「開かれた県政」を求めて-目次-

条例改正の行方(6)-既得権益の行き先

−静岡県の情報公開条例について考える−


1996年3月、静岡県では、地方分権の推進に熱意ある職員を中心に組織された「地方分権研究会」が、一つの報告書を、国や県に対する提言として発表していた。
この研究会は、平成6年に、国の地方分権の流れを待つだけでなく県独自の取組が必要との考えから、職員の有志を中心に作られたもので、2年間にわたる地方分権の在り方について研究をまとめたものだという。

「地方分権の推進のために」と題する報告書を開いてみると、地方自治体の能力や職員の資質は、ともに国に勝るとも劣らないものだ、国は地方自治体に対する不信や縦割り行政の壁を乗り越え、既得権益に拘泥することをやめるべきである、「国が考え、地方自治体が実行する。国=頭脳、地方自治体=手足」という思考を改めるべきだといった、率直な主張が展開されていることに驚く。

自分たちの自治体の職員が、国に対してこのように明確な意見を述べていたとすればそれは誇らしいことだが、その一方で、「地方分権は、いざ具体的に進めていこうとする段になると、ともすれば国と地方自治体相互の事務権限の在り方の問題だけに目が向けられて、住民不在の議論が行われがちであった」という認識が、提言の中にどのように生かされているのかと感じる。

言われているように、「地方分権」を求めるということは権限の取りあいとは違う。国、地方自治体、住民を、従来の縦並びの社会とは異なる、上下関係ではない社会構造の中でとらえて、それぞれの主体性をもとに作り出して行く社会を求めることだと思う。
本来なら、権限の委譲の行きつく先には、地方自治の担い手であるべき自立した住民が見えていなければならない。情報公開や県民参加といった、県民との関係をどのように作って行くのかという問題を抜きには、地方分権は考えられないはずなのだ。

報告書の中で、地方への権限の委譲を求めて国に対して意見を述べている姿は、私たちが今ここで、情報を独占しつつ行政活動を進めようとしている地方行政に対して、参加や協働、情報の共有といった言葉で新たな関係を求めようとしている姿勢と重なり合うものがある。
求めるものは同じ、並列の関係である。 にもかかわらず、積極的な提言とも受け止められるこの報告書の中に、地方自治の本来の担い手であるべき住民に自分たちの得ようとしている権限を橋渡ししようとする方向性が見出されなかったことを残念に思う。

報告書の中では、地方分権が進まないことについての国側の言い分として、「権限を委譲しても、地方自治体には事務を執行する能力がないのではないか」といわれていることをあげていた。
この国側の見方に対して、「地方自治体に事務を執行する能力がないのでは決してなく、中央集権的な行政システムが続いて、権限が国に留保された結果、地方自治体に権限のない部分においては、自主的・自立的に事務を処理する経験が不足しているといわれているのに過ぎない」と意見が述べられていた。

長い間続いた中央集権的な行政システムの中で、自ら働きかけるということを忘れているように見える住民に対して、それを働きかけることもまた、地方分権の推進の一つとして地方自治体がやるべきことではないかと考えながら、自分たちの言わんとしていることが、何年も前のこの報告書の中で、同じように展開されているような気がして不思議に思うのである。

(つづく)

------------ 資料 --------------

 〜地方分権推進のために〜静岡県地方分権研究会 H8.3

第一編 地方分権を概観して

3 地方分権を阻むといわれるもの

(1)国の地方自治体に対する不信

 各方面から地方分権を推進すべしという声が揚がりながら、今日までなかなか具体化しない原因の一つとして、国の地方自治体に対する不信が挙げられる。  国の地方自治体に対する不信から、端的に、地方自治体(職員を含めて)はいいかげんであり、地方自治体に任せておくと何をするかわからないから、地方自治体に権限は渡せないといわれる。
 しかし、高度情報化社会といわれている中で、ひとり地方自治体が、国から隔絶され、懸け離れた概念、知識の下で独特の思考や行動様式を持って運営しているなどといったことは考えられない。加えて、国と都道府県、都道府県と市町村との人事交流が活発に行われているとともに、各地方公共団体においても職員研修制度が充実しており、事務に関する知識をはじめとして職員の資質は国に勝るとも劣らないものといえる。とりわけ都道府県の政策能力、事務執行能力は飛躍的に向上しているといえよう。

(2)国の既得権益を守ろうとする姿勢

 過去、臨時行政調査会、臨時行政改革推進審議会や地方制度調査会などが政府に提出した権限委譲などの答申は、各省庁に提示される段階で、官僚の猛反発に合い、骨抜きになるパターンが繰り返されている。最近の例としては、平成5年度に発足した地方分権特例制度(パイロット自治体)が詰めの段階で各省庁の官僚の抵抗により、法的な措置から現行法の枠内での特例措置にとどまったといわれている。
 しかし、今や、国における政治行政は、対外関係に重点を置き、内政一般は地方自治体に任せていくことが、国民の、また国際的な要請であり、国はもはや内政一般を掌る姿勢に固執すべきときではなく、権限の保持に拘泥すべきでもない。

(3)地方自治体の国に対する依存体質

 地方自治体の側にも、中央集権的な行政システムが長く続く中で、「国が考え、地方自治体が実行する。国=頭脳、地方自治体=手足」という思考の下に、国の指示を待ち、自ら考え、工夫することをしない姿勢が根強く残っているといわれる。
 しかし、郊外や環境、地域開発などの分野を例に挙げるまでもなく、地方自治体が先進的行政を主体的に展開し国の施策を、先導してきたことは自明の事実であり、今日では積極的な地方行政のアイデアや施策が国の制度に取り込まれてきている事例が多く見られるなど、地方自治体こそが内政の重要なキーパーソンであることは疑いを得ないものである。

(4)地方自治体の実力不足

 地方分権が進まないことについての国側の言い分の一つに、権限を委譲しても、地方自治体には事務を執行する能力がないのではないかということがいわれる。
 しかしながら、地方自治体に事務を執行する能力がないのでは決してなく、中央集権的な行政システムが続いて、権限が国に留保された結果、地方自治体に権限のない分野においては、自主的・自立的に事務を処理する経験が不足しているといわれているのに過ぎないものであり、現在の地方自治体の職員及び事務処理体制をもってすれば、処理に困難を来す事務は基本的には有り得ないものといえよう。

(5)住民の理解を得るための行政の努力不足

 地方分権は、いざ具体的に進めていこうとする段になると、ともすれば国と地方自治体相互の事務権限の在り方の問題だけに目が向けられて、住民不在の議論が行われがちであった。
 このため、国及び地方自治体の双方に、地方分権が住民にもたらすメリットや、行政と住民が共同して地方分権を推進していく必要性などについて、住民の理解を求める取組が不足していることがいわれる。
 これまでの地方分権の議論は、いずれかといえば国が中心となって進められ、しかもある程度の集約を見ながらも掛け声だけに終わることの繰り返しであり、地方公共団体にとっては実現性に懐疑的にならざるを得なかったという経緯も認められる。
 しかし、地方分権推進法の成立を契機として、今後は、国、地方公共団体が一体となって住民を巻き込みながら、住民福祉の向上のために地方分権の推進に取り組んでいかなければならない。

(「地方分権推進のために−静岡県地方分権研究会報告書-H8.3」より抜粋)

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