そうまでしてテロの悲惨さをアピールしたからといって、もちろん即座に目に見える効果が現れる訳ではない。
国家機関の中枢を狙い澄ましたような攻撃はますます増えており、軍関係の建物への爆破未遂の後がビッテンフェルトの怪我だった。
手早く身支度を整えたミッターマイヤーは、ようやく差し込んできた朝日に一瞬目を細めたがそのままデスクについた。
「組織の手懸かりが掴めたそうだな、バイエルライン」
声を掛けながら端末のスイッチを入れる。
「…は、はい」
「どうした?卿にぼうっとされていたのでは仕事にならないぞ。一刻も早く反活動組織の全貌を掴まねばならないのは判っているだろう」
「はい、申し訳ありません。実は…」
朝も昼も夜もない、そうしてミッターマイヤーの一日が始まり、終わる。
如何にバイエルラインが心を痛めていても、彼の執務を滞らせることは出来ないのだった。
深夜、ミッターマイヤーはオフになっている執務用の端末の、暗いモニターに向かって座り続ける。最近は、そのまま朝を迎えることも珍しくなかった。
通信回線が入ったことを知らせるコール音が鳴り、ミッターマイヤーは我に返ってビクリと身体を震わせた。
ふうっ、とひとつ息を吐いてスイッチを入れると、ハイネセンからの回線が開き、画面に見知った顔が浮かび上がった。
ハイネセンの治安責任者として送り込まれ、後にハイネセン統治の最高責任者となったフォルカー・アクセル・フォン・ビューローは、いつも通り穏やかな物腰で挨拶する。
「お久しぶりです。ミッターマイヤー閣下」
「やぁ、ビューロー。そちらはどうか」
「はい。そちらの都市部よりもテロの被害は少ないですし、治安の維持も取り敢えず不安はありません」
「卿のおかげで助かっている」
流石にバイエルラインと違って不用意な事を口にしたりするビューローではない。だが、そのビューローでさえ、最近のミッターマイヤーの表情を直視するのは耐え難い時がある。
かつてその表情も動作も颯爽として快活で、それが総て若い国に相応しいシンボリックな人だったはずなのに、今はどんなに笑顔を浮かべていても、そのグレイの瞳から冷たい影が消え去ることはない。
以前には見ることのなかった、冷ややかで気怠げな表情を浮かべるようになったのもこの頃のことだ。
理由は分かっていても、そんなミッターマイヤーの変化はやはり側近達には辛いことだった。
ビューローは、努めて平静さを装い淡々と時事報告を行った。
そんなものはわざわざ回線を開いて顔を見ながらする必要はないのだが、ミッターマイヤーはハイネセンの状況確認は書類やデータの類では納得しようとしなかった。
「自由などと言い立てたハイネセン政府の残した置き土産はテロ活動のノウハウを伝授することと鍵の壊れた武器庫の放置、そして我ら帝国への身勝手な憎悪さ」
ミッターマイヤーは、単純すぎると判っていながらそう言い放ったことがある。
彼にとってのハイネセンとは、永遠に忘れがたい地であると共に、忘却の彼方へ葬りたいと願う地なのであろう。
銀河を何光年も隔てたモニターの向こうに広がるハイネセンの地への嫌悪は隠すべくもない。
ミッターマイヤーが、彼の地への統治責任を総て託したビューローに寄せる信頼は絶対のものであり、ビューローもけしてそれを裏切ることはなかった。
「──と、まあ、こんなところでしょうか。ところで、閣下、最近南方銀河辺境の古い植民惑星で妙な事件が起こっているんです」
それまれでの厳しい口調から一転してビューロー独特の語り口調になると、ミッターマイヤーの表情も少し和らいだ。
「妙な事件?」
「はい。統括区域ぎりぎりの辺境なのですが、移民が行われたとすればかなり古い時代の星で、環境的にも古代地球に近く、居住民も地球移民直系だと言われています」
「ほう」
「事件は猟奇的な殺人事件で、被害者は総て若く美しい娘。死因は漏れなく失血死なのです」
「失血死とは?」
「首筋に残った傷からの出血がどんな止血治療を施しても止まらず、死に至るそうです。元々そういう伝説のある土地柄らしいのですが、こちらのフリージャーナリストたちは、こぞって『吸血鬼の復活』と題して報道しています」
「それは凄いな」
ミッターマイヤーの表情からすっかり緊張が取れ、悪戯っぽい笑顔も見える。
「もしも、吸血鬼とやらが捕らえられたら教えてくれ。どんなヤツなのか見てみたい」
ビューローは、狙い通りの効果に満足する。
「了解しました。あまり期待せずに待っていてください」
モニターがブラックアウトし、和やかに会話は終了した。
ミッターマイヤーは微笑みを浮かべ、気を遣って貰ったことに感謝しながら久しぶりに職場を後にした。
皆で住んだ思い出の詰まった家を引き払い、今は国務省庁舎に隣接した官舎に住んでいる。
何一つ、前の家からは運んでこなかった。ただ一枚、幸せそうな家族の写真だけが、ベッドサイドのテーブルの上に置かれている。
ミッターマイヤーがここへ帰ってきたくないのはその写真のせいかもしれない。
それならば置かなければ良いと思うかもしれないが、それを捨てるのはもっと難しいことだろう。
もう間もなく朝を迎えようとする時刻、冷たいベッドに横たわり、束の間、夢を見ないことを願ってミッターマイヤーは眠りについた。