イゼルローン標準時 8月29日 AM2:00
10時間以上待たされた挙げ句の輸送艦入港。
乗艦していたのは平民出身の指揮官及び彼等が率いていた部隊と所属の徴集兵、下士官ら数千人。
時間外として下艦後の検疫チェックにも時間がかかり、ウォルフガング・ミッターマイヤーがようやく軍港ゲートを出たのはAM5:00を回る。
どれだけ功績を挙げても、人の何倍も働いた実感があっても、軍人としての階級以前の人間を選り分ける身分制度にどれだけ歯噛みさせられてきたことか。
解放されほっと溜め息を付き、肩に担げばふらつくほどの荷物と、作戦行動の記録類を手にして、疲れ切って目の奥がずきずきと痛むのを振り切るようにミッターマイヤーは歩き出す。
AM5:30
陸戦用の装備や小型の武器をオフィスに戻すと、作戦行動が終わった実感が湧いてくる。
彼とともに部隊を指揮したオスカー・フォン・ロイエンタールとは、この作戦を成功に導いたことで昇進が約束されている。
これで昇進すればこれからは艦隊指揮官として宇宙に出る機会も増えるに違いない。
この瞬間を望んで軍人になった彼にとって本来なら心が浮き浮きするような昇進に違いないのだが、この国の現状と、戦争の現実は、彼の心に憂鬱な影を落とすことも多い。
兎に角、淡々と仕事は終わらせねばならない。
持って帰った作戦行動のデータを端末から送信しておく。
口頭での報告は上官が出仕する時間に合わせなければならないのだから。
貴族出身の直属の上官はとっくの昔に帰還しており、ミッターマイヤーは負傷兵達の世話も、現地の後始末も最後まで関わってきた為に3日遅れで帰り着いたのだ。
コーヒーも飲まずに小一時間を過ごして、ミッターマイヤーはオフィスを後にした。
AM7:00
疲れは頭痛に加えて首筋や肩の怠さにも広がっている。
足取りも重く、病院艦で運ばれた重傷の傷兵達の様子を窺う為に軍病院へと向かう。
今回参加した徴集兵の中に、彼と同郷の年若い少年がいた。
最後の最後、施設を脱出する際に多くの犠牲者が出てしまったのだが、ミッターマイヤーの誘導で多くの少年兵が火炎に包まれた死地を脱した。
それでも、次々と締まる防火シャッターの向こうで何人が犠牲になったことだろう。
ようやく安全地帯に抜けたと思った瞬間、ミッターマイヤーの目の前で、その少年はシャッターに片方の足首を挟まれて動けなくなってしまったのだ。
びくとも動かない扉は、逆にぎりぎりと足を締め付ける。
激痛にのたうつ少年に詫びながら、ミッターマイヤーはレーザー銃で彼の足を切り落とした。
「具合はどうだ?」
「大尉…」
早朝にも拘わらず姿を見せたミッターマイヤーに、少年はにっこりと笑った。
「もう大丈夫ですよ。大尉は命の恩人です」
その笑顔と言葉に、ずっしり重かった疲れが少し軽くなる思いがする。
結局少年の足は膝から下を切断した。
今は義足も発達しているとはいえ年若い少年に辛い思いをさせてしまったことにミッターマイヤーは指揮官として責任を感じている。
間もなく彼は除隊となって故郷に帰ることになるだろう。
職業軍人として戦禍のただ中に身を置く彼自身、戦争は早く終わらせなければとの思いを強くする瞬間だった。
AM9:00
オフィスに戻り、報告書の作成にあたる。
端末の通信データを整理していると、三日前、要するに最初の帰還組がイゼルローンに降り立った時間を軸にして様々な予定が入ってきている。
勲章授与、昇進辞令の交付等の式典はその日から一週間後だそうだ。
「やれやれ」
確認したいことがあって一足先に帰還している筈のロイエンタールに連絡を入れるが返事が来ない。
不眠不休だったこともあって少しいらつく。
資料を整え、報告書の大筋を作り終えると気分転換のために席を立つ。
