| 2005年7月4日(月)
相変わらずアルコールの飲めない日々が続いている。 しかし、夜も3回か4回は目が醒めるもトータルとしてはそこそこ睡眠は確保されるようになって来た。 6月4日までの私の飲酒習慣は以下のようなものであった。 まず午後7時半くらいに仕事が終わってから45分くらい夜の犬の排泄と運動を済ませた午後8時20分から9時までの間にまず一杯やる。 飲む量は25パーセントの焼酎50ミリリットルから100ミリリットルを水やお茶、あるいは何らかのジュースで2倍から4倍に薄めたものでアルコール量としてはほんの少しの量だ。 しかし、それでもアルコールの血中濃度がふうっと上昇する快感を味わうと日中のいろいろな疲れや葛藤を束の間忘れることが出来たのだ。 そのままコンピュータに向かって心地良い時間をしばらく過ごし、午後10時から11時くらいにもう一杯飲んでからいったん就寝する。 すると、午前1時から2時くらいにはアルコールの血中濃度が下がるのかはっと目が醒めるのだ。 そうすると起き上がってコンピュータのスイッチを入れておいてもう一杯飲む。 そのまま30分から1時間くらい起きてからまた就寝する。 次に起きるのは午前4時から5時である。 この夜(本当はもう朝だが)最後の一杯をやる。 またふわーっと気持ちが高揚してくるのが感じられる。 その状態でメールをチェックして返信を書いたりして、落ち着いたところで犬たちを連れて河川敷に行くのが午前6時半から7時半の間である。 河川敷では犬たちと一緒に歩いたり、訓練をやったりして、7時半から8時までの間に帰宅する。 軽くシャワーを浴びて何か口に入れ、午前8時半にはきちんと素面の状態で出勤するのだ。 結局仕事以外の時間はある一定以上の濃度で血中アルコール濃度を維持する生活を延々と続けてきたのである。 それに加えて猟期中はまだしも非猟期になると山に行く以外の休日は日中から少しずつ時間をおきながらちびちびと飲むということをやるのである。 そんな生活でさすがに私の身体も疲れたのであろうか? この1ヶ月間アルコールを見るのも嫌だという状態が続いている。 素面で過ごす長い夜は、今までと同じように何回も目が醒める。 しかし、アルコールの力を借りずにもう一度眠ろうとするといろいろなことが頭に浮かんできて眠れなくなってしまう。 そしてそんな時に頭に浮かんでくる想いというやつは大抵ネガティブな内容なのだ。 しかし、そんな暗い精神状態も最近はかなり改善されてきてここ2週間くらいはかなりましである。 自分の精神状態をコントロールする手段としてとったことが、知り合いの教えてくれた手法で、何か良くないことが頭に浮かんだら必ず、「良し、ついてる」 と口に出して言うという事と、何にでもいいから 「有り難う」 と言葉に発するということであった。 その上になるべく身体を清潔に保ち身だしなみを整えて鏡を見る機会を増やしてその折に笑顔を作るトレーニングをすることを心掛ける。 書店に良く並んでいる安っぽい自己啓発の本なんかに、前向き指向の精神状態を構築する手段として自分に対して良いイメージを持てるようにする方法がいっぱい書いてあるのだが、これもまあそんな方法のひとつである。 だが、そんな方法も馬鹿にはできない。 「良し、ついてる」 とか「有り難う」 とかいったポジティブな言葉にはそれなりに心を動かす力があるようだ。 独り言でもそんな言葉を口にすると、ほんの少しではあるが心のベクトルが前に向かうような気がする。 古の人が「言霊」と表現しているらしいが、言葉には人の心を動かす力が存在するのは確かであろう。 妻の太得子さんはそんな私を男性更年期と見てくれているようだ。 また、動物病院のクライアントの複数の人が私のそのような状態に近い経験を教えてくれたりして力づけてくださる。 身体の方もアルコールの影響から徐々に脱して、恐らく黄疸色素も減ってきてるのであろう、尿の色も薄くなって来た。 体重も空腹時に70キロ丁度くらいで落ち着きつつある。 そんな自分にかまけて犬たちのことはすっかり疎かになっているのだが、朝夕のわんこタイムは一応欠かさずつとめている。 しかし、個々の犬の訓練はどうしても適当にならざるを得ない。 しかも、ここ3日くらいずうと雨勝ちの天気で、今日などは一日中降っている。 時折すごく激しい降りになって、加古川も随分増水しているし、河川敷もビシャビシャだ。 ただ、こんな時にはウォーキングの人たちもほとんどいないので犬たちを放して歩いてもあまり気を使う必要はないのが有り難い。 純ドゴのコルテス君はあと一週間で8ヶ月令である。 肢の狂いもほぼ改善されて綺麗なドゴになってきていて、訓練の方も招呼、停座、伏臥、脚側行進がまあひと通り出来つつある。 現在の課題は正面停座から脚側停座への移動である。 2ヶ月令のさとみの弟四郎君は、ドライフード手給餌のテクニックによって呼びは何とか出来るようになってきた。 しかし、どうしても手で撫でられることには抵抗を感じるようである。 フードを食べ終えてしまうと私の手を振りほどいて離れていこうとする態度を示す。 それでも、一対一で河川敷を歩いていると私の後をついてくるようにはなってきた。 みつを君の妹で鳴き止めビーグルとの掛け合わせのピノコは、非常に素直で呼べば一直線に走って来るし、撫でれば尻尾を振りながら大人しく身を任せてくれる。 こちらは全く問題ない。 スタッフォードシャーブルテリアのジャムの子犬たちは今日で29日令、回虫の駆除も無事に済んで体重も1.9キロ近くなってきた。 今日は初めてのワクチン接種を行なった。 使用するワクチンは、インターベットのDHPPiという製品で、レプトスピラの不活化ワクチンが入っていないものである。 エアデールテリアのハンナはもうすぐ1才8ヶ月令。 しかし、待てど暮らせど発情が来ない。 最近は河川敷に放すと、みつを君とずうっと飽きずに追いかけっこを楽しんでいる毎日だ。
