森高千里 バイオグラフィー

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Biography

1987
5月25日「NEW SEASON」でアーティストデビュー。
1988
セカンドアルバムのタイトル曲『ミーハー』で初めて作詞を手掛け、その独特な視点で描かれた歌詞が注目される。同年夏、ツアーのリハーサル中に腹痛で1週間の入院生活を余儀なくされ、病名が「ストレス」だったということから、この入院体験をもとに「ザ・ストレス」が完成。この曲で更に歌詞のユニークさが話題になり、この作品以降ほぼ全ての作詞を自ら手掛けるようになる。
1989
「17才」がヒットし、一躍脚光をあびる。アルバム『非実力派宣言』(カーネーション参加)、90年に発表したシングル『臭いものにはフタをしろ!!』『雨』、アルバム『古今東西』など、発表する作品で作詞が高く評価される。特に『雨』は同性からの支持も当時から高かった。学園祭にも積極的に出演、「学園祭クイーン」の呼び声も。自らが生地選びやデザインから参加した、総スパンコールの衣装で撮影したプロモーションビデオやライブが話題になる。
1991
アルバム『ザ・森高』を発表。 カーネーションのアルバム『エレキング』にボーカル・作詞で参加。
1992
アルバム『ROCK ALIVE』ではギターも演奏。アルバムからのリカットシングル「私がオバさんになっても」の大ヒットで女性の心を掴み、コンサートツアー『ROCKALIVE』では、女性ソロシンガーとしては初めての、全国47都道府県(全60ヵ所)をまわるツアーを敢行。全国10万人を動員する。この全国行脚の体験から、後に県名・県庁所在地・名物名産品を羅列した「ロックンロール県庁所在地」が誕生。当時も「勉強に役立った」「こういう曲を待っていた」と好評を博し、現在でも小学校のお遊戯の曲などで使われているところがあるという。同年11月のアルバム『ペパーランド』では大半の曲で楽器(ドラム・ギター・ベース・ピアノ等)を演奏、ローファイを先取り。
1993
シングル「渡良瀬橋」「私の夏」「風に吹かれて」のヒットでその独特な森高サウンドを確立し、前年を上回る全都道府県(全61ヵ所)をまわる『LUCKY SEVEN』ツアーを行う。全国15万人を動員。    「渡良瀬橋」のヒットにより、栃木県足利市長より、感謝状を贈呈され、今でも多くの観光客が訪れる観光スポットになっている。「ハエ男」のプロモーションビデオでは8分を越える作品を制作、フジテレビ系ポンキッキーズ用に子供の目線で描かれた「ロックンオムレツ」のプロモーションビデオでは、リリーフランキー氏のアニメとコラボレーションをするなど、映像作品としても話題に。シングル『風に吹かれて』が、自身初のオリコンチャート1位を記録。
1994
顎関節症の為に予定されていた全国ツアーをキャンセルし、2年間コンサート活動を休業。シングル『素敵な誕生日』が、オリコンチャート1位を記録。
1995
当年度発売のベストアルバム『DO THE BEST』は自身初のミリオンセラーに(160万枚)。泉谷しげる氏のアルバム『追憶のエイトビート』にコーラスで参加。泉谷しげる氏主催の阪神大震災支援コンサートに参加するなど多彩な活動を行なった。1996年4月21日・28日横浜アリーナにて「DO THE BEST」と題したコンサートを行い、コンサート活動に復帰。    シャ乱Qのアルバム『GOLDEN Q』にドラマーとして参加。
1996
顎関節症の為に予定されていた全国ツアーをキャンセルし、2年間コンサート活動を休業。シングル『素敵な誕生日』が、オリコンチャート1位を記録。
1997
ビートルズがレコーディングをしていた念願のロンドン「アビーロードスタジオ」で、アルバム『PEACHBERRY』のレコーディングを行い、本人の念願叶う。   この年、ローソンのCMシリーズで細野晴臣氏と夫婦役で共演したのをきっかけに、翌年コラボレーション・アルバム『今年の夏はモアベター』を発表。テイ・トウワ氏アルバム『SOUND MUSEUM』、CHARAのアルバム『Junior Sweet』、吉田拓郎氏アルバム『みんな大好き』にドラマーとして参加。Act Against AIDS‘97(日本武道館)に参加。
1998
アルバム『SAVA SAVA』(作家としてスガシカオ参加)を発表。LIVE GIRLPOP ACT22ゲスト出演(日清パワーステーション)。コンサートツアー「SAVA SAVA」では、本人の強い希望により、ライブハウスでのツアーも行う。
1999
江口洋介氏と結婚。所ジョージ氏アルバム『洗濯脱水』にドラマーとして参加。アルバム『Mix age』『hervest time』を発売。
2000
長女を出産。





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