だが、向かったカフェコーナーでは、今一番会いたくない連中と遭遇してしまった。
「おや、大言壮語の大尉殿ではないか」
「君の作戦で、我々は危うく命を落とすところだったよ」
「まったく、指揮官の名に値しないクセに、今回もちゃっかり昇進らしいな」
──貴族のバカ息子共め。
ミッターマイヤーは思わず握り拳に力を込める。
今回の作戦行動では、ロイエンタール指揮する隊との行動がシミュレーション通りに成功しつつあった。
難しい局面も彼等だからこその絶妙のコンビネーションで切り抜け、このまま無駄な犠牲を殆ど出さずに作戦は終了する、という段階で、華々しい手柄を全て持って行かれてしまうと焦った貴族中心の後方部隊が横やりを入れてきた。
彼等はミッターマイヤーの作戦故の迅速な行動に付いてくることが出来ず、ロイエンタールの指揮する緻密な布陣に穴を開け、今回の部隊の一番の弱点であった少年兵達への集中砲火を招いた。
この功を焦った連中のお陰で、作戦での一番大きな犠牲が無事に戦場から送り返してやりたかった少年達になってしまったのだった。
──戦場ではからきし役に立たないクセに、こうして戦場以外の場所に来れば口だけは達者だ。
ミッターマイヤーにもうほんの少し元気があったなら、彼を取り巻いた連中を殴り倒していただろう。
だが、24時間以上も睡眠を取らず、ろくに食事も摂ってない今の状態で彼に遭遇したことを、無能な若者達は感謝すべきだった。
「話はそれだけか?」
地の底から響いてくるかの如き不機嫌な声を出し、ミッターマイヤーは疲労で血走った目を上げた。
鋼色の瞳には何の感情も映し出されず、睨み据えられた若者達の背筋を凍らせる。
口々に捨て台詞を吐き散らして邪魔者は消え失せ、ミッターマイヤーの周りは静かになった。
もちろんミッターマイヤーに新たに濃縮された疲労感を押し付けて。
AM11:30
ようやくオフィスに現れた上官に口頭にて帰還報告をする。
やはり貴族上がりの軍人らしく、貴族部隊の失策についてくどくどと言い訳を始めた。
(君の)作戦の欠陥も、(その結果もたらされた)兵士の犠牲も、(君の)昇進を推すことで不問と言うことに、のくだりでは流石に心拍数が跳ね上がったが、ここで不毛な言い争いをしたところで失われた命も、あの少年の防火シャッターの向こうに置いてきた足も戻らない。
小一時間ほどの無駄な時間が過ぎた頃、上官がこれ見よがしに懐中時計の蓋を開いたので、ミッターマイヤーはその場を辞した。
「いやあ、済まないな。これから軍務省の役人とランチの約束でね。あ、報告書は式典の前に提出してくれたまえよ」
計画立案、準備、シミュレーションと訓練、補給交渉、現地で収集したデータと作戦本番の経過、犠牲者と負傷者の数、味方装備の損害…まだまだ上げればキリのない膨大な量の報告書を式典の前までにだと?
ミッターマイヤーは辛うじてデスク上に展開するモニター画面への破壊衝動を堪え、端末のスイッチを切ると、今まで感じなかった空腹を満たすためにオフィスを出た。
PM2:30
食事をしようとオフィスを出たものの、行きつけの店は休み。
仕方なく街中のファストフードコーナーで腹の足しになりそうなモノを調達してオフィスに戻る。
報告書を作りながらもそもそと食事をし、酷くなってきた頭痛を宥めるためにアスピリンを飲む。
疲れた目でモニターを眺めていてすっかり乾いてしまったのに気が付き顔を洗う。
鏡に怖ろしく血走った己れの目が浮かんで思わずぎょっとする。
思い出してロイエンタールに再度連絡を入れるがやはり返事がない。
またもやいらいらが募ってくる。
俺が今日帰還するのは知ってるはずだ。
上官への報告だって、本来一緒にするのが普通だろう。
報告書の作成も、俺任せってどういう訳だ?