2005年7月5日(火) 今日は動物病院も休診日。 何日も降り続いた雨も一区切りついて朝からお日いさんの光が差している。 午前6時過ぎには犬たちを連れて河川敷に行く。 自動車の安っぽいスピーカーからはチャイコフスキーのピアノコンチェルトがずうっと流れている。 この訓練手帳も完璧に雑記帳と化し、自分のプライベートで限りなくくだらぬことをだらだらと書き捲くっている。 まあ、自分の精神衛生を保つ手段としてあらいざらいぶちまけて見るのも一興かも知れない。 私はピアノの音が好きである。 何でかというと、非常に単純なことなのであるが、初恋の女性がピアノを習っていてそれも熱心に練習しているのを3年間遠くからずうっと憧れて見続けていたからである。 私の初恋は高校1年生の時に突然訪れた。 中学生の3年間は3人の同級生の執拗ないじめに悩まされて自分の身を守るのに精一杯であったので恋どころではなかったということと、周囲にいる女の子たちは全然そんな対象になれそうにない子らばかりだったので女の子に何も感じたことはなかった。 しかし、中学を卒業して辛いことから解放された安堵感と新しい生活が始まる期待感のなかで、高校の入学式の日にその人は突然自分の心の中に強烈な印象を刻み込んできたのだ。 ど田舎育ちの純朴な少年がある日突然斜め前の席のお嬢様然とした美しい少女に何かのことで声を掛けられにっこり微笑まれてどきまぎした後で、放課後に学用品を購入しに街に出た時にその少女が友人と帰るところに偶然出遭ったところ、少女はこちらに向かってにっこり微笑んで、「さよなら」 と挨拶してくれた。 ただそれだけのことなのであるが少年には非常に大きな出来事に思えて、学生寮で初めて過ごしたその夜、夢の中にくだんの少女が出てきたのである。 その少女とは3年間同じ教室で同級生として過ごした。 2年生の時、5月23日の日曜日の午後1時に学校に呼び出して想いを告白したのだが、全く当たり前のことながらあっさりふられてしまったのである。 35年経過した今でもその辛かった片思いが克明に思い出される。 今でも時々その人のことを夢に見ることがあるのだが、夢に出てくるところの3年間見つめ続けていた美しい横顔は、高校生の頃の若く美しいままである。 高校卒業後の私は山口大学の獣医学科に進み獣医師になり、その人は東京のさる私学に進んで、大学卒業後は風の便りではJALの海外線スチュワーデスになったそうだ。 そして、約10年前所用で郷里に帰った時にその人のお父上に出会った時にはまだ結婚もしないで飛行機に乗っていると嘆いておられていた。 結局完全な片思いに終始したこの初恋に関しては今でもしつこいと思われるかもしれないが、相当に執着心を感じる。 時間が許せば何千万円か軍資金を持ってリターンマッチに行きたいくらいである。 私のキャラクターの特徴として、徹底的に女性との付き合いが下手だということは以後の人生にかなりのコンプレックスになっている。 大学時代以降にはそれなりに十指に近く複数の女性と付き合ったのであるがどれも3ヶ月以上続いたためしはない。 女の子と付き合って3ヶ月も経つと必ず振られてしまうのだ。 その時に相手に言われる言葉は判で押したように、「あなたは素晴らしい人ですが、私にはついていけません。」 というものであった。 例外として大学を卒業し、獣医師免許取得後に大阪府立大学の大学院に進学した時に付き合った女性が、唯一いろいろあるも2年以上続いたのだが、これも最後はあえなくお釈迦である。 そう言えば、神戸市役所時代に偶然1年か2年くらい下の山口大学出身の女性と何かの席で同席したことがあって、その時にその女性にこんな風に言われたことがあった。 「先輩。 私、大学時代は先輩にあこがれてたんですよ。」 「なんでその時に言ってくれへんかったの?」 「だって、先輩。 あの頃すごく怖かったんですもん。」 「・・・・・・・。」 そんなわけで私が大学時代に徹底的に打ち込んだのは学業ではなくて少林寺拳法であった。 自分が心弱い臆病な人間であるということは中学生時代に卑劣で執拗ないじめにあって嫌というほど思い知らされている。 そして自分のそんな弱い面を絶対に許せない私としては、勇気と強さを手に入れようと格闘技に徹底的に打ち込んだのである。 その結果、私学も含めた中国四国学生連盟のローカルな大会ではあったが、危険で同門同士の友好に良くないという理由で現在は廃止されている「乱捕り」 というトーナメント競技で、優勝という結果を出した。 その頃の少林寺拳法の「乱捕り」は、剣道の胴と金的プロテクター、12オンスのボクシング用グローブを身に付けて、3分間真剣にどつき合うという結構きつい競技であった。 当然失神する事例も多かったし、マウスピースがなかったので必ず口を切るし、ヘッドギアなしで板の間で戦うので転倒した際には頭部を強打したりして非常に危険なのであった。 今でも乱捕り戦の時の気分の高揚については強烈に懐かしいイメージがある。 試合の前の晩には恐怖で眠れなくなることも再々であったが、試合場に立って相手と向かい合い、審判の、「構え。 始め」 という号令で相手に突進する瞬間から全てのことを忘れて一匹の野獣になれるということについては何物にも代えがたいカタルシスを感じたものである。 そして、無我夢中で闘っていると一生懸命に練習してきた成果か意識せずとも身体が勝手に動いて相手に突き蹴りが命中し勝利を手にすることが出来るのである。 