空母は間近で見ると

”浮かぶ城”
真珠湾攻撃や湾岸戦争の主役
マンハッタン

摩天楼の隣に
”空母”
    大都会のモダンさと孤独、 ハイテクの空母・・なんとも贅沢な組み合わせ 

”大都会の空母”。 それは、まさに写真の構図そのものであるが、その意味するものは、かなり奥深い。

”都会”の二文字には、多くの人がそれぞれのイメージと実感を持っている。 巨大な街、モダンさとロマンチック、猛烈なスピードで動く流れ、眠らない街、成功物語とドロップアウト、哀愁とペーソス、流れに戸惑う孤独な自分の影、など。

”空母”には、ハイテク、攻撃兵器、巨大な戦闘集団、国力の示威、国際政治の道具、というイメージと共に、”母”の一文字が別のものを作り出す。 人には、誰でも母への想いがある。 空母は全てを合わせて一つのイメージとなる。

”大都会の空母” なんと切ない響きだろう。

霧雨の大都会の濡れた夜のペーブメントを靴音をコツコツと響かせながら、暗い夜空の高層ビルの窓にうつった灯りを見つめて一人歩くとき、感じる孤独な哀愁とペーソス。

そんなとき、ふっと、何かを破壊し、何かを作りたい、という思わぬ衝動がかすめる。

空母の艦上に立ったとき、”この空母で”と、これまでのそんな、いろいろな想いが交錯し、混ざり合って胸をよぎっていく。

”大都会の空母”は人をいろいろな想いにさせる。


”摩天楼と空母”の組み合わせは、アメリカの、いや世界の先進国の「物と心」の一側面を強く象徴しているようで、大変興味深い。

世界史の中に出てくる古代の哲学者の時代から、今日まで「物と心」は永遠のテーマである。

    ”大都会の空母”に敬礼!

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