カラチ空港に到着後、照明も殆どない薄ボンヤリした灯りの中の広大な滑走路を熱風に吹かれながらトボトボ歩き、ようやく空港ビルの到着ゲートの看板のところについた。おかげで少しは明るくなったが相変わらず照明は薄暗い。周囲を見渡すと今まであまり気付かなかったが空港ビルの何処にいたのかしらないが大勢の現地パキスタン人がいる。

 警察官、ポーター、ガイドらしき人、隙あらば旅行者を何とかしてやろうと待ちかまえている様子の輩。空港職員らしき人。それらの人が制服や元は白かったのであろう薄汚れたダブダブの民族衣装を着て待ちかまえている

 パキスタン人は背が高く肌は浅黒い。ほぼ全員が口髭をたくわえている。大半の人はスリムな体型であるが、とてつもなく太った人もかなりいる。早口でしゃべっている言葉は現地語(公用語のウルドゥ語かどうか分からない。 なしろ大変な数の部族語があるという。

 同じく公用語の英語。ここはイギリスガ200年間植民していたので英語国なのである。しかしながらウルドゥー風英語は発音がかなり異なる。カタコト英語の私にはなおのこと聞き取れない。
Rを巻き込んだ発音は、慣れないと分かりにくく通じない。薄暗い独特の雰囲気の中でこの国の人に、こんな風に接し、まずはため息の出るような思いだった。



不安の思いの中でわけもわからず手荷物をしっかり抱えて人の流れに沿ってついて行く。建物は空港ビルを建築中の仮設なのか天井のやけに高い倉庫のような造りで、迷路のようになっている。

 入国審査のカウンターについて驚いた。通常対面式カウンターは、カウンターの上にパスポートを提示してそれを見ながら入国審査官とやりとりするため、その高さはお腹のあたりであるが、ここは胸の高さを通り越して顔の高さにあり、審査官は更にその上方に座っていて遥か高いところから見下ろしている。入国者に高飛車な態度で質問をあびせる。

 正に「お上」なのである。 同国人は「お上」に逆らわず卑屈にペコペコしており、商用で来ている欧米人もうんざりしながらあまり相手にせず言葉少なに対応している。

 さて私の番が来た。ジロリと見下ろして、「何処から来た? 目的は? ホテルは何処だ? どのくらい滞在する?身元引受人はいるか?など定番の質問とはいうものの欧米人にはあまり強く言わないのに、東洋人には威張りくさって言う。 聞き取れないパキスタン英語の対応に四苦八苦し、何とか回答したものの、その洗礼をしっかりと受けた。

 やりとりが終わると、その審査官ニヤッと笑って大きな入国許可のスタンプを大きく振り上げてパスポートに「ポーン」と叩きつけるように押した。 (後で聞いたことだが、空港での「ポーン」は即ち「入国許可」を意味すると)

 まるで江戸時代に「関所」を通るとき「通行手形」を提示し、お役人様の前に土下座をして審査を受け、OKなら「よし、通れ」と言われて、そのまえをペコペコしてとおるようなものだなという思いがした。

 
成田で預けた荷物を引き取るためベルトコンベアーの方へ近づいていった。荷物が大きかったので、どの空港にもある荷物用カートを探そうとするとあまりなく、少しばかりあるカートは全て、空港に勝手に入ってきたと思われるうさんくさい現地人がみなしっかりと確保している。

 乗客の側に来て「自分が貴方の荷物をコンベアーから探し出してきて、このカートで空港の外のタクシーまで運んでやる。ついては、あなたのクレームタグ(荷物引取券)を渡せ。」と迫ってくる。タグを渡したらそのまま荷物を持ち逃げされるやら、またそれが人質となりその男を使わざるをえなくなり、後でいくら料金をふっかけられるやらとんでもないことになってしまう。
そういうカートで稼ごうとしているあんちゃんやおじさんが俺にやらせろ俺にやらせろと客の取り合いで喧嘩しながら迫ってくる。

 またカートのない現地人は(年齢は7〜8歳から60歳位まで)素手で迫ってくる。自分は力があるからカートはいらない。見ろ見ろと腕まくりして力こぶを作って見せたり、私の腕をつかんだり、なかには手を握ってくる。とんでもない。気持ち悪い。体にしがみついてくる。そしてまた、タグを渡せと迫ってくる。