そんなわけで、その頃の私は自分の格闘力に相当自信も持っていたのだが、それでも自分の本質である小心かつ臆病な性格は変えることは出来なかった。 そして、そんな自分が許せない私は、大学院を終了して神戸市に就職した後は、格闘技としては大学4年生の時に全国で一年間に3人も試合中に死亡者が出たために乱捕り競技が廃止になってつまらなくなってしまった少林寺拳法を諦めて、松濤館流という伝統派の空手に入門し、格闘技以外では山登りを始める。 登山ではロッククライミングとか冬山にも挑戦した。 そして厳冬の北アルプスの稜線という零下20度以下の環境でテント泊まりをやったり、剣岳チンネ左稜線のような足のすくむような岩場でミリ単位の岩の出っ張りに身を託して頂上を目指すというような過激な経験を求め続けた。 そして、その頃から登山でも単独行にこだわりだす。 今でも狩猟をする際に安全な鹿猟や鳥兎猟でなく、犬にも人にも結構危ないところのある猪猟を、それも単独でやりたいということについては、小心で臆病であるくせに変に緊張感やカタルシスを求めるこうした性向が大いに影響していることと思うものである。 その頃ロッククライミングの岩場で知り合ったのが現在の妻である太得子さんなのだが、この人には出遭った時から正直女性というよりも母親のような安心感を感じて自分でも不思議なくらいに素直に振る舞うことが出来た。 そして、それまでのとことん不幸な女性経験にもかかわらず彼女とはすんなり結婚することが出来た。 その後空手については過労で椎間板ヘルニアを患って競技生活を断念せざるを得なかったのだが、空手や登山以外でも居合やライフル射撃などいろいろ経験する。 登山の延長としては結婚後渓流釣りを始めて、一時期週末は妻子を顧みずに山ごもりを続けるという好き放題の生活を送った。 仕事に関しては、単調な地方公務員生活が面白いはずもなく、結婚する前から何時止めるかという感じであったのだが、さすがに最後の6年間兵庫区福原地区のソープランドの衛生監視業務をさせられて嫌になったこともあって、平成元年に11年間務めた神戸市を退職する。 そもそも大学院終了後に国家公務員上級試験を合格していたのを蹴って格下の神戸市に就職したのは転勤でひとつの趣味に打ち込めないことが予想される生活を嫌ってのことであったので、そう未練は感じなかった。 その後はつてを頼って神戸市垂水区のさる動物病院に代診として就職し、必死で再勉強をする。 しかし、市井の小さな動物病院は麻酔時に気管挿管もせず、モニターも取らず、静脈留置も点滴もしない。 さすがに少ない経費で最大の利益を上げるについては立派ではあるし、それなりに度胸も付くのであるが、こんなところでいくら仕事をやっていてもあまり自分のためにはならないと感じた。 その後しばらく大阪府立大学付属家畜病院で本当はこうなんだよという勉強をやって、自分なりのスタイルの獣医臨床のイメージを造り上げてから現在の加古川にて開業する。 それからは微力ながらも貸し店舗で13年間一生懸命頑張って臨床をしながらエアデールテリアを始めとする作業犬や猟犬と遊び続けて、昨年から動物病院の建て替えを始めて、現在の動物病院に移転を済ませたのがつい先日のことである。 太得子さんという女性については、つくづく不思議な人だと思う。 こんな自分勝手な私のことを 「何をやらかすのか判らない激しいところが見てて面白い」 と言うのだ。 そして、彼女のすごいところは私に対してその行動を規制するようなことを、今まで多分一度も言ったことがないということである。 私も木や石で出来た男ではないので妻以外の女性に心惹かれることもたまにはある。 そして馬鹿正直な私はその事実を妻に隠そうとしたことがない。 それでも彼女はこんな野蛮で不器用な男がどんなに女性に心惹かれようと、その恋は決して成就することがないことを見透かしているのか、終始変わらぬ優しい態度で私を見守り続けてくれる。 その上必要とあらば経済的にひどい負債さえ残さななければという条件で、いつでも出て行ってくれれば私を自由にしてくれるというのである。 その理由は、自分の愛する存在が一生懸命生きていてそれで幸せであるならば自分も十分に幸せであるということだそうだ。 太得子さんが今でも私とは別に自分の仕事を持っていて経済的な独立性を保持しているのは彼女の自立の信念の現われであろう。 そして、今まで私を経済的に助けてくれたことはあっても私に頼ったことは一度もないのだ。 彼女は私のような卑小な人間からは誠に信じがたい存在なのである。 思うに私は太得子さんという女性に自分の母親役をやらせてしまっているのであろう。 その点では本当に申し訳ないと思っている。 そして常に彼女に対する強い尊敬と感謝の念を禁じえないのである。 しかし、もしかして私は太得子さんにとっては少しだけやんちゃで面白いペットのような存在なのか? まあそんな風に思えないこともない。 そんなことをいろいろ考えているともう昼前になってしまった。 今日は今から神鋼加古川病院で左脚に出来た静脈瘤の日帰り手術をする予定だ。 この手術で局所麻酔に使用するリドカインについては、今から25年前に私の実母が今の私と同じ50歳の時に子宮筋腫の手術の際、腰椎硬膜外麻酔の前の皮膚の局所麻酔でリドカインによるアナフィラキシーショックを起こして死んでしまったことからあまり良い気はしない。 しかし、アナフィラキシーショックであれば一発で死ねるはずであろうからある意味楽な死に方である。 まあなるようになるであろうから行って来ようと思う。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 午後3時過ぎに下肢静脈瘤の手術は無事に終了して帰宅することが出来た。 帰るとジャムの子供たちに午後の離乳食を作って食べさせてやる。 ジャム親子にはそれぞれ一日に三食食べさせなければならない。 この子らに最近使用しているフードはサイエンスダイエットプロのパピーだ。 子犬たちの成長は素晴らしい。 スタッフォードシャーブルテリアの子供を取るのは初めてのことではあるが今回の子供たちはなかなかのものであろう。 午前中はかなり良い天気であったが、午後から空模様が怪しくなってきた。 テレビの天気予報では西からまた崩れてくるということなので、夕方のわんこタイムは雨の中かもしれない。
