カラチ湾のカニ釣りヨット


風に吹かれて帆走する
ヨットでしばしのんびり

後方はクルーの少年達


戦果のカニ
ついに、釣り上げたぞ ゆったり、マハラジャ気分

金曜日の休日(イスラム教は金曜日が休日。土、日は仕事日)にカラチ湾で「カニ」釣りをした。

 上の写真のような帆船というか、帆掛け船をチャーターする。クルーは大抵の場合、家族である。船長は父親、水夫長は長男、船員はその他家族。足りないときは親戚を連れてくる。なにしろパキスタンは大家族なのでまず人手には困らない。

 クルーメンバーには必ずと言っていいほど、5歳ぐらいから、順番に大きくなる子供がいる。なにしろ家族なのだから。船は大切で貴重な財産であり、船頭は家業なのである。従って小さな子供は労働力確保と共に操船技術の教育なのである。

 子供達はあまり学校へは行かない。代わりに小さいときから親の手伝いをしながら技を学び、腕を磨き手に職を着け、これで生活していくのだ。


船はかなり大きなものもあるが、かなり古い。帆柱はかって日本の建築現場で足場用に使用していた丸太そのもの。帆は破れたものをツギを当てて縫い補修してあるが、破れて穴の空いたままのものもある。

 そんな船を父親の指示で長男が帆柱に裸足でするするとよじ登り帆を張る。父親の指示は的確でよくもまあかかる船を巧みに操るものだと感心する。


パキスタンやインドの人々はこの小さな帆船でインド洋、アラビア海を新天地のアフリカ大陸東海岸へ向けて命運を天に任せ決死の思いで大海原を航海し、黒色の原住民、アラビア半島から来たアラブ人と混合しながら現地化し、その勢力を定着させ、インド、パキスタン人勢力圏を形成した。見事に。

 (詳しくは、いずれアフリカ大陸東諸国編でお伝えします。)


カニ釣りのポイントに着くと、子供の船頭さんが釣り針に魚の切れ端を付けた釣り糸を渡してくれる。釣り竿はない。船端から糸を垂らすのだ。

 子供が見本を示すから見ていろと言う。糸を海中に垂らし少し上下に軽く揺すっていると、糸が重くなると言う。カニが餌をハサミではさんでぶら下がった状態だという。静かに引き上げると海面近くになるとカニが餌にぶら下がっている。針には引っかかってはいない。
子供が「ネット、ネット」と叫ぶ。他の者が日本の「たも網」を渡す。海面まで来たカニを静かにそっと素早くすくい上げるのだ。
子供曰く「アンダスターン?」「OK、OK。アンダスターン」と。

 しかし簡単そうに見えて実際やってみるとなかなか難しい。糸が重くなり、しめたかかったと喜び勇んで糸を引き上げると海面近くにカニの姿が見える。ネット、ネットと言ってるさきにカニが餌からスッと離れて海中へ消えてしまう。

 見ていた子供が「crab gone」(カニが消え去ってしまった)と残念がってくれる。何とも情けない。小さな子供に同情されて。(ちなみに小説「風と共に去りぬ」でも gone with the wind)

 それからは、家族総出で私の周りに集まり、何とかこの客にカニを沢山つり上げさせて満足させようと、網の係りは海面に網を付けて待ったり、餌の取り付け係、引き上げのアドバイス係りは「スローリー、スローリー」とか一生懸命にやってくれた。
次話へ