なんと15回も出てくるのだ。何がかというと「情報公開法にならって」という文言がである。
2月21日に行われた静岡県の第6回情報公開懇話会では、県民から出された意見について一致点をまとめた後、その一致点に基づいて、あらかじめ用意されていた「提言の素案」に対する検討に移った。
この「素案」は、この後提出される予定の提言について、A4版15ページにわたってまとめられた案であるが、この15ページの中に、「情報公開法にならって」という文言が15回も出てくるのである。
ひどい個所になると、1頁に4回も繰り返し出てくる。実に「この法律の趣旨にのっとって」「情報公開法との整合性を図りながら」なども加えれば、数はもっと増えてしまうのである。ここまで呪文か何かのように「情報公開法にならって」という文言を繰り返し書き加えなければ気がすまない心境というものは、県民にとっては全く理解できない類のものだ。
なぜそこまで情報公開法にならわなければならないのか、それほど繰り返し書き加えようという気持ちがどこから生まれるのか、そして、これほど繰り返し出てくることについて、委員が何も違和感を感じないでいられるのはなぜなのだろうか・・・疑問が次々と思い浮かんできて、衝撃で言葉も出ない。この素案は、懇話会委員10名のうち、会長と会長代理のほか数人の委員によって作成されたものであるという。
審議の中では、ある委員から「他県において・・条例がすでに制定されているから」という表現について、他の都道府県がやっているからやるという感じの表現で、県が自らの考えで決めたという感じが損なわれるような印象を与えるのではないかという内容の意見も出されていた。
しかし、繰り返し繰り返し出てくる「情報公開法にならって」という文言については、誰も何も違和感は感じなかったようであった。条例の目的についての審議の中では、別の委員から、「説明責任」を書きこむ際の表現のしかたによっては、県が、将来、説明責任を果たさないことを理由として県民から損害賠償などを請求される根拠となる危険があるのではないかと危惧しているという内容の発言があった。そのことが、県にとって、将来にわたって禍根を残すことになりはしないか心配だというのである。
自分たちが何を問われているのか、誰にとって禍根を残すことなのか、「情報公開法にならって」という文言が随所にちりばめられている提言を、静岡県の情報公開懇話会の提言として出すことがことが、委員自身にとって将来に禍根を残すことになりはしないのか、もう一度よく考えてみてほしいものである。自分たちが、地方自治体の情報公開条例を作るための提言を県に対して出そうとするときに、何をどう守っていかなければならないのか、最も重要な視点が欠けてしまっているのではないかという感じがぬぐえない。
おりしも3月8日、全国市民オンブズマン連絡会議が発表した全国情報公開度ランキングで、静岡県は例年どおり「失格」の評価を受けた。
9日の朝日新聞によれば、これについて県情報公開室は、「国の情報公開法成立を受けて現在、県情報公開懇話会で制度の見直しを話し合ってもらっている。その提言をもとに、手数料の扱いや対象となる公文書など具体的な内容を検討したい。」と答えているという。
地方自治を守る、そのために情報公開条例を作るという視点が欠落しているこの条例改正が持っている限界というものは、もしかしたら、県民の側から今後どのように改善を図ろうにも、修復ができないほどの致命的な欠陥であるのかもしれない。いくら「知る権利」を入れて、閲覧手数料を無料とし、請求権者を「何人も」としても、この中にどうしても吹き込まれなければならない魂のようなものが抜け落ちてしまっている。
15回も繰り返される「情報公開法にならって」という言葉が、私たちに、繰り返し繰り返しそのことを考えさせようとするシグナルのように響く。*この「提言の素案」は、県のホームページの次のページにあります。
http://www.pref.shizuoka.jp/~soumu/sm-07/konwa/061.pdf(つづく)