2005年7月7日(木)
動物病院ではケージの中に1頭で入れておき、時々連れ出して外の砂地で排泄させる。
少し鳴く度に声をかけて黙らせる、黙ったら誉めるを繰り返していたが、夕方に私が長い間目を離さざるを得ない時にひどく長く、1時間あまり鳴き続けていた。
2005年7月8日(金) 昨夜は午後10時過ぎに四郎君を庭に出してから寝た。 今朝はわんこタイムが終了後7時15分に帰って、四郎君とピノコを犬舎のバリケンに入れて食事を与える。 そのまま子犬2頭をケージに入れたままにしておくと、ピノコがしばらく控えめな声でキャンキャンと鳴いていたがそのうちに静かになり、結局出勤前の8時25分に庭に出してやるまでほとんど静かにバリケンの中で辛抱してくれた。 子犬たちも徐々に成長して私の方針に従うようになってきているようだ。 夕方7時に動物病院の診療が終わった後、何故かひどく疲れを感じた。 犬の運動に河川敷に行く気がしない。 ハンナは明日の老人ホーム訪問の予定があり、午後に綺麗に洗い上げてあるので今晩は動物病院にお泊りである。 ハンナの場合、せっかく綺麗にしていても河川敷を走らせると高速で散々走り回って、身体が暑くなると適当な水溜りを見つけてはザブンと身を浸してしまうのだ。 そういうわけで今晩は自宅にいる年長さんはコルテス君とみつを君の2頭だ。 それに四郎君とピノコが加わって合計4頭なのでえらく少ないように感じる。 とにかく今晩は犬と一緒に歩くのがひどく面倒くさいので庭に4頭放してお茶を濁すことにする。
午後9時40分から犬たちに食事を与える。 今晩はピノコを自室のバリケンに入れて食事を与える。 子犬たちはすでに食事を前に停座で待つことが出来るまでになっている。 食事が済むと犬舎のバリケンの四郎君がワンワンと鳴き始める。 行ってやって静かにするように言い聞かせていると今度は自室のピノコもピイピイ言い始める。 ピノコにも遠くから声をかける。 そうして交互に声をかけて、子犬がしばらく黙ってくれると優しい態度で誉めてやる。 5分もしないうちに四郎君もピノコもケージの中で静かにしてくれるようになった。 さて、今晩はどれくらいの時間1頭ずつケージに入れておこうかと思いきや、四郎君がひどく鳴き始める。 そばに行けば黙るものの、私が離れるとすぐに鳴き始める。 仕方なく四郎君も自室に入れ、ピノコとは別のケージに入れてやった。 今晩はこうして2頭の子犬の子守りをしながら過ごすことにしよう。 しかし、午前1時に2頭とも急にキャンキャンと鳴き始めた。 ベッドの中から声をかけて黙らせて、5秒黙ったところで誉めてやって、そのまま良し良しという声と態度で牽制をかけながら1頭ずつケージから出して、庭に放してやった。 自分はそのまままたベッドに直行して意識を失った。 最近は何かあって夜中に目が醒めてもまた寝付きが良くなってきている。
2005年7月10日(日) 今日は岡山市で行なわれた獣医内科学のセミナーをまる一日受講した。 講師先生は心臓病の大家で、教え方がすごく上手であり、ここだけは憶えて帰ってほしいという意図が明確に伝わる判りやすい講義だった。 お陰で平凡な獣医の私も少しは賢くなったような気がした。 ここ3日間、コルテスとみつをがハンナの陰部を熱心に嗅いでいる。 もしかして、発情が始まるのかと時々陰部にティッシュを当ててみるのだが赤いものは付着してこない。 しかし、もうそろそろかも知れない。
2005年7月11日(月) 朝一番河川敷わんこタイムの時にはすごい雨で犬も人もびしょびしょであった。 最近コルテス君の皮膚の状態が湿気のためか少し悪いような感じを受ける。 前半の空梅雨の時にはちゃんと降らなきゃ困ると思いながら、これだけ降ると早く梅雨が明けないかなと人間も勝手なものだ。 しかし、歌の文句にもあるじゃないか。 「願い事がかなわなかったり、願い事がかないすぎたり、誰も悪くはないのに、哀しいことはいつもある。」 人の世はそんなものであろう。 午後から夕方は、雲ってはいるが雨は降っていない。 久し振りに夜引きに行こうと思い立つ。 午後8時35分に自宅を出発。 午後9時半にB市KG地区林道の北の入口に到着する。 猪鹿の食害防止フェンスを開けて中に入り、50メートルくらい進んで県道から自動車のライトが見えないであろうところでみつを君に発信機付き首輪を付け、自動車から下ろした。 みつを君、フェンスのところまで戻って行って、そこから右手の山の中に登って行って、すぐにワンワンワンと鳴き始める。 おやおや本当に里に近い山の出口にいるものなんだなあ。 声の下まで歩いて戻って、ライトですぐ近くに感じられる声の方向を照らしてみる。 何にも見えない。 しかし、ライトで照らすと相手が移動し始めたのか、声はゆっくりとこちらから離れるように、フェンスに沿って西に移動していった。 結局、みつを君は私の時間感覚で、約5分でこちらに戻って来た。 