目が覚めた時、酷く喉が渇いていた。
体中、どこもかしこも重たくて、指一本満足に動かすことが出来なかった。
掠れた呻き声を上げると、何かが唇から流し込まれた。
それは、とても甘くて、温かくて、渇いた喉に染み込んでいった。
たちまち身体に力が漲り、重たかった瞼が開いた。
ぼんやりと開けた視界には、懐かしく美しい顔が浮かぶ。
彼はそれがどういう事なのか理解出来なかったが、ああ、夢だったんだと、ほうっとひとつ、溜め息をついた。
その瞬間はとても幸福だった。
「ミッターマイヤー、良かった。目覚めたのだな」
その、独特の響きのある声を聴き、優しく輝く金銀妖瞳を見つめているうちに取り戻しつつあった現実感が再び遠離る。
「ど…ういう…?…どうして?ロイエンタール…」
「お前は死んだ。半年前に葬儀も済んでいる」最初にロイエンタールが彼に告げた言葉がそれだった。
不思議そうに首を傾けて、ミッターマイヤーは笑おうとした。
だが、ロイエンタールの真摯な表情に気圧されて息を呑む。
彼の言葉は多分真実なのだろうけれど、今この現実との接点を見出すことが出来ない。
その上、穏やかとも言えるロイエンタールの表情からは何の情報も得られない。
「……お前も死んだはずだ。ロイエンタール」
暫くの沈黙の後、言葉のひとつひとつをゆっくりと発音しながら、ミッターマイヤーは問い掛けた。
総ての疑惑の出発点は、今目の前にいる男がここにこうして存在していることだった。
「永遠の生命を生きる力を得た」
「…莫迦な」
「俺もこの城で目覚めた時はそう思った。簡単に言えば第二の人生を与えられたと思えば良い」
「俺にはお前の言っていることが全然判らない。もう少し詳しく説明してくれないか」
「こういうことだよ、ウォルフガング」
突然、ロイエンタールは寝台に背を起こしているミッターマイヤーを掻き抱き、首筋に歯を立てた。
「やっ…め!」
チリリ、と首筋に痛みが走る。
「わかったか?ミッターマイヤー」
ロイエンタールは唇を朱く染めたミッターマイヤーの血を指先でゆっくりと拭った。
「そ…んな……」
ミッターマイヤーが首筋に手を当てると、滴り落ちる温かな血で掌が濡れた。
「心配は要らない、傷は直ぐに塞がる。俺はどうやらこうして人の力を奪い取って永遠の生命を生きることが出来るという一族らしいのだ」
ロイエンタールは、舌先で唇に残ったものをチロリと嘗めた。
「あのハイネセンで、埋葬された俺の身体を一族の者がここへ運んだそうだ。なんだかんだ言って目覚めるまでに3年かかった。俺が死んでいる間に帝国も同盟も色々変わったらしいが、もう俺には興味のないことだ」
長く美しい指が伸びてきて、乱れたミッターマイヤーの寝間着の襟元をそっと直した。
「目が覚めて、俺が気になったのは、心配だったのは、ミッターマイヤー、お前のことだけだった」
襟元から、彼の語る言葉ひとつひとつに動揺を隠せないミッターマイヤーの、身動ぎもしない首筋から顎へのラインをゆっくりと指先で辿って行く。
やがて、こくり、と喉の奥が動き、低く静かに言葉が発せられる。
「お前はさっき、俺が死んだと言った。どういうことだ?」
「だから、俺が蘇らせた。完全に一族になり得たかどうかはまだ良く判らないが、こうして目覚めたのだから上手くいったようだ」
ミッターマイヤーは、再びつい今しがたロイエンタールに噛み付かれた首筋に手を当てた。流れていた血は既に止まり、傷も塞がっている。
「お前も俺も、伝説の化け物、吸血鬼とやらになったのだ」
「嘘だ…、嘘だろう?ロイエンタール。悪い冗談は止めてくれ」
「では、何故俺が今ここにこうして存在しているのだ?」
そう問い返され、ミッターマイヤーは言葉に詰まってしまう。
「半年前、フェザーンの宮殿の中庭で、皇帝を庇ってお前は爆弾に吹き飛ばされた。火傷と爆風による傷、大量の出血で即死と判断されなかったのは不思議なくらいだった。俺は、辛うじて生命維持装置で繋がれたお前の命が消えぬうちに病院から連れだし、新しい生命を吹き込んだ。なにしろ初めてのことだったので成功したかどうか、随分不安だった…半年は長かったぞ」
「死体がないのに葬儀をしたというのか?」
「さてな。バイエルラインが何とかしたのだろう。妙だとは思わんのか?あのバイエルラインがお前が死んだというのに殉死もせずに生き存え、お前の葬儀を取り仕切っていたなどと言うことが」
「バイエルラインがどうしたんだ?」
「あれだけが知っている。お前がこの世の何処かで生きていることを。だから自ら死ぬことも叶わなかった。この先も、一縷の望みを持って生き続けることだろうな」
残酷な台詞を楽しそうに口にして、ロイエンタールは嫣然と微笑んだ。
「お前を死に至らしめた罰だ。苦しめばいい」
「俺が生きたいと、死にたくないと考えると思ったのか?ロイエンタール」
「帝国のウォルフガング・ミッターマイヤーは死んだ。今ここにいるのは、俺のミッターマイヤーだ。お前は俺だけのものだ」
なおも反論しようとして、ミッターマイヤーは激しい目眩に襲われた。荒い息を吐いて枕に沈み込む。
「まだ充分ではないらしいな。待っていろ、直ぐに新鮮な力を持ってきてやる」
「どう…いう…ことだ」
「判らないというのか?お前を蘇らせ、目覚めさせた力とは、即ち、人の生き血から奪った生体エナジィのことだ。それを得る為にさっきのように首筋に歯を立てる。まさに伝説の化け物さ」
ロイエンタールの言葉を、朦朧とした意識の中で聞きながら、ミッターマイヤーは深い眠りの中に落ちて行く。
それは、闇色に彩られた絶望という名の暗い淵だった。
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