早過ぎた「安全宣言」のなぜ
それにしてもなぜ、野菜のサンプリングや検査だけが、これほどすばやく行われることができたのだろうか。
新聞報道では、東海村が、現場から半径350m以内の約40世帯に避難要請を出すことになったのは、30日の午後3時ころという。予測もしていなかった民間の会社で起った事故だったため、避難場所の特定に手間取り、決まってから避難を要請するまでに1時間もかかったともいわれている。
結局、情報伝達の遅れや避難場所の選定に戸惑い、実際に避難をはじめたのは、事故から5時間もたった、午後3時半頃だったらしい。小渕首相を本部長とする事故対策本部が設置されたのは、夜の9時になってからだった。
茨城県の対策本部の担当者が、事故直後から採取したと言っていることがもし事実であるとすれば、まだ周辺住人にも深刻な放射能漏れ事故が起っているということが十分に伝わっていないうちに、職員はサンプルを集め、検査機関に運んでいたことになる。まだ事故の全容どころか、何が起っているのかさえわからない時期だった。
それはいったい誰の、どのような指示で行われたものなのだろうか。消防や科学技術庁や安全委員会が突然の事故で大混乱に陥る背後で、もうひとつ別の動きがあって、そこでは冷静沈着な決定がなされ、すばやく実行に移されていたことになる。
茨城県のホームページ、野菜のサンプリング検査の結果について
http://www.pref.ibaraki.jp/news/99news/n991001_08.htm
によれば、10月1日付けで検査結果が出ていたのは6種類、距離には単位は示されていないものの、
那珂町本米崎 ピーマン 距離1.0
那珂町横堀 小松菜,大根 4.0
東海村石神外宿 サツマイモ(葉,いも) 1.8
東海村舟石川 サツマイモ(葉,いも) 1.3
東海村舟石川 ネギ,白菜 1.3
那珂町後台 白菜,大根 8.0
で、安全性は○となっていた。30日の3時半といえば、現場で被曝した重症の3人が、ヘリコプターで、千葉の放射線医学総合研究所にやっと到着した頃でもあった。
現場周辺では、雨も降っていたらしい。
その雨の中で、誰が、どのようにして集めていたのだろう。そして、誰の、どのような指示で検査が行われ、そのあと、どのような経過で「安全宣言」が出されることが決まったのだろうか・・・そのことを知りたい。