『韓非子』〜かんぴし〜
出版:文春文庫
著:安能務


●いや・・・・別にいいのだが。
いい物なのは認めよう、うむ。
だが、しかし、だ。難しいだろうが、これは(苦笑)
どうやら、管理人は自らの頭脳が爆発しかけたのをすっかり忘れているようだ。
●前置きはそのくらいにして。
『韓非子』は春秋戦国期の末期に現れた、政治家である。…少々訂正、政治家になるはずだった思想家である。
彼の思想は、当時としては非常に画期的、とまではいかないが、現代から見れば、その時代では画期的であったと考えられるであろう。
彼は、歴史上初めて、国家統治における、「理想」と「現実」を切り離して処理することを提唱した人物であり、その思想はいわば帝王学である。
●彼の著書は、時間をかけて書かれた物であるから、初期のものと、後期のものとでは、考え方が変ってきている。
初期のものは強烈なまでの君主擁護論であり、後期のものは「凡庸な」王であっても統治ができる、法治体制のススメともいえるものとなっている。
内容自体は、説話が主となっていることもあり、単なる読み物、と考えれば、頭さえ使わずに理解をせず読んでいる限りは、非常に面白いといえよう。
●だが、しかし、だ。
彼は「道徳教」の教え、即ち道教思想―老子の教え―を踏み台として、その統治論を描き出している。
民間では確かに、中国は道教の国であるから、まぁ、理解できるのであろうが、官僚は悉く儒教徒である。
理解しがたいものであろう。
おまけに、儒教徒にとって、法治、というものは異端であり、法治論者は須らく「冷酷非常」である、と呼ばれる。
更に、彼の場合、儒教にとって最大の悪党「始皇帝」と二重写しになっている部分もあるから…正当に評価されているとは言い難いものがある。
●まぁ、幸いにも、彼は「現代政治学」の祖とも呼べる人物である、と最近になって見直されているようだ。
なんと言っても、マキャベリより2000年近く前に出現し、「政教分離」を唱えた人物だからな。
彼の
「『道(タオ)』は秩序である。
『権力』は秩序の『標識』だ。
『君主』は権力の場における標識の具現である。
だから―――
もし、この世に秩序が必要であるならば、
疎ましくとも権力を、愚か者でも君主を
存在させなければならない。(韓非子 上巻より)」
との言は、君主を「国家元首」と読み返れば、現代にも充分に通じるものがある。
●興味があるなら読んでみるよう、通常ならば薦めるのだが、今回に限っては、そう簡単には薦められない。
もし、興味があるならば、先ず、「老子」を読破し、理解してからにするが良かろう。
・・・それをしなかったがために、管理人は多大なる後悔をしたそうな。
2001/6/3