ただ美しく闇を纏いて 黄昏編1 

by 獅子丸



皇帝ラインハルト亡き後の新生銀河帝国は、アレクサンデル・ジークフリート皇太子を擁する後見の重鎮達を求心力として万全の国力を誇っているように見えた。
だが、一見冷えて固まっているかのように見える地盤は、時折ひび割れ、まだ熱く灼けたマグマを吹き出す。
元々が軍事力、権力闘争を背景にした国盗り、そして王位の奪取は、軋轢を生まない訳がない。
帝国の新体制への抵抗勢力は、様々な組織を形成しつつ地下へ潜り、どれだけ軍事力、警察力を投入してもなかなか実態の把握には至らない。
そればかりか、惑星規模で起こるようになったテロ活動は、見えない野火のようにじわじわと裾野を広げつつあった。

暑かった夏もようやく終わり、朝夕に吹き抜ける風に秋の訪れを感じる頃。
カール・エドワルド・バイエルラインが、まだ薄暗いほどの早朝、国務尚書の執務室に出向くと、部屋の主ウォルフガング・ミッターマイヤーは、ここで着替えたらしいプレスされたワイシャツの上に、上着を羽織ろうとしていた。
「おはようございます、閣下。…またお帰りにならなかったのですか?」
声を掛けてから、己の質問の拙さに臍を噛む。しかし、ミッターマイヤーは何も気付かぬような顔で返事をした。
「おはよう、バイエルライン。いや、帰ろうと思ったら病院から連絡があってな」
「ビッテンフェルト元帥ですか」
「ああ。意識、戻ったそうだ」
新帝国の礎を築いた七元帥の一人、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトは、一週間前暴動の鎮圧指揮に出向いてテロに巻き込まれた。
群衆の中に居た為ガードの発効が遅れて数十人の人命と共に爆弾で吹き飛ばされ、重傷を負い右足を失った。
意識の戻らない状態が長く続き、この明け方病院から連絡が入ったのだ。
「それは良かったですね」
話を聞いてほっとしたバイエルラインは、散らかったデスクの上を片付け、脱ぎ捨てられたシャツをクロゼットのランドリーバッグへ入れる。
たとえ己がどんな地位に就こうとも、ミッターマイヤーの為に雑用をこなすのは少しも苦になることはない。
もちろんビッテンフェルトの事も心配ではあったが、彼の最優先項目は目の前にいるこの小柄な、帝国の至宝と呼ばれているただ一人の人間に関することだけだ。

そのミッターマイヤーの愛する家族は、根こそぎテロ行為によって奪われている。
三月前、光眩しい初夏のある日、彼は国の最高責任者になって初めて取れた休暇に入ろうとしていた。
フェザーンに呼び寄せたミッターマイヤーの両親、愛妻エヴァンゼリン、可愛い盛りになった親友の忘れ形見フェリックス、そして養子に迎えていたランベルツと過ごすリゾート地の別荘へ足を踏み入れる直前、それは起こった。
日頃過剰な警備を嫌うミッターマイヤーだったが、建物を含め周辺はそれこそ下水管の中まで調べられて徹底的に危険を排除され、その地域は半径数キロに渡って身分を証明出来ない人間は一歩も踏み込めないようになっていた。
沢山の土産と抱えきれないほどの花束を積み込んだ車は、敷地の門を潜り、目の前に別荘の建物が迫ってくる。
家族水入らずの数日間を想像しただけで心が幸せで満たされるミッターマイヤーの視界は、次の瞬間閃光に包まれた。
彼の乗った対爆弾仕様の車が、爆風で回転するほどの凄まじい爆発。
後に残ったのは土台だけになった建物と、判別もつかないほどの損傷を受けた家族、そして、手伝いに雇っていた人たち数人の遺体。
中でも一番損傷が酷かった、というよりもほとんど原形を留めないほど損壊した遺体は数年来ミッターマイヤー家に住み込んでいた手伝いの女性だった。
調査の結果判明した、どれだけ精度の高い爆弾チェックでも見つけられなかった爆弾は、その女性の身体の中に埋め込まれていたらしい。
身元もしっかりしていて、それまで何の問題もなかった女性が何故そのような行為に至ったのかは、薬物等を使って精神を繰られていたとしか考えられない。
事実、遺体の一部からは薬物の痕跡を検出している。
おそらくこの目的の為だけに、短期間の間に準備された恐ろしい企みだった。

