大和田は面白い「歴史・文化・自然とのふれあい」

(1)大和田街道とは   (2)新川ウォーキング   (3)花見川自然歩道   (4)ユニークな大和田宿
(4)ユニークな大和田宿:
E京成大和田駅の話も面白い
 京成大和田駅は、大正15年(1926)に開業した。京成大和田駅開業までの歴史が面白いが最初に駅周辺の話から始める。大和田駅一キロほどに国道二九六号線、通称成田街道が走っている、このあたり一帯が江戸時代の大和田宿で、江戸と成田との中間点であり、江戸を発った成田詣での人々は、この宿で一泊した。しかし、現在は宿場町の面影は全くない。昭和31年に東隣に八千代台駅が開設されたため、大和田駅開設当時の中心地としての賑わいは八千代台駅周辺に移り、大和田駅周辺は静かな住宅街となった。
 また、昭和47年には西隣に勝田台駅が開設され、特急電車は大和田を通過し、両隣の八千代台・勝田台駅に停まる。更に平成8年に東葉高速鉄道が営団地下鉄東西線(現:東京メトロ東西線)と直結の”都市交通新線”として開通するや、マルエツ等大型店舗や郵便局などは八千代中央駅付近に移転、ますます大和田駅周辺は賑わいから遠さかった。
 江戸時代、宿場町として栄え、近年までは八千代市の中心地として栄えていた大和田が再び脚光を浴びるのはいつだろうか?駅周辺の開発計画も縮小された昨今ではあるが、私はあまり遠くない時期に来る気がする。なぜなら開発されていない上、大和田の歴史・文化・自然が生きているからである。調和・共生・協働の街が求められる時代が来るであろう。
 まず、写真を見てほしい。エレベーターの必要のない駅である。高齢化社会に何とふさわしい駅であろうか。また、八千代市を南北に流れる「新川」は釣りの名所でもあるが、釣り人にとって大和田駅は何と雰囲気ぴったりの駅である。新川そして花見川の玄関駅としてサイクリング・ウォキンーグ・釣り・散策などの人々の集合拠点になるであろう。新川と花見川の分水嶺に大和田排水機場がある。江戸時代から昭和まで続いた新川の開削の歴史に触れることになる。大和田駅より徒歩10分程度である。大和田駅傍の踏み切りを渡ってすぐに小さな書店がある。どんどん経営難で閉店が続く昨今、懸命に頑張っている書店がある。大和田街道を成田街道方面に町並みを歩けば、大和田落語の丸花亭・梨もなかの菓子店、ジャズ喫茶店などユニークな店が点在する。成田街道に出れば「明治天皇行在之虚の碑」や「おんじ様」、三山の七年祭の「時平神社」、「八百屋お七の墓」・「旧東久邇宮別邸の沢田茶屋」と歴史の街が続く。
 駅周辺の話題はこの辺で打ち切り、大和田駅開業までの今よりも涙ぐましい話をしましょう。
 「汽笛一声新橋を・・・・」で始まった鉄道の歴史は1872年(明治5年)からであるが、動力は蒸気に限らず、馬力・人力等を用い、軌道の優位性で発達していった。現在の京成線の歴史はこの人力軌道車から始まる。
 明治29年12月に現在の常磐線である海岸線の田端〜土浦間を日本鉄道が開通させると、帝釈天の至近距離の金町駅が開業し、これに気を良くした金町の住民が帝釈天参拝の客を金町に誘致しようと、明治32年12月に帝釈人車鉄道株式会社を設立した。参拝客の多い60日毎の庚申には一日1万人以上の旅客が集中し、乗車券足りなくなる賑わいだったそうである。
 当時、交通網の整備が遅れている東京東部に進出を模索していた京成電気軌道に帝釈人車軌道は南からの新たな鉄道に当惑し、明治40年8月に重役会議を開き、結局、京成に売却の方向に進み、45年に営業権の譲渡契約を交わす。京成電気軌道は大正元年10月には電気への切り替え申請を出し、11月には開通している。成田詣客輸送目的の京成電気鉄道の最初の営業は帝釈天詣客輸送となった。
  京成電気軌道として最初に免許を申請した押上〜成田間は明治40年(1907)5月に許可となり、大正3年8月に市川真間間まで、翌4年11月には中山まで、5年12月には船橋まで、5年後に延長された路線は何と成田ではなく千葉まで路線を延長した。大正10年7月のことである。ああ〜大和田への乗り入りはいつか?
 東京湾における潮干狩り客・海水浴客が成田不動尊参詣客より優先されたのである。当時は京成津田沼駅を発車すると総武本線と京成幕張まで直線区間約4.5kmの間を完全に平行するため、両鉄道の電車・汽車が併走するとお互いスピードを競い合い、国鉄側ではむやみに高速で走らぬよう部内通達を出したとも言われている。
 津田沼から分岐して成田に至る路線は大正15年12月に成田花咲町まで開通となった。これでようやく京成大和田駅が開業となる。
 東京市内への乗り入りを切望していた京成は市電の頑固な拒みにあいながらも、筑波高速電気鉄道の矢田部〜筑波間の許可が遅れたことから買収に成功し、この権利を得るや、青砥〜日暮里〜上野に路線変更申請し東京市内への念願を達成させた。京成電鉄本社が押上に存在する理由がここにある。
 参考文献:幻の鉄道(小林茂多著、崙書房発行)、人が汽車を押したころ(佐藤信之著、崙書房発行)左図は人が汽車を押したころ(佐藤信之著、崙書房発行)より借用した。

 

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