春まだ浅い日の夕暮れ時。
風がどこからか早咲きの花の香りを運んでくる。
彼は殆ど自由の効かなくなった身体を椅子の中に埋め、かつて深く蒼く、そして鋭く輝いていた瞳をじっと虚空に向けて流れゆく時を見つめている。
彼の手の中にはいつも、所々が擦り切れている古い絹のハンカチーフがあった。
庭の裏木戸が、小さな音を立てて開いた。
最早近付いてくる足音さえ、彼に認識出来ているかどうか判らない。
夕日を背に、長い影が彼の上に落ちる。
しっかりと絹を握り締めた痩せた手が、温かい手にそっと包まれ口付けが贈られる。
やがて密やかに足音は遠ざかり、力を失った手から絹は風に舞い、その中からは銀の銃弾が転がり落ちた。
ほどなく、彼の上で時は永遠に流れることを止めた。
裏庭を抜け、小柄な青年は車で待つ男の元へ小走りに戻って行く。
やがて車は音もなくその場を走り去り、後には静寂だけが残った。
二人の吸血鬼が永劫の時間を生き続けたかは定かではない。
だが、また銀河の何処かの星で新たな吸血鬼伝説が生まれては忘れ去られてゆく。
それがあの二人のことなのかを、確かめる術はなかったけれど。
END