〜青石綿の使用量〜
ニチアス(株)は、旧社名を日本アスベスト(株)という。
(1896年(明治29年)、大阪に設立)
いわずと知れた、アスベスト業界最大手の企業である。
現在の(社)日本石綿協会会長は、 ニチアス(株)社長である田中勇氏。
それ以前は、ニチアス社長だった音馬峻氏(現最高顧問)が、長年にわたり石綿協会会長をつとめてきた。
現在、ニチアスがHPで発表している「アスベストによる健康障害者数」は、
死亡者数 141人、療養者数 24人(じん肺を含む)
(じん肺を除くと、死亡者数 86人、療養者数 6人)
被害者数でも群を抜いている企業であることがわかる。
「当社のアスベスト(石綿)の使用状況、健康障害状況およびその対応について」
−ニチアス(株)2005年7月5日
http://www.nichias.co.jp/ir/investor/irnews/2005/20050705.pdf
この冒頭、クボタの神埼工場で、周辺住民の健康被害の主な原因と考えられて使用量が問題になったクロシドライト(青石綿)の使用状況について、ニチアスでは次のように発表している。
「当社では、昭和46年末に青石綿(クロシドライト)、平成4年に茶石綿(アモサイト)の使用を中止しました。」
そのほかの資料、「アスベスト含有製品リスト」などでも、すべて「自社工場での青石綿製品の製造は、1971年(昭和46年)に中止しております。」としている。
「過去に販売したアスベスト含有製品リスト」(ニチアス(株))
http://www.nichias.co.jp/asbestos/pdf/050906_02.pdf
さて、そこで、不思議な問題がでてくる。
日本アスベスト株式会社の、「有価証券報告書総覧」を見ると、当時の「主要原材料の仕入れ及び消費状況」は、次のようになっている。
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昭和47年4月1日〜9月30日---------
(青石綿)仕入 0
消費 455.7 屯(トン)
期末在庫 322.6
昭和47年10月1日〜48年3月31日
(青石綿)仕入 −
消費 302.9
期末在庫 19.7
昭和48年4月1日〜9月30日
(青石綿)仕入−
消費 19.7
期末在庫 −
「有価証券報告書総覧 日本アスベスト株式会社(大蔵省印刷局発行)−’73.3」「'73.9」より抜粋 (単位は屯:トン)
これによれば、ニチアスの前身である日本アスベスト(株)は、昭和47年(1972年)には、青石綿の輸入は行っていなかったが、在庫があり、昭和47年度で、758.6トン、昭和48年度に19.7トンを「消費」していたことがわかる。
(これで青石綿の在庫はなくなった。)
ニチアス(株)は、青石綿の使用を「1971年(昭和46年)に中止した」と発表しているわけだから、1972年〜73年(昭和47年〜48年)にかけて「消費」した、778.3トンはどこに消えたのかということになる。
「自社工場での(青石綿製品の製造は)」という部分に秘密があるのか、それとも、ニチアス袋井工場(静岡県)では、大量のアスベスト製品が地下に埋められていることがわかって問題になっているから、どこかに埋めたりすることもあるのだろうか?
「消費」ということが、何を意味するのかわからない。
ニチアス(株)のHPでは、「アスベスト(石綿)関連情報」
http://www.nichias.co.jp/asbestos/index.html
のページが作られているが、被害者数のデータはここには掲載されていない。
「Q&A」のあとは、「当社脱アスベスト製品の状況」、「無石綿証明発行リスト」になっている。
「アスベストを使った」ことより、「使わなくなった」ことを大々的に宣伝して、被害者の発生は隠すという姿勢が貫かれているのは、大勢の被害者発生が問題になって、企業の責任が問われている今も変わらない。
青石綿の使用量が問いかけている、もう一つの問題である。
つづく (2006.1.15)K.OUCHI