
| ※最後のツアーと言っていましたが、 その後2007年シャルル・アズナヴールは来日 コンサート開催された。 2007年 2月3日,4日 大阪フェスティバルホール、7日 アクロス福岡 シンフォニーホール、2月9日,10日,11日 東京国際フォーラムホールA |
@・CHARLES AZNAVOUR ・A・CHARLES AZNAVOUR
私がシャンソン歌手で好きな人は?と聞かれたらきっと男性歌手ではシャルル・アズナヴール、
そして女性ではダリダ・リッシェヌ ドリルと答える、カンツォーネ歌手ではミルバ・・
女性歌手を特定するのは結構難しい・・その人の持ち味がありシルビーバルタンなどは随分とCDやビデオを
ダリダにまけないくらいに集めた、バルバラも大好きな人です・・書いてるときりりがありませんね・・
CHARLES AZNAVOUR1991年5月最後の日本ツアーのコンサートに
私は4日間続けて聞きに出かけました。その時のパンフレット、そして曲目などを記録しました。
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| CHARLES AZNAVOUR(シャルル・アズナヴール) 1924年、アルメニアの移民の子としてパリで生まれる。家計が苦しいため、シャルルは幼い頃から姉のアイーダとともに同胞のパーティーに出かけては歌と寸劇を演じては小銭を稼いでいたと言う。11歳のときにはある劇団と契約を結び、劇場にも出エン。歌も正式に始めた彼はアマチュアコンクールで優勝するまでになった。 第2次大戦中に知り合った金持ちのピエール・ロッシュとのディオ結成が彼の運命をよい方向に導いていく。その間にエディット・ピアフが彼の力量を認め前座に使い出したのだ。 はじめ、評判はよくなかったものの(多分に人種差別的要素によるもの)、53年のモロッコでの成功から評価が高まり、翌年にはパリでも真打ちのスターとして公演をもち、57年には人気投票第1位を獲得して今日の地位を築いた。 |
| シャルル・アズナヴール CHARLES AZNAVOUR(67才のとき来日公演) 1991年5月最後の日本ツアー |
| LAST CONCERT TOUR in JAPAN |
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| シャルル・アズナヴールコンサートに プログラムを変えて、 5月27日・28日・29日・6月4日の 4日間聞きに行きました。その時のチケット 1991年5月29日S席1階3列31番 と 6月4日S席1階8列28番が手元に残っていました。 左が曲目が書かれていたチラシ裏側です 大きく見たい方はアップにしてください。 ※プログラムはしまいこんでしまいました |
| Progam演奏曲目 | ||
| A・B・Cプログラム | Dプログラム | |
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| 我が家に帰る 君にすがって さよならはしない 子のないふたり 移民たち だから君を愛してる 愛の後で キスしておくれ 針 悲しい別れ 僕の前にいる君 僕は飲む 声のない声 アヴィ・マリア 希望に満ちて 未知の方向 なぜなら 生命をかけて フォー・ミー・フォルミダブル それがわかれば ポーカー 人々の言うように のらくらもの ラ・ボエーム 昔気質の恋 ふたりの時 |
遠い思い出 じっとこうして 8月のパリ 青春という宝 街角の瞳 キ(誰?) 愛の為に死す(炎の恋) 悲しみのヴェニス コメディアン 帰り来ぬ青春 恋は一日のように 君が眠る時 サイダージ ラ・マンダ 私の腕の中で(私の肩を抱いて) 過ぎ行く青春 思い出の瞳 想い出をみつめて バラのように 大根役者 トルース・シュミーズ 世界の果てに 生きる喜び 素晴らしい誕生日 これからは |
今ぞ、この時 きみにすがって さよならはしない 君が眠る時 移民たち 悲しい別れ 僕は飲む 遠い想い出 忘れじのおもかげ アヴィ・マリア 声のない声 希望に満ちて コメディアン 生きる喜び フォー・ミー・フォルミダブル 愛の為に死す(炎の恋) じっとこうして ポーカー それがわかれば ラ・ボェーム 昔気質の恋 青春という宝 悲しみのヴェニス ラ・マンマ ふたりの時 |
