ピンクの部分がフランスの植民地
ダカールの丘の上で現地在住のフランス人と。

上の図の如く、アフリカ大陸は暗黒大陸と言われた時代を経て、ヨーロッパの列強各国により、完璧に分割植民地化されてしまった。

最大の宗主国は図で一目瞭然の如く、フランスとイギリスである。
フランスはアフリカ大陸を横断して支配する横断政策をとった。
これに対しイギリスはエジプト(カイロ)と南ア(ケープタウン)を結ぶ縦断政策をとり、さらにインド(カルカッタ)をつないでの3C政策をとり、英仏は血みどろの植民地獲得戦争を行った。

ちなみに英国の3C政策はイギリス帝国主義政策のシンボル。

当時のアフリカでの独立国はリベリアとエチオピアのわずかに2カ国でしかなかった。(ちなみにリベリアはlibeliaの自由からきている)

フランスは広大なアフリカ植民地政策の拠点を植民地の中心に位置し、気候の比較的良いセネガルに総督府として置いた。

総督府は大西洋を見下ろすアフリカ最西端の丘の上に建てられ、フランスのアフリカ植民地支配のシンボルとなった。

ケニヤのナイロビがイギリス支配の東アフリカの玄関口なら、フランス支配の西アフリカの玄関口は間違いなくセネガルの首都ダカール。

西アフリカは、ここからスタートする。

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