見ていると先に荷物を引き取った客のキャスターのない大きなスーツケースや荷物を10歳ぐらいの少年が汗をかきながらフーフーいって運んでいる光景もある。

 私はカートもないし一人では運べないのでそれまでに迫ってきた10人位を腕力でふりはらって15歳ぐらいのカートを持っている人柄のよさそうな少年を選んだ。午前3時を過ぎた雑踏の空港で働く若者に少しばかり稼がせてやろうと思った。
 彼も喜んで「Yes 、Mister」と何かと面倒を見てくれた。荷物をカートに載せると、それでも荷物に触って手伝ったといって小銭をせしめようと迫ってくる現地人を、この人は俺の客だと振りとばし、蹴散らし曲がりくねった通関への道を突き進む。まるで暴動の中を突破するようだ。更には関係もないのに手だけ出して「ミスター、マネー、マネー」という連中もいっぱいいる。 ウーンどうしょうもない。


持参した荷物はかなりあり、その中には現地での活動用にかなりの手土産や、電気製品もあったので、これは相当もめるなと覚悟した。荷物検査用の台の上に、スーツケースや荷物を載せ、開くと、彼らが個人的に欲しい物がたくさんある。なんとかなんくせつけて、少しばかり巻き上げようとする。そこでネゴが始まった。
 少々なら目をつぶろうと思っていたがこちらが知らないと思ってべらぼうな税金を掛けるとか、これは輸入禁止品目であるから没収するとか。 こうなったらやり合うより仕方がない。

 つたない英語でしゃべり続けた。検査官も早口で煙に巻こうとしてまくし立ててきた。私には殆ど分からなかった。そのうちに私は気がついた。これは言葉が通じない風にするのが一番いいと。後は何を先方が言っても、「オー、ノー」、「オー、ノー」。この一点張り。

 先方が少し疲れてきて、うんざりした頃を見計らって、小声で電気製品の一つを渡し、これは貴方へのプレゼントです。 OK。 通ってよし。 カートのにいちゃん、ニヤッとする。うまくやったね、ミスターと。 汗ビッショリ。あー疲れた。おもわず天井を見上げると南国で見かける大型の扇風機がゆっく りと回っていた。

 
さーこれで手続きも峠を越して、いよいよ入国と思ったらとんでもない。最後の難関が待ちかまえていた。それは空港ロビー。 空港はもとより、乗客とも、送迎とも、全く関係のない大勢のパキスタン人がロビー全部を埋め尽くしている。勝手に入ってきているのだ。警官もいるが知らんぷり。放置している。カラチ空港の中で一番の難所となってしまった。

 外へ出られないのだ。彼らの目的は空港到着時と同様、荷物を運んで料金を貰ったり、旅行者からチップをせしめたり、時には黙ってそっと荷物を持っていってしまったりの何でもありの雑踏の世界である。子供を連れた老婆。両足を無くして床に座っている老人。赤子を抱いた女性。明らかに盲目と思われる人。病気にかかっていると思われる人。それらの人が一団となって旅行者にむらがっている

 どの旅行者も身動きがとれない。かのカート君も一団を追い払い、荷物と進路を確保しようと頑張っているが何分多勢に無勢。やむなく私も突き飛ばし始めた。そうでもしなければ自分も荷物も守れない。周りを見ると、あちこちで同じ様な光景が起こっている。これも貧しさの故か

 彼らも生きるためにやむなく必死でやっている。体も荷物ももみくちゃ。すると我々に小銭稼ぎの応援団が頼みもしないのに加勢に来る。ひょっとするとこれは出来レースかと思いたくもなるような状況となる。ウーン、どうなってるんだ。 そんな思いはともかく、外へ出よう。二人は群衆をはね飛ばして何とかようやく外へ出た。やれやれ。外には警察官がいた。

 これでようやくパキスタンに入国した気持ちになった。時は午前4時過ぎ。 空はまだ暗く星がうっすらと見えた。
 私は空港に来ていたエージェントを少年と一緒に探した。互いに面識がないので合図は 「胸ポケットに黄色いハンカチを入れておくこと」 としてあった。通常出迎えは空港ロビーで出来るがここではむしろ外の方が分かりやすい。ロビー出口で相手を確認できた。

私は少年にお礼の言葉と少し多目のチップを渡しそこで別れた。 
                       

                                                                      
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