…俺は一体何時から寝てないんだっけ?
とりとめのない堂々巡りは柄ではないのだが、如何せん集中力が持続しない。
仕方なく定時で切り上げてオフィスを引き上げることにする。
PM6:30
イゼルローンに士官相手の高級店は様々あれど、ミッターマイヤーは以前から家庭料理を食べさせてくれる庶民的な店が好きだった。
空腹だと思ってわざわざ足を運んでみたものの、いざ何か注文しようと思うとほとんど食欲が湧かず、ビールと簡単なつまみを口にしただけで早々に店を辞す。
「ミッターマイヤーじゃないか」
「モレンツ、エアハルト」
外に出て、士官学校時代の友人にばったり出会う。
ちょっとした挨拶の後は、いつも何処かで聞かされる話になる。
「たいした出世してるようだな」
「知らないのか?エアハルト、ミッターマイヤーは良い友人を持っているのさ」
「ピンチの時に救いの手を差し伸べてくれる貴族様でも見つけたって事か?」
ミッターマイヤーは家に帰っても出世したことや華々しい活躍のことを褒めそやされるのが嫌いだ。
それでも家族やご近所はほんとうの戦場の姿を知らないのだからしょうがないと割り切ることが出来る。
が、こういう軍の同僚達の言葉には我慢がならない。
軍隊がどういうところか、戦場がどんなものか、知らないはずはないのに。
それに、ミッターマイヤーが次々と功績を挙げて出世して行くのだって、それなりに懸命に努力しているからであってその他の理由など全くないと断言できる。
彼はそんな言葉の刺に嫌気がさして同僚達と距離を置くようになっていた。
約束があるからと言って、そそくさとその場を離れる。
PM8:00
官舎に戻ろうとして部屋のカードキーを忘れたことに気付き、とぼとぼとオフィスに戻る。
今日一日を振り返り、なんてついてない、味気ない一日だったのだろうと暗澹たる思いに駆られ、こんな日はさっさと寝てしまうに限る、と乱れた蜂蜜色の頭部を一振りしてひとりごち、エレベーターのボタンを押す。
ポーン、と軽い音がして開いたエレベーターには、数人の士官が乗っており、それと認めたミッターマイヤーは思わず立ち尽くした。
「どうした、ミッターマイヤー。乗り賜え」
命令口調に一歩踏み出すと、背中でエレベーターの扉が閉まる。
「無事の帰還、なによりだ」
背の高い、神経質そうな貴族の男。
「昇進するそうだな、ミッターマイヤー。今後の補給交渉も君が当たるよう、指名させて貰うよ」
エレベーターが止まり、すっと伸ばされた男の手がミッターマイヤーの肩を掴む。
彼が下の階に行きたかったのとは反対に、最上階で男と取り巻き達はぞろぞろと降りて行く。
全身が粟立ち、暫しの間身動ぎもしなかったミッターマイヤーは、1階のボタンを押し、尚かつ扉の閉まるボタンをカタカタと押し続ける。
エレベーターが止まるや、足早に1階の玄関ロビーに出て深呼吸をする。
人としての尊厳を踏みにじるハラスメント行為。
たとえ弾丸ひとつ、ビスケットひとつでも、戦場で誰かの命のために役立つのならとの思いで堪えられる。
それでも。
何時までも踏みにじられるだけの存在で居たい訳ではない。
軍需物資に関しての不正は、最前線で命を賭ける兵士達にとって最悪の背信行為だ。
不正はけして許さない。
だが、今そのことを考えると疲れと沈鬱な気分に拍車がかかるだけだった。