自動車に戻って少し山の中に進み、 200メートルくらい行ったところでコルテスを放す。 みつをコルテス両犬は林道を奥に向かって嬉しそうに走る。 さらに200メートルか300メートルくらい進んだところで、みつを君が左手の浅い谷に下りて行って、ちょっとだけ鳴いて、また戻ってきた。 何かよく判らないので、ハンナに発信機を付けて放してやる。 放されたハンナはみつを君の鳴いたところには全く関心を示さず、そのまま林道の奥に向かって走っていく。 みつをとコルテスその後に続く。 そこから約4キロほどの林道を犬たちと一緒に走ったが、途中、頂上付近の竹林を抜けたところでみつを君がしばらく鳴いたものの、近くにいたはずのハンナは全く反応しなかったので、本当に猪に向かっての鳴きかどうかはかなり疑問が残るところである。 コルテス君の走りは、時たまハンナやみつを君の動きに刺激されて5、60メートルくらい前に走ることがあるくらいで、ほとんど自動車の前2メートルから4メートルの位置を時速10キロ以内でとろとろ行く感じである。 もう少し成長して猟欲が出たら積極的に前を走って欲しいところである。 林道の南出口で犬たちを自動車に乗せる。 ここで時刻は午後11時40分くらいだったであろうか。 明日は休みで、肢の手術創の抜糸くらいしか用事がないので、もう一本林道を走らせることにする。 県道をしばらく走って次に行ったのが、同じくB市のOGの谷であった。 ここでも約4キロの行程を走らせたが、さすがに疲れの見えたコルテス君は2キロ地点で自動車に積んでやった。 OG谷南北の林道の最終地点くらいで、みつを君が先に立って鹿を少し追いかけたようだ。 林道前方を走る鹿とそれを追うみつを君とハンナの姿がヘッドライトの光に少しの間見えた。 林道の終わりはGJR池堰堤である。 ここで犬たちを積んで時計を見ると、午前0時50分を過ぎている。 眠い目をこすりながら帰宅したのは午前2時前。 久し振りの夜引きは楽しかった。
2005年7月12日(火) 体調復活と天候の良さに調子づいて、今日は朝いちの術創抜糸と片付け物を済ませてから山に行くことにした。 スタッフィーの子供たちとジャムに昼食をやり、自分も冷蔵庫の残りものを漁って、12時35分に出発する。 ハイゼットジャンボ号にハンナ、みつを、コルテスの3頭を積んで、まず河川敷に行く。 ハンナとコルテスはとりあえず排尿排便を済ませるが、みつを君だけは排便しない。 おいおい昨日もこんなだったぞ、で、載せて走り出した途端に急に鳴きだして、結局失敗したのだ。 「みっちゃん。 はようんちしいや。」 と気休めに声をかけるも犬はそ知らぬ顔。 もう少し待つもみつを君は排便しない。 「もうええか? 途中でしとうなっても知らんで。」 と言って、犬たちを自動車に積む。 しかし、やっぱりというか、加古川バイパスに乗った途端に、荷台から、「キャンキャンキャンキャン」 と悲鳴が上がった。 ああ・・・・・・。 やっぱり。 午後1時40分頃、B市URY地区奥のMN別れというところに到着。 先にみつを君だけを連れて、MN別れから北東に伸びるお寺に向かう山道を登り、池を過ぎたところで東西に長い尾根を歩く。 ここらから新しい食み跡がそこここに散見される。 そろそろ何か出るのかと思いながら歩いていると、みつを君が遠くに離れて行く。 トランシーバーから入る音声からみつを君の様子をうかがっていると、離れて行って3分くらいで鳴きが始まった。 しかし鳴き声の方向に小走りで移動しようとすると、突然鳴きは止まってしまう。 そう言えば5月1日に三田の猪犬訓練所で大きな猪に少し鳴いてはすぐにその場を離れるという態度を見せていたが、山の猪にも同じようにやってしまうのだろうか? そんなことを考えながらみつを君の声のしていた方向に歩いて行くと、みつを君こちらに戻って来た。
みつを君にねぎらいの言葉をかけて耕作放棄された廃田の畦を歩いていると、いきなり目の前に青大将が現れた。
山の中なので蛇くらいいても不思議ではないのだが、久し振りに見る青大将だ。
画像を一枚撮らせてもらった。
最後の鳴きは、ガサッという音を立てて、恐らく鹿であろうが、動いた対象に突進して行って、「ワンワンワンワン」 と鳴いて追いかけて行ったものである。 この時も3分も経たぬうちに帰って来てしまった。 それにしてもよく判らない犬だと思いながら自動車に帰ったのが午後4時前である。 みつを君を自動車にしまい、ハンナとコルテス君に発信機付き首輪を付けて下ろす。 今度はMN別れの南の谷を少し下って、東側の南北の尾根を登って、少しだけ北に移動し、すぐにまた緩い斜面に作られたつづら折りの作業道を下りてくる1時間強の行程である。 ハンナは相変わらずの広めのレンジとまずまずの連絡でまあ良い感じであったが、残念なことに獲物には出合わなかったようだ。
しかし、緩い斜面の中途にあった猪のヌタ場でハンナがヌタをうつのには参った。
それも気持ち良さそうにドロドロである。
エステ気分かい?ハンナちゃん。
午後5時30分くらいに山を下りて加古川に帰る。 さすがに今晩は眠くなりそうだ。
