パキスタンはインドの西側のイスラム教国 極彩色のイスラム寺院
                 
パキスタンは人口1.3億人のイスラム教の国であり、隣のヒンズー教のインドとよくもめごとが生じている。面積は日本の約2倍。 地形は日本のように縦長で南はインド洋のアラビア海に接している。言語はウルドゥ−語(アラビヤ語のように右から左へ書く。ミミズののたくったような書体)。通貨はパキスタンルピ−で1ルピーは約2円。

首都は北部に位置するラワルピンディ(人口80万人の政治都市)。最大の都市はアラビヤ海に面した カラチ (人口約600万人)。 主要産物は綿織物、米、皮革など。良く知られているのは広大なインダス川流域に栄えた古代文明都市のモヘンジョダロの壁画やハラッパであろう。 日本との貿易量も多く、関係深い。

パキスタンへの入国は成田発ヨーロッパ行き東南アジア経由の南回り線で行くこととなるが出発地の日本と最終地のヨーロッパを良い時間帯にするため、日本を夕方に発ちヨーロッパに朝着く時間設定となる。

私の乗ったスイス航空ジャンボ機は成田を夕方4時に発ち、途中香港、バンコックを経由し、パキスタン最大の都市のカラチ空港へは現地時間真夜中の午前2時に着くこととなる。 時差は4時間日本より遅い。

バンコックからは夜間飛行で4時間のフライト。私の座席は窓側であったためずーと外を眺めていたが真っ暗闇で何も見えない。着陸30分前の機内アナウンスが始まる頃から飛行機は高度を下げ始める。3000メートルの雲を抜けたあたりで、突然眼下に無数の灯りが眼に飛び込んできた。

 カラチの灯だ。 見渡す限りの真っ黒い大地にキラキラと灯る無数の灯りは長いフライトでよれよれになった心をにわかに元気づけた。 カラチは広く、大きい。

暗闇が全てを包み隠してくれるので灯りだけが際だち、上空から見たカラチの街の灯りは輝き [美しかった]。 まるで砂漠の中でオアシス見つけたような感動を覚えた。その後とんでもないビックリの連続が待ちかまえていることなどつゆ知らずに。

現地時間午前2時。飛行機はに無事に空港に着陸したが空港ビルからは遙かに離れたところであった。
どうも航空会社によって位置が決められているらしい。自国のパキスタン航空はビルの近く、その他は遠いところらしい。従ってビルと飛行機をつなぐ蛇腹式のボーディングブリッジなどない。カラチで降りる人はドアの近くに寄って外を見ている。

私は一番前で見ていた。ゴロゴロとタラップを牽引車ではなく数人で手で押してくる。ようやく機体に寄せたところでスチュワーデスがドアをサッと開いたので真っ先にタラップに一歩足を踏み出した。

その瞬間猛烈な熱風が ブワー と体に吹き寄せてきた。ウワーとおもわず一歩後へ引き下がった。機内は空調が利いていたので暑さ知らずでいたので、その温度差の大きさにたじろいだ。しかもその熱風が臭いとベトッとした暑さでからみついてくるので、最初の一歩から、思えば遠い異国のとんでもない大変なところへ来たもんだと驚かされた。

重い手荷物を持ちタラップの手すりを頼りにフラフラしながらおりてようやくパキスタンの地に第一歩を記した。 時は真夜中の午前2時を回っていた。

広い空港の照明は殆どなく暗い。飛行機や遠くにある空港ビルのボンヤリした灯りがようやく見える程度。その夜は月明かりもない。そこにバスがないのでどうやって空港ビルまで行くのかと現地職員に聞くと  「歩くんだ」  と。

真夜中の暗い広い飛行場を誰の案内もなく歩いて行けとは何たることか。そもそも飛行場を歩いていいのか。どこが滑走路で、どこが安全な所かも分からない。 数十人の一団は現地人が先頭に立って蒸暑い夜の飛行場をトボトボと歩き出した。

しかしこの集団についていっていいんだろうかと不安な思いにかられながらも他にどうしようもないのでやむなくついていった。何とも悲しい気分になってきた。やれやれ先が思いやられる。 空港ビルに近づくと  「ARRIVAL」  の看板が見えたので、ここでいいんだやれやれと少しホッとした。
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