遺跡” ペトラ ”への道
岩山の遺跡へ、馬で向かう
岩山の間を進む 馬上から振り返れば
炎天下の峡谷を進む 岩の日陰で一息

中東とは、石油が発見されるまでは、炎熱の太陽と、不毛の広大な砂漠のみと思っている人が案外多いのではないだろうか。

しかし、そうではない。

中東は、ギリシャのアレキサンダー大王の時代に始まり、エジプト王朝や地中海沿岸を中心に強大な帝国を築き上げた「ローマ帝国」やイランを中心に繁栄した「ペルシャ帝国」そしてイスタンブールを拠点として大版図を作った「オスマントルコ帝国」などが、文明と権力の覇を競い、それぞれ独自の文明と建築様式をもって、多くの大都市を作り上げてきた。

これらが、今ではロマンと強者どもの涙を偲ばせる”実に多くの遺跡”となっている。
いや、むしろ、中東は 「遺跡の宝庫」と言った方が相応しい。

中東の中の遺跡として、特に有名なものが三つある。

俗に、中東の「 3P 」といわれているものである。

@ヨルダンの「ペトラ」
Aシリアの「パルミラ」
Bイランの「ペルセポリス」 である。

地図でお分かりの様に、ヨルダンの首都アンマンは、隣国「イラク」の陸路と空路の大動脈の中心となっている。

正規の動脈と、物資や情報の密輸の動脈の二通りが、使い分けれれている。
両国にとって、それが現実であり、同時に必要なこと(?)となっている。

海上輸送は、イラクの南部の最大の港湾都市「バスラ」が、戦争のたびに使用不能となるので、普段にまして、重要な幹線路となっている。
日本では、見ることの出来ない、超大型の巨大なトレラーやトラックが、物資を満載して、ブンブンうなりをあげて、街道を疾走している。

これらのトラックやトレラーは、アラビアのロレンスがアラブ軍を率いてトルコ軍を攻撃したことで有名なアカバ港から、アンマン経由イラクのバクダットを目指す。 走行距離は約1500kmとなる。

中東で活動するあらゆるタイプの人たちは、この道路を、縦横に行き来する。
ある意味では、勝手知ったる旅慣れた道なのである。

アンマンからアカバへ行く途中にある、「ペトラ」の遺跡に立ち寄った。

ここは、ヨルダンへ観光に来る人たちの「目玉」の一つである。

ペトラは、元来、ギリシャ語で「岩」を意味している。
つまりは、「岩の都市」なのである。

ペトラは、紀元前後、イタリアとペルシャの東西交易の要所として栄えたが、その後、交易ルートが、ここから離れたため、いつの間にか、歴史の舞台からその姿を消してしまった。

19世紀になって、スイス人によって、岩山の奥深く眠っていた「神秘的遺跡」が発見され、再び、世の注目を集めるようになった。

  ” 栄枯盛衰は世のならい ”とはいうが、切ないね〜
炎天下では、馬もフーフー ようやくここまで来た
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