2005年7月13日(水) 朝の犬連れウォーキングは主従とも昨日十分に運動が足りているので軽く済ませた。 で、朝からスタッフォードシャーブルテリアの子供たちを庭に出し、 ピノコと四郎君を動物病院に連れて行った。 午後は生後推定4ヶ月の猫の大腿骨骨折の手術をやった。 ラッシュピンというテクニックを使って固定してやるのだが、それなりに満足すべき結果であったと思う。 明日は老犬の肥満細胞腫の摘出手術である。 既に細胞診でグレード2以上という結果を得ているので、クライアントにはこんな腫瘤を取るのに大きく切り過ぎたのではないかと誤解されないようにきちんと説明してマージン(辺縁)を3センチメートル以上取り、深さも筋肉一枚以上は切り取る予定である。 頑張らなくっちゃ。 動物病院ではピノコは静かにしてくれる。 四郎君は夕方まで概ね静かにしていたが、夕方の散歩の時間前後から激しく鳴き出した。 こちらもそれなりに忙しいので放っておいたが延々と鳴き続けるのには参った。 しかし、診療終了後に四郎君のケージの前に行って、静かに言い聞かせるように話しかけてやるとそれなりに黙ってくれた。 スタッフィーの子供たちは庭で一日楽しくやっていたようだ。 夕方診療が済んで帰宅したら年長さんたちを河川敷に連れ出して排泄と運動をさせてやり、子犬たちはリビングの産箱に戻して食事を与えた。
2005年7月14日(木) 昨日静岡のSZ氏から大分県の川野氏宛ての紀州犬牝子犬を私のところで中継してくれるように依頼があった。 で、今朝は午前5時過ぎに起きて犬たちを河川敷に連れて行き、 6時過ぎには神戸市西区の西濃運輸神明支店に向かって出発した。 約30分走って神明支店に到着する。 すぐに子犬を受け取ったがケージの中では排泄をしておらず、さすがに純粋日本犬の子犬だと感心した。 帰宅して庭でケージのドアを開けて自分から出てくるように促してやる。 しかし、なかなか出てこない。 他の犬たちはそれぞれのケージにしまっておいて子犬のケージのドアを開け放しておいて自分は出勤前の身支度を整えるために家に入った。 8時22分に庭に行ってみると、子犬はケージから出ていて良いうんちをしていた。 早速うんちを検便用に袋に入れ、 子犬をもう一度ケージに入れようと優しく声をかけながら手を伸ばす。 すると、ウウウッと唸り声を上げて口を持ってきた。 いきなり母親から引き離されて見知らぬところに送られて、怖そうなおっさんに捕まえられそうになるなんて、どう考えても怖いよね。 いったん手を引っ込めて、優しく声をかけてやって、 今度はそろりと片手だけ口の前に差し出してやる。 こわばっていた子犬がちょっとだけ手の臭いを嗅いだら、少し手を伸ばして首筋の毛をちょっと撫でてやって、 さらに子犬の反応を見ながら撫でかたを強くしてやって、それから子犬を抱きかかえてやった。 子犬を連れて動物病院に出勤し、 検便をしたが特に寄生虫の卵は検出されず、 子犬の身体検査でも特段の異常は認められなかった。 この日は午前中は割りと来院件数が多く忙しかった。 新築効果が徐々に現れてきているようだ。 午後は予定されていた肥満細胞腫の摘出手術を実施、 直径3センチメートルの腫瘤に3センチメートルのマージン(辺縁)を付けて、下部も筋肉一枚余分に剥がして摘出すると、 縫い合わせて出来上がった創の大きさは13センチメートルを越えている。 まあ、大変なことだ。 肥満細胞腫の老犬は14才で術前の血液検査では軽い窒素血症が発見されたものの、麻酔の覚醒も順調で何ら心配するようなことはない。 一応一晩預かって輸液療法をやってから返す旨クライアントには了解を取った。 午後の手術が割りと早くに終了したので、川野氏に連絡を取って、紀州犬を今晩西濃運輸で送る段取りをする。 川野氏了解とのことなので、午後4時35分に動物病院を出発して、今度は神戸市長田区の刈藻島にある西濃運輸西神戸支店に向かった。 犬を宅急便で送るについては支店同士の直行便でなければ危険が大きいので受け付けてもらえない。 そして、こちらから大分支店には西神戸支店からしか直行便がないのだ。
午後5時過ぎに西神戸支店の到着し、 手続きを済ませて子犬を預ける。 動物病院に帰ったのが午後6時前、 診療を数件こなして午後7時前に12才か13才だかの牝犬で膿性のおりものが出てぐったりしているという電話連絡が入る。 すぐに来院するように返答して待っていると、患犬が到着した。 体重10キロ少々の小さな牝犬で、オーナーさんは10数年前に私にかかっていたという女性の方である。 血液検査、レントゲン検査で子宮蓄膿症が判明したので、 手術を奨める。 念のために心電図検査をやって心臓の状態もそうひどくはないことは確認しておいた。 飼い主の奥さんは、手術となるとどうしてもご主人の同意が必要だと言われる。 動物病院から電話連絡を試みても応答がないので、片道30分をかけて帰宅して確認したいとのこと。 一晩預かっている間に子宮破裂が生じても困るので奥さんが自宅に帰って確認を取るのを待機することにした。 待機する間、 牝犬には静脈留置を実施してラクトリンゲルを輸液しておく。 スタッフにはコンビニで購入した食べ物を食べてもらいエネルギーを蓄えてもらう。 午後8時25分頃、奥さんから電話連絡が入り、手術を実施して欲しいとのこと。 早速鎮痛剤、 鎮静剤などの麻酔前投薬を投与し、 プロポフォールで導入麻酔を実施、 速やかに気管挿管する。 そのまま術野の毛刈り、消毒、術者助手の準備とスムースに進め、午後9時前に切皮開始である。 手術自体は切皮から縫合終了まで約30分で終わった。 私は今まで子宮蓄膿症の症例は1頭も死なせたことがないと思う。 とにかく発見し次第速攻で手術を実施するようにしているのだ。 残業手術をやると体力的には少々こたえるが、それでも成功するとそれなりに達成感を感じる。 手術の終了をクライアントに電話で報告し、 後片付けをしていったん帰宅したのは午後11時前であった。