バイエルラインが知らせを受けて警察機関の建物に駆けつけた時、ミッターマイヤーは検死も拒んで、白いシーツに包まれた犠牲者全ての遺体とともに、冷蔵庫の中のような遺体安置所にいた。
非常灯の僅かな灯りだけの薄暗い部屋の有様に、思わずスイッチを探したバイエルラインに向かって「点けるな!」と鋭い声が飛ぶ。
暗さに慣れてきたバイエルラインの目に、部屋の隅でただ立ち尽くす小柄な姿が浮かび上がった。
全ての物が艶のないステンレスに覆われた部屋には凡そ色彩が存在していない。あるのは遺体をくるんだシーツの白。
モノクロームの室内にあって、悄然と項垂れるミッターマイヤーはまるで輪郭がぼやけているかのように見えた。
「…閣下……」
長い、長い沈黙の末、瞬きすらしないで何処か一点を見つめたまま身動ぎもしないミッターマイヤーに、バイエルラインはようやく声を掛けた。
名を呼ばれたことが酷く意外そうな表情をしてごくゆっくりと顔を上げ、そこにバイエルラインがいることを確認したミッターマイヤーは口許に微笑みを作ろうとした。
だがそれは、酷く歪んでいて、本人の意思に反してとても笑っているようには見えなかった。
「みんな…死んでしまった…」抑揚のない声の響きがバイエルラインの胸を突き刺す。
「可笑しいだろう、バイエルライン。俺は、泣くことすら出来ない」
「……」
「当然だろう。これは罰なのだから」
「閣下ッ」
「…また残ってしまった。俺はまだ楽にして貰えない」
「閣下、そのようなことを仰ってはいけません」
バイエルラインはこみ上げる嗚咽を堪えながら声を上げた。慰めようにも彼にはそれ以上の言葉を見つけられない。
そしてミッターマイヤーは、歩み寄ろうとするバイエルラインに向かって歩き出す。
その時初めてバイエルラインは、ミッターマイヤーが爆発に巻き込まれた時に負った額の傷を見つけた。手当も拒み、割れた傷口はもうすでに乾いて、赤黒く腫れている。
擦れ違い様、彼の肩を掴んだ指先は力なく小刻みに震えていた。
「頼む。もう少しでいい…みんなと居させてくれ」
バイエルラインは痛々しい背中に敬礼し静かに部屋を出ると、扉に凭れて泣けないミッターマイヤーの代わりに声を上げて泣いた。

季節が逆戻りしたような寒気と霧雨の中、葬儀は帝国を挙げて行われ、ミッターマイヤーの指示によりテロ行為の悲惨さを訴える名目で全帝国領土に中継された。
立体映像に映し出されるミッターマイヤーの横顔は、何の感情も持たない作り物の彫像のようだった。
本来なら葬儀の中継をするなど望むはずもなかったが、ミッターマイヤーはその最愛の家族の死すら利用しなければならない立場にあった。
あの日、あの遺体安置所にバイエルラインが着いた時、ミッターマイヤー自身の中で既に葬儀は終わっていたのだった。
その時から、ミッターマイヤーには家族もなく、帰る家もない。
若々しかった表情はすっかり消え、何も語らず、何にも混じろうとせず、独り黙々と彼に与えられた職務をただひたすら果たそうとしている。
誰の同情も寄せ付けようとしないその厳しい姿に、同僚も部下達も胸を痛めるばかりだった。

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