヤーは声を上げる。
バイエルラインにとっては何もかもが夢のような話だったが、二人が今ここに存在していることが真実だった。
「ミッターマイヤー閣下は…閣下は吸血鬼などとして生きたくはないのですね。だから私に撃てとおっしゃったのですね…」
バイエルラインは、ミッターマイヤーにというよりも自分に言い聞かせるように呟いた。ミッターマイヤーは、ロイエンタールの顔を食い入るように見つめ続ける。
だがロイエンタールは、その視線に応えることなくカツンと靴音を立てて一歩進んだ。
「早くしたほうが良いぞ、バイエルライン。気が変わってお前の首筋に噛み付くかもしれぬからな。俺に噛み付かれれば傷が塞がらずに死ぬだけだ。お前まで一族にしてやるほどの親切心は持ち合わせておらぬ」
「ロイエンタールッ!待て、バイエルライン、止めろ」
ミッターマイヤーの叫びに、二人とも耳を貸そうとはしなかった。
バイエルラインは、目の前に転がっている銃に手を伸ばした。
カチリと安全装置が外れ、トリガーに指がかかる。
「止めるんだ、バイエルライン。撃つのは俺だ。俺を狙え」
ミッターマイヤーの声を初めてバイエルラインは無視し、正確にロイエンタールの心臓を狙う。
「さあ、撃て!バイエルライン」
一瞬、その美しい顔に壮絶な微笑みが浮かんだ。
深い霧の立ち込めた石造りの町に、古風な銃の音が響き渡る。

銃声の響きが静まった時、ポタリとひと雫の血が、密やかな音を立てた。
だが、指先を伝い落ちるその紅い血は、ミッターマイヤーのものだった。
「ミッターマイヤーッ!この莫迦っ」
突き飛ばすようにロイエンタールを庇ったミッターマイヤーは、肩口に銀の銃弾を受けて崩れ落ちた。
「いっ…」
「痛むのか、ミッターマイヤー」
ロイエンタールは、傷を確認すると素早く白いハンカチを巻いた。
「弾は貫通しているが…これは今までお前が付けた傷とは訳が違う。銀の弾の傷は致命傷にもなるのだぞ」
「そうか…。ごめん、ロイエンタール。俺は大切なことを忘れていた」
「しゃべるな、ミッターマイヤー」
「いや、聞いてくれ。…俺はもう、お前の死ぬところなんか見たくない」
「莫迦な。俺が死ねば、お前も楽に死ねたというのに」
「それでも、お前が死ぬところを目にすることにはかわりない。判っていたはずなのに、バカだよな、俺は」
傷付いていない方の腕を伸ばして、ミッターマイヤーはロイエンタールの頬に震える指先で触れた。
「愛してる、ロイエンタール。今まで言えなくてごめん」
ロイエンタールが色を失いわななく唇にそっと唇を寄せてエナジィを注ぎ込むと、浅く荒い息を吐いていたミッターマイヤーの身体から緊張が緩んだ。
「ミッターマイヤー…もう一度言ってくれないか?」
額を合わせ、揶揄うように告げるロイエンタールに、ミッターマイヤーは「ばかやろう」と微笑んだ。

「バイエルライン」
銃を握り締めたまま、呆然と倒れたミッターマイヤーを見つめていたバイエルラインは、声を掛けられはっと己を取り戻す。
「済まない、バイエルライン。お前には本当に迷惑のかけっぱなしで」
「ミッターマイヤー閣下…」
「都合の良い願いかもしれないけど、聞き届けて欲しい。俺のこと、俺達のこと、忘れてくれないか」
「そんな…」
それはバイエルラインにとってなにより残酷な言葉だと判っていたが、今言わなければ永遠に機会は巡って来ないだろう。
ロイエンタールは、ミッターマイヤーを抱きかかえ歩き出そうとする。
「今ここで、俺達二人とも本当に死んだんだ。だから、忘れてくれ」
ミッターマイヤーは寂しげに微笑むと、ロイエンタールの腕の中から手を伸ばして、蒼白なバイエルラインの頬を引き寄せ軽く唇を合わせ、「ごめん」ともう一度囁いた。
「もう…」
去って行く二人に向かってバイエルラインは叫ぶ。
「もう、会えないのですか、ミッターマイヤー閣下」
答えはなかった。
霧の向こうに去って行く後ろ姿が、微かに手を振っているようにも見えた。
やがて二人の気配は消えてしまった。走っても走っても追いつくことは出来ず、途端に嘘のように霧は晴れ、町外れの森の上には夜明けを迎えようとしている空が何処までも白く続くばかりだった。


森の奥深くにある古城を帝国軍が捜索した時、城には誰の姿もなかった。それどころか、地元の人間はもう何十年も城に住む人はいなかったはずだという。
荒れ果てた城の中には、降り積もった埃とがらくた以外何もなく、バイエルラインは当てもなく沢山の部屋の中を巡り歩いた。
やはり荒れ放題の庭を見下ろすバルコニーのある広い部屋で、窓辺に置かれた白い布を手に取ってバイエルラインは愕然とした。
それは、O.V.Rという頭文字の刺繍が施された絹のハンカチーフだった。
染みひとつ無いそれは、バイエルラインの目を眩しく射抜いた。
その布を握り締め、埃だらけの床に膝を付くと、バイエルラインはその生涯でただ一度きり、声を上げて泣き崩れた。
死して失うよりもなお辛い、最愛の人との今度こそ本当に永遠の別れだった。

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