2. これまでの取組
(1) 県や市に対して−参加と情報公開−

 当初、アスベストについて、静岡県や静岡市に問い合わせをすると、いつも決まって「アスベストはもう今は使われていません」「公共施設からは、吹き付けアスベストはすでに除去されています」という返事が返ってきた。ひどい場合には文書でもそう回答された。

 しかし、1989年に「アスベスト対策大綱」を掲げ、アスベスト対策に全国に先駆けて取り組んでいた東京都でも、都所有の建築物のうち、十数パーセントは、まだ除去工事が行われていないことがわかっていた。静岡県や静岡市で、除去工事が全て終わっているとしたら、それはとてもすごいことになる。それではどのようにして除去工事が行われたのか、除去工事などの記録を調べてみて、処理された経過を確認してみようということになった。

 そこで、県や市の情報公開制度を利用して、アスベスト関連の書類を請求し、除去状況を調査した。

 県では、関連する課に集まってもらい、アスベスト関連の資料が残されていないか聞いた。
 しかしアスベスト関連の資料はすべて廃棄されていてないという。
 「文書なし」では不服申し立てができないと聞いていたので、「文書なし」の回答になるなら、それぞれの責任ある立場の正式な回答が欲しいと、各課にもう一度集まってもらって質問の趣旨を説明した。

 それでも、「文書なし」の回答が何枚も集まってきた。正式文書でなくてもメモ書きはないか、どこをどう調べてくれたのか、関連する課に一カ所づつ話を聞いていった。

 いくつかの課ではメモを見せてもらった。それでも、「そんなものがあるはずはない。うちは一切関係ない。」「アスベスト関連の資料なんかなぜ集めるんだ。そんなことをして何になるのか。」そう言って、相手にさえしようとしない課もあった。

 情報公開で公式に「文書なし」という回答を出し、平然と関係ないと言ってはばからなかった課が、ちょうどその時、アスベスト含有のロックウールを除去する工事をしていたことが後でわかった。除去工事中の濃度測定すらもしない、ずさんな工事だった。

 事実は、半年以上たったころ、新聞社の記者に対して公表された。  このような悪意があるとしか思えないような情報の隠匿が行われても、公開を請求した住民は為すすべがない。指摘をしても、訂正して謝ってもらうことすらもできない。

 住民の参加や協力が、行政から見ると決して期待も歓迎もされていないものであって、環境基本法や条例でいう情報の提供が、情報公開制度で裏打ちされていてもなお、現実に機能することが難しい実状を示すものだった。

 一方、対策はすでに済んでいるといわれていた静岡市では、吹き付けロックウールの除去工事などの記録がたくさん残されていた。

 そんな中で、7団地、43棟、総戸数1750戸あまりもの市営住宅で、約半数の870戸の天井に、囲い込み工事は行われていることがわかってきた。建材に覆われてはいるが、まだ今もアスベスト含有のロックウールが吹き付けられたままになっている。さらに、残りの半数の住宅にもそのままで残されている疑いも出てきた。

 しかし、市はそれを確認するために全戸の調査すらしようとはしなかった。危険な物質が使われていることを居住者に知らせて、何らかの被害の防止を図ろうとする姿勢を求めたが、それはできなかった。ひた隠しにして、何とかわからないままにしておこうとするやり方は、今の行政の基本的な姿勢をよく物語っている。

 とはいえ、このような中で、大気汚染防止法の改正ともからんで、県は県内市町村も含む公共建築物のアスベスト含有の吹き付けを調査した。地震に伴う有害物質の調査と同時に、一部の民間の建築物のうち、どの程度に吹き付けアスベストが使用されているのかもアンケートで調べた。

 昨年10月、概略ではあるが結果が公表された。
 県有施設では、県立こども病院を含む39の建築物で、アスベスト含有の吹き付けが今も使用されている可能性があるということだった。その中には、危険性が高く、すでに使用を禁止されているアモサイト(茶石綿)を40%以上も含有する吹き付けが、広範囲に行われている建築物も見つかっている。広い図書館や養護施設などもあった。中には、除去工事の費用が数億円にものぼる場所もあり、除去費用が県の財政に影響を与えることも問題になっている。

 安価と思われて、広範囲に使われ続けているアスベストが、結果的にいかに大きな財政的な負担を招くことになるのか、有害な物質をなるべく使用しないようにする政策が、財政面からも必要であることを示唆している。

 このような働きかけを通じてどのようなものが得られたのか。
 一連の調査を通じて、各課に質問をし、回答を受け、働きかけや要望をし、その中で行われた意見交流が、アスベスト対策という環境行政の一つの方向を作り出した。思ってもみなかったことを聞かれて、担当者もアスベストについて勉強し、要望する私たちの側も、多様な環境行政の中でアスベストの持つ意味を学ぶことができた。

 たくさんの危険な物質があふれ、どれも緊急の対策が待たれている現状で、年度ごとに変わってしまう担当者が、それぞれの危険性について熟知することは非常に難しい。住民からの働きかけを受け、それに答える形で対策を検討していくことは、お互いの理解を効率的に促進することにつながり、双方にとって意味を持つ政策づくりに役立つことになる。

 行政から歓迎はされなくても、住民からの働きかけがねばり強く行われるならば、必ずそれは何らかの形で行政に反映していく。
 このような働きかけは、私たちに「参加」ということの重要性を教えてくれた。
(2) 国に対して−未然防止・民間団体の育成−

 県や市に代替化の政策を求めようとしたが、国レベルの対策がなければ自治体が独自に行うことは難しいことがわかった。同時に、過去に相当騒がれて、いろいろな対策も進められていながら、アスベストの使用量がそれほど目立った減少を示さないのはなぜだろうと考え始めた。

 よく見ると、大気汚染防止法の改正の基礎となった報告書には、「今まで、関係省庁などで、アスベストの代替化を促進するための取り組みがなされてきている」と書かれていた。

 なぜ、代替化の政策が行われていながら使用量がさほど減らないのか、代替化の政策とはどういった政策を指しているのか、確認してみる必要があると考えた。
 そこで、代替化の必要が本当にあると考えているのか、そのための政策が必要と考えているのかどうか、今までどのような代替化の政策が行われてきたのか、環境庁と通産省に質問してみた。

 環境庁でも通産省でも、アスベストの有害性と代替化の必要性を認め、そのための政策は必要と考えているとの答えだった。しかし、今までどのような代替化政策が行われてきたのかという質問には、代替化についての研究、代替製品の普及状況の調査、代替製品の安全性の研究という回答ばかりだった。これを代替化の政策と考えることができるのだろうか。

 通産省では、アスベスト製品は、アスベストを含まない製品と同一番号のJISに統合され、名称から「石綿」の文字が消され、アスベストが含まれているのかどうかさえわかなくされていた。そればかりか、輸入量や生産量について質問しても十分な説明はなされず、説明するための資料さえも持っていなかった。

 実態は業界に教えてもらうほかはないという、業界に任せきりの実状がしだいに明らかになっていった。企業に働きかけ、積極的に代替化を促進すべき立場にある通産省が、業界におんぶし、操り人形のようになっている実態が見えた。

 一方、国民の健康を配慮して強く働きかけるべき環境庁も、「環境庁として代替化のために何ができるのか」という問いかけに対して、ただ、「自分たちはそこまで踏み込むための準備ができていない」と答えるばかりだった。
 業界の操り人形のような通産省と、その通産省の前に身をかがめて小さくなっている環境庁、それが、今までの経過で私たちが得た日本の環境行政の印象である。
 そして、これがアスベストの使用量があまり減少しない背景になっていることもわかってきた。


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