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| 日本での私の春 尽きる事のない急流のように 時が過ぎることに気づき。私たちは当惑する。 10年?そう、もう10年経ったのだ。かろうじて、時が私に教えてくれる、 1980年が1990年に置きかわったことを。 『私は時が過ぎていくことを見ていなかったのだ』 私は日本に対して、ある情熱を持っている、小さな旅に出ることにしょう。 仕事の旅ではない、楽しみの旅でもない。ただ、一番下の息子と私が旅人になるために。 そう、まさにその時に。日本ツァーで皆さんにお目にかかろう、多分、そう、最後のツァーで。 映画とテレビの仕事に次第にのめり込んで行った私だが、息子と私の日本ツァーを喜んでお受けしょう。 この訪問で私が心に抱いているこの日本を息子はわかってくれるだろう。ではまた、近いうちにお会いいたしましょう。一度はお忍びで そして。もう一度はステージ照明の明かりの下で。 |
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| シャルル・アズナヴール | |||
| ※コンサートを4日間聞いて感じた事は、プログラムの中には同じ歌を歌った曲がありましたが、こんなにベテランでも毎回うたうごとに同じではない・・と感じた事です。 その時の会場の御客様との雰囲気、また本人の気持で表現が変わっていました。こんな感じが シャンソンを身近に聞くことの楽しさではないでしょうか、やはりシャンソンは身近で聞いて頂きたいですね・・ |
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| yasuco清水康子 |
| 下記1991年5月31日[音楽]東京夕刊 | |
| 「シャンソンの父」シャルル・アズナヴール 揺るぎない絶唱に胸熱く | |
| 黒のタキシードに黒のシャツ。左手はズボンのポケットに。不良っぽさを残したラフなスタイルが、何ともおしゃれだ。パリの香りと共に、アズナヴールの「最後の日本ツアー」の幕が開いた。
「今ぞこの時」から二部構成で二十四曲。手話を交えた「声のない恋」がある。「イザベル」はスポットライトを消し、暗やみの中で歌った。万感胸に迫る「ラ・ボエーム」「ラ・マンマ」。半世紀近い音楽活動の、華麗な縮図だった。 どの曲も、印象的な旋律に彩られている。曲作りでは何よりも詞を優先させるというが、メロディー・メーカーとしての才能と自信があって、初めて美しいフランス語の詞が生きるのだ、と改めて感じ取った。 それにも増して驚いたのは、六十七歳という年齢を全く感じさせないエネルギッシュな唱法。小柄な体のどこにそんな力が秘められていたのか、と思うほどだ。そして正確無比。終幕の「生命をかけて」は何とア・カペラ(無伴奏)だったが、全く揺るがない、見事な絶唱だった。「シャンソンの父」と呼ばれる男が、ここまで全力投球している。胸が熱くなった。 「帰り来ぬ青春」など一部を英語で歌ったことにはやや疑問が残ったが、まぎれもない超一級のショー。「日本でのツアーは無理だが、短期間なら」という言葉を信じて次を是非待ちたい。(辰) ――二十七日新宿厚生年金ホール。四、五日も。 |
| シャルル・アズナブール シャンソンの贈り物 KICP343 |
CHARLES AZNAVOUR シャルル・アズナブール AUTOBIOGRAPHIE 自叙伝 KICP 2142 税込み¥2,800 1980年に発表された作品 |
| 1.ナポリは歌う 2.ラ・マルがリータ 3.貴女とおまえ 4.思いもよらぬ出来事 5.君にみとれて 6.シャンソンの贈り物 7.愛に背いて 8.愛がさめる時 9.提督の歌 10.10年早すぎた恋 |
CA PASSE 1)過ぎゆく人生 MON AMI,MON JUDAS 2)ぼくの友、ぼくのユダ MON EMOUVANT AMOUR 3)声のない恋 AUTOBIOGRAPHIE 4)自叙伝 L’AMOUR. BON DIEU L’AMOUR 5)愛というものは ALLEZ!VAI MARSEILLE! 6)マルセイユへ行こう JE FANTASME 7)幻覚 LE SOOUVENIR DE TOI 8)あなたの思い出 |
| KICP2136 忘れじのおもっかけ |
KCP2137 思い出の瞳 |
KCP2138 ボエーム |
KCP2139 帰り来ぬ青春 |
KCP2140 イザベル |
| KICP2141 美しき絆 |
KICP2142 自叙伝 |
KICP2143 愛の物語 |
KICP2144 悲しい別れ |
KICP2145 シャルル・アズナヴール・リサイタル |

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