静岡県で情報公開条例の改正手続が進む中、国では、情報公開法に定めた手数料を決めるために意見募集が行われ、最近、提案されていた手数料のうち、請求手数料を1件あたり300円、コピー代を20円とすることなどが決められたという。国の情報公開法と県の条例とは、開示のための手続が異なるため、単純に手数料の額は比較することはできないが、国の場合、密接な関連性が認められる文書はまとめて1件と数えられることが提案されていたため、今のままだと、静岡県のほうが、国の手数料よりも高額になる場合も出てくることになる。
しかし、制度の違いを前提とするならば、国の手数料を参考に決めることが適切なのかといえば、そういうことはない。
それはなぜかといえば、求められている「説明責任」の意味が異なっているからである。国の場合、説明責任を求められている行政機関は、議院内閣制という間接民主制の下で、国民に対して説明責任を負っているのに対して、地方自治体の場合、県民である有権者は、首長である知事を直接、選挙によって選出しているから、行政機関の長としての知事は、自らを選挙によって選出した県民に対して、直接説明責任を負っているといえる。
知事は、自らを選出した県民に対して、公約をどのように実現しているのか検証するための資料を提示するべきであるし、次の選挙の際に、有権者が適切な情報をもとに選挙権を行使することができるように、判断のための材料を提供する必要性がある。
静岡県において、請求によっては、1回の請求であっても何十万もする閲覧手数料を取ることができるようになっているということは、裏を返してみれば、静岡県の場合、知事が、自分を選出した県民に対して、自分のとっている政策や行政活動について説明をする際に、県民が何十万も支払わない限り、説明をしないようになっていると同じことになるのだ。
それでは、静岡県の考える民主主義とはいったいどういうものなのかという問題になる。情報公開条例は、地方自治の原則に根ざして、自分たちの行政活動を県民にどのように説明して行くのか、また、地方分権を推進しつつ、どのような形で県民との関係をつくり、それをもとに自分たちの自治体を作り上げて行くのかという、県の基本姿勢を定めるきわめて重要な条例になっている。
それを考えるならば、他の都道府県に比べて特別に高額な手数料を支払わなければならなくなっているということは、静岡県の姿勢を示す上で重大な汚点ともなりうるものなのだ。
それが重視されてこなかったということは、そのような受け止め方がされてこなかったということを意味する。県民にとって、これほど落胆させられることはないのである。