2005年7月18日(月)海の日 今日は祝日、 久し振りに普通の人の休みと自分の休みが一緒だ。 昨日ドクターKが三田の猪犬訓練所に一緒に行こうと誘ってくれたので午後から出発する。 約束の午後2時を少し過ぎて2時15分頃に訓練所に到着。 ドクターKは既に到着していた。 ドクターKが岡田翁を自宅に呼びに行っている間に犬たちの排泄を済ませる。 岡田翁が訓練場に現われて、最初にビビアン3号を強めの猪に当ててみようということになる。 出して来た猪は先月の28日にノイズとハンナが咬み止めた猪。 これに対して犬はビビアン3号1頭だけである。 今日は梅雨も明けた感じで日なたはかなり熱い。 しかし、訓練場の中は大きな水楢の木やらたくさん茂っていて池もありひんやりと心地良い感じだ。 誠に木の力は偉大である。 ビビアン3号、 最初にまず猪を見て、いきなり目をそらしたかと思うと別方向に歩いて行ってしまった。 よく見ると彼女はかなり太ってしまっている。 猪からかなり離れたところで立ち止まったビビアン。 今度は少しゆっくりめに歩いて猪の方に戻って行って。 泥でヌタを打っている猪にこっそりと口を持っていこうとした。 猪が撥ね起きてビビアンに向かうと、牝ドゴはパッと飛び下がって、ワンワンと鳴きを入れた。 しかし、どこかすごくやる気があるとは言えない感じだ。 途中でビビアンと一緒に暮らしているコルテス君の同胎犬牝のスナメリも一緒に入れてみたりもしたが、ビビアンの集中力は単犬もしくは見習い犬1頭と一緒くらいでは途切れてしまって、早くに猪との闘争をあきらめてしまった。 スナメリの方は猪を見ると嬉しそうに前で飛び跳ねてみたりしてなかなか面白い反応みたいだ。 しかし、猪に一発かまされて腿にべったり泥を付けて帰ってきていた。 気温が高いのと太り過ぎなのとで運動能力が落ちているのが今日のビビアンのやる気のなさの大きな原因かも知れない。
ビビアンとスナメリが猪を放棄して帰ってきてしまったので、今度はハンナとみつを君を一緒に入れてみることにする。
みつを君は咬み犬と一緒に猪に当てないほうが良いとOK先生には言われているのだが、まあ、ハンナは猪を見れば即咬みに行くタイプではなく、強い猪には鳴いて粘る犬なのでそう悪影響もあるまい。
むしろ単犬では集中力の継続しないみつを君が延々と粘るハンナに良い影響を受けないかと期待する。
最後はコルテス君を大きいけれども弱くて走って逃げるだけの初心犬用の猪に当ててみる。 しかし、コルテス君まだまだ猪に向かう気が出てこない。 途中でスナメリちゃんも入れてやって、ドクターKと私で猪にプレッシャーを与えて追いかけたが、スナメリちゃんはそれなりに猪について行くというか関心を示すようになったものの、コルテス君の方はまだまだ僚犬が入っても猪には関心を示すには至らなかった。 コルテス君、次回に乞う御期待というところか。 訓練を終えて、岡田翁のビーグルの健康相談をしたりしてから料金を払い訓練場を後にする。 近くの羽束川で犬を洗って時間を見ると午後5時少し前。 ドクターK、 新生グリーンピース動物病院とジャムの子らを見たいと言われるので加古川まで御足労願った。 グリーンピース動物病院についてはいろいろお褒めの言葉をいただいた。 また、ジャムの子らについては大層気に入られたようでずっと楽しそうに触っておられた。 楽しい一日であった。
2005年7月20日(水) 最近のグリーンピース動物病院はえらく手術の件数が増えている。 昨日は高い所から転落して脚を挙げたままだというビーグル犬が神戸市から来院。 レントゲン写真を撮ってみると骨盤骨折であった。 これは高所からの転落ということもあって肝臓や心臓、腎臓などを打撲している可能性がある。 従って、こんな症例では嬉しげにすぐに手術に飛びつかずに、少しだけ慎重を期して各臓器の機能障害の有無を確かめてから骨折治療に取りかからなければならないのだ。 ビーグルの梅ちゃん、 やはり肝臓の打撲によりGPTという肝臓の酵素が900単位にまで上昇していた。 因みにGPTの犬における正常値は78単位だったか、とにかく80単位未満である。 梅ちゃんは数日肝臓の手当てをやってから週末にでも残業で手術をやることにした。 ここのところ午後の休診時間は毎日何らかの手術が入っているのである。 今日は、夕方になってからハンターの方が少し大柄のイングリッシュセター牡を連れて来院された。 3週間前からかなりひどい嘔吐と下痢を繰り返しているそうだ。 このセター、先週から他院にかかって血液検査をしたり皮下輸液を受けたりしていたらしいが、全然改善しないとのこと。 しかし、少し詳しく検査や治療の内容を訊いてみると、不肖私の眼から見ると少しピントの外れた診療内容だ。 すなわち、これだけ激しい嘔吐をする症例では、しかも水を飲んでも吐くという厳しい症状では、必ず急性膵炎を鑑別リストに上げるべきであろう。 急性膵炎の指標である血漿アミラーゼを測っているのは良いとして、 それが機械の検出限界である1200単位オーバーという検査結果であるが、 人はいざ知らず、犬のアミラーゼの正常値は2000単位をはるかに越えた値なのだ。 従って、卑しくも獣医師の看板を上げているのであれば、血漿を少なくとも4倍に希釈して測定しなければならないと思う。 それからまた、この犬が一般的な胃腸炎だとしても治療の内容としては単に皮下輸液をするだけでは不十分で、通院で治療するのであれば下痢止め、嘔吐止め、抗生物質などの内服を実行するべきではないだろうかと思うのだ。 というわけで、飼い主さんに断わりを入れて血液検査とレントゲン検査を実行してみた。 すると、まず急性膵炎の存在が、TLIHという検査項目から判明。 次いでレントゲン検査から腸管内に異物が存在していることが判った。 とりあえず開腹手術で異物を摘出して、それから急性膵炎の内科的治療を実施すべきであること、それから体重22キロのセターであれば治療費もそこそこかかる旨飼い主さんにお伝えした。 