ただ美しく闇を纏いて 黄昏編5 

by 獅子丸



即死者は爆弾を仕込まれていた少女と、彼女を制止しようとしていた警備兵2名。重傷者は他に数名。
そして、ミッターマイヤー重体のニュースは瞬く間に帝国全土に広がった。
ミッターマイヤーは、即死と判断されなかったのが不思議なくらい、あらゆる手を尽くしてももはやどうすることも出来ないのは誰の目にも明らかだった。
爆風と、それに伴って飛んできたあの庭の美しい玉石がまるで銃弾のように彼の身体に致命的なダメージを与えていた。
集中治療室で、今や呼吸と心拍だけを支える生命維持装置に繋がれた大切な人の姿を見ていたくなくて、バイエルラインは暗い廊下にひとり、ぼんやりと座っていた。
静かなその場所には他に誰の姿もない。

初めて会った時、年下だとばかり思った。
若い平民出の出世頭と聞いて、さぞや鼻持ちならない青年士官だろうと勝手な想像をしていた。
配属先が彼の元だと知った時の、軽い失望。
何故その時そう思ったのか、今となってはばかばかしい話だ。
出航間際のブリーフィングで、初めてその躍動感に溢れる姿を目にした。
体の大きな年嵩の参謀の陰から、乱れて納まりの悪い、だが目にも鮮やかで艶やかな蜂蜜色の髪の小柄な青年が、その小さな顔を覗かせ、活き活きとした表情で笑った。
「お、卿がバイエルラインか。よろしく頼むな」
「はっ」
畏まって敬礼した自分。その時の自分に彼は何を感じたのだろうか。
「そんなに睨むなよ」
「えっ」
自分より頭ひとつ背が低く、近寄って来ると少し見上げるように胸を反らせて、明るい大きなグレイの瞳を悪戯っぽく輝かせている。
だが、次の瞬間そのグレイは力強い鋼色に変わっていた。
「絶対に、俺の元に来たことを後悔させないと約束する。犬死にはさせないと誓う。だから卿の持ちうる力の全て尽くして働いてくれ」
バイエルラインはその時ミッターマイヤーの小柄な身体から怖ろしいまでの威圧感を覚えた。
後にも先にそれを感じたのはその時だけ。
彼は、魅入られたようにただじっと立ち尽くすことしかできなかった。
数秒(バイエルラインにとっては永遠に感じた)の後、厳しいミッターマイヤーの表情は若々しい笑顔にとって変わった。
「まあ、役に立たなかったら宇宙に放り投げるだけだがな」
どん、と握り拳で叩かれた胸が、急速に心拍数を上げて行く。
「はいっ、頑張ります」
あの約束。
あの誓い。
ミッターマイヤーは、一度として彼を裏切ることはなかった。
だからただ、後をついて行きたかった。
先を行くのはミッターマイヤーで良い。自分は彼の背中を必ず守る。
踏みにじって上に昇りたいなどと思ったことは一度もない。
何時しか双璧と呼ばれ、その存在が大きくなればなるほど、近くにあって守っていたいとの思いが強くなった。
対を失い、ただ一人の人になった時も、自分はミッターマイヤーを失わずに済んだことをこの世の誰よりも喜んだ。
誰も知らない原石の時から、帝国の至宝となった今でも、自分の宝物はずっとずっと、ミッターマイヤーただ一人なのだ。
より深く。
より強く。
バイエルラインにとってミッターマイヤーは信仰にも等しかった。
傍にいて、姿を見て、声を聞いていたい。
ミッターマイヤーが死ぬ時は、自分も死ぬと心に誓って久しい。
それが自分、カール・エドワルド・バイエルラインの人生なのだと満足している。

不自由な格好で椅子に腰掛けていたバイエルラインは、ビクリと身体が痙攣して目が覚めた。
どうやらいつの間にか眠ってしまったらしい。
「付き合わせて済まなかった」
彼の脳裏にミッターマイヤーの声が蘇った。最後に別れた、あの元帥府の廊下。
「何言ってらっしゃるんですか」
いつものようにコートを着せかけて、手袋を渡す。
「いや、ほんとに、何時も済まないと思っている。バイエルライン」
くるりと振り返り、素早く抱き締めて来る優しい温もり。
「卿が居てくれて、俺は幸せだ」
離れていく小柄な身体を、彼はそっと見送った。
「じゃ、おやすみ」
「おやすみなさいませ、閣下」
さっと挙げられた片手が、最後の別れを告げている。
彼の耳にその声が、網膜にその白い手が、何度も何度も繰り返し戻ってくる。
まるでたった今、そこでそうして別れが告げられたように。
目を開くとそこは元帥府の廊下ではもちろんなく、微かに消毒薬の匂いが漂う病院の廊下だった。
不意に瞼の裏が熱くなり、覚えずバイエルラインは涙を流し始めた。
ポトリ、と手の甲に涙が零れ落ちる。
後から後から落ちて、涙は止まらない。
「申し訳ありません。申し訳ありません。私は閣下を御守りすることが出来ませんでした」
嗚咽に噎びながら繰り返す。
扉の向こうで、生命の灯火を燃やし尽くそうとしている人へ、繰り返し、繰り返し、バイエルラインは詫びた。

「そうだ。貴様はあれを守ることが出来なかった」

自分のものではない声が響き、弾かれたようにバイエルラインは立ち上がった。

カツン──と靴音がひとつ。

黒い影がゆっくりと近寄ってくる。暗くてその顔を見ることは出来ない。

「貴様が殺した。貴様達が殺した。寄って集ってミッターマイヤーを殺した」

吟うように影が告げる。
その声、天鵞絨の声音は、遠い過去の亡霊のものだ。だが、けして忘れようもない声だった。
「そ…んな、…バカ…な」
ふらふらと、バイエルラインは椅子に崩れ落ちた。

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