アンマン ”に入る

ヨルダンは、地図で一目瞭然の如く、アラブの石油大国や、軍事大国に囲まれ、更に、ユダヤ人の国イスラエルと国境を接している。

有名な、パレスチナ人が住んでいた「ヨルダン川西岸」或いは「ウエストバンク」と呼ばれる地域を、イスラエルに占領され、1988年には、その統治権までも放棄しながら、先のフセイン国王の政治運営のもと、小国ながら、大国の狭間で生き延びてきた。

それはとりもなおさず、一見、日和見な政策もとらざるをえないこともあった。

その結果、国の政策は、アラブの中では、親米的、西欧的なところやアラブとしては柔軟な、自由度を高めた政治運営を行っている。
イスラエルとも1994年には戦争状態の集結を宣言し、国境を開放した。

現在、ヨルダンには、多くのパレスチナ人が移り住んでいる。
(ヨルダンの総人口の約60%を占めるといわれる。)

ヨルダンの首都アンマンのクイーン・アリア国際空港では、俗に空港で「ビザが買える」といわれる。

アラブ諸国の中では、全く珍しいケースである。

以前は、文字通り、空港のビザ発給カウンターで「ビザ」を有料で購入した。
ヨルダン政府は、外貨獲得のため、「USドル」でのみ、発給していた。

現在は、日本人には、無料である。
むしろ、無料というよりも、不要といった方が早い。

つまり、入国審査官に、入国カードとパスポートを出せば、パスポートに、入国スタンプを、ポンと押してくれる。 期間は2週間。
但し、3ヶ月までは、アンマンの警察署へ行って更新手続きをすれば、比較的簡単に、3ヶ月までは滞在できる。

それを越えるときは、一度、近くの国へ出国し、再度入国すれば、また、滞在できる。

ヨルダンは、石油もなく、有力な地下資源もなく、アラブ各国からの支援と観光産業で運営されている。

その昔は、中東での拠点は、「小パリ」といわれた「ベイルート」が、日本を始め、欧米先進国の拠点であったが、20余年に始まったベイルートの内戦の結果、アンマン、サウジ、バーレン、その他の国々に分散していった。

日本から、日本赤軍が、かの地へ行き、色々と事件を起こしたのも、この頃であった。

ヨルダンは、今中東で、イスラエル問題と共に、大きな問題となっている「イラク問題」の前線基地の位置づけともなっており、ヨルダン経由イラクへ入る人や、ヨルダンで、様子を見ている人は、多い。

   アンマンは、中東への一つの” 玄関口 ”となっている。
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