ハンターのご主人は、奥様に断わりを入れるからといったん帰宅され、約30分後に手術に同意する旨電話を下さった。 それから急遽手術に取りかかったのが午後8時40分頃、 空腸からグシャグシャになったプラスティックの塊を取り出して閉腹したのが午後9時45分であったか。 セターの麻酔からの覚醒は体力があまり残されていないこともあってか少し時間がかかった。 私たちも後片付けを何とか済ませていったん帰宅したのは午後11時少し前のことであった。 セターのコロちゃん。 異物による腸閉塞が原疾患で、急性膵炎は二次的なものだったら良いのであるが、 正直そこまでの判定は出来ない。 今後一週間は急性膵炎の治療に全力を尽くそう。 しかし、お陰で、犬たちの訓練はかなりおろそかになってしまっている。 とりあえずは毎朝最低40分は一緒に速足で歩き、夕方は30分は真っ暗で誰もいない河川敷に行くことだけは続けている。 子犬の服従訓練なんか全然やる余裕なんかない。 しかし、これでは訓練手帳が診療日記だ。
2005年7月22日(金) 今日は月に一度の鶴林園犬猫連れ訪問日だ。 ジャムの子供たちを連れて行こうとお昼に犬舎に行って子犬たちにふやかしたドライドッグフードを食べさせて、ジャムママにも残りを食べさせる。 ひと通り作業が済んで、さて子犬たちを自動車に積んでやろうと大きな声で呼んでみるが、満腹状態の子犬たちは犬舎に置かれたケージの下の隙間に入り込んで出て来ようとはしない。 汗をかきながらケージの下に手を突っ込んで、手の届く範囲の子犬を3頭と自分から出てきた子犬2頭の計5頭を何とか200号のバリケン2個に入れて、ジャムママもアクティバンに積んで動物病院に戻る。 動物病院では、既に今日同行することになっている町内のクライアントのAZTさんと、宝塚から御自分のエアデールテリアのトリミングを依頼にこられれてその間訪問活動を見学されたいとの御希望のOSMさんとがお待ちだ。 慌ただしくも準備を整えて三人ともアクティバンに乗り込んで午後1時10分頃出発。 普通に走って1時35分には鶴林園に到着する。 子犬の入ったバリケンを下ろしたら、園の方にお願いしてクーラーの効いた部屋に入れてもらった。 理事長夫人に挨拶をし、OSMさんを紹介する。 中庭にいるゴッドマンUとディアの間の子のハッピーをOSMさんにお見せして、私の言うことならちゃんときいてくれるハッピーの服従訓練を実演してみたりして、しばらくお話しをする。 時間が来たので園の玄関に戻り、 集まったボランティアの方々と一緒に2階ホールに上がった。 「こんにちはー。 わんちゃん来ましたよー。 」 大きな声で集まっているお年よりの皆さんに挨拶をして、ジャムの子犬たちをケージから出す。 5頭の子犬たちのうち1頭を自分で抱いて、残りは園のスタッフの方にお任せして、ジャムを連れて近くの老人のところに行く。 約1ヶ月前に参加した時はもっと小さかった子犬たちも体重は軽く3キロを超えてずっしりと重くなっている。 ご夫婦で園を利用されているという方に子犬を抱いてもらう。 子犬は、庭で自由にさせている時に近寄ったりすると足に絡みついて咬みついたりするのだが、見知らぬ方に抱っこされたりすると大人しく神妙にしている。
やがて午後3時になり訪問時間は終了する。 「本日は有難うございました。 来月8月は26日にまいりますのでよろしくお願いしまーす。」 と皆さんに挨拶を告げてホールを後にした。 訪問の最後には一階ロビーで園の担当者を交えて参加者のミーティングを行なう。 ミーティングは3時15分頃に終了し、4時前に動物病院に帰り着いたのは午後4時少し前であった。 帰ってみるとOSMさんの御愛犬ダービー君は、OTK看護士の手によって綺麗にトリミングされていて、OSMさん大層ご満足の態であった。 さて、本日は夕方の診療時間が終了した後、神戸は須磨から来院して預かっている骨折のビーグル犬うめちゃんの骨折手術が予定されている。 骨折部位は腸骨体、坐骨、恥骨の3ヶ所であるが、この症例では腸骨だけステンレスのプレートと骨ネジで正確に固定してやれば後の2ヶ所は何にもしなくてもそのまま治癒するはずである。 午後7時が過ぎて、看護士の一人にスタッフの残業食を近くのコンビニまで買いに行ってもらう。 会計を〆めていよいよ手術を開始。 うめちゃんは速やかに麻酔導入されて手術台上に横たわる。 モニター装着、気管挿管、静脈点滴接続、術野の毛刈り剃毛洗浄消毒、と準備は淡々と進む。 その間術者と助手は手洗いとガウン装着、手袋装着を済ませ、 切皮を開始したのは午後8時過ぎ。 プレーティングを終了して創を縫合し終わったのは午後9時を少し回っていた。 整形外科の手術を終えると必ず直後に術後のレントゲン検査を行なうのだが、フィルムが現像されてきちんと整復固定されているのを確認するまでは、何時も少しだけどきどきする。 今晩も術後のレントゲン写真ではきちんとした結果が確認できた。 やれやれである。 手術が終了すると、スタッフが後片付けする間に、私はいったん自宅犬舎に戻り、待っていた犬たちを河川敷に連れて行って排泄と運動をさせてやる。 犬たちを自動車に載せたまま約一時間後再度動物病院に戻ると後片付けは一応終了していた。 かくて皆さんの本日の退社時間は午後10時半くらいであったか。 スタッフの皆さん本当にご苦労様でした。
2005年7月25日(月) 先週から入院していた急性膵炎と腸閉塞併発のイングリッシュセターコロちゃんが本日退院した。 結局異物による腸閉塞が主な疾患で、 急性膵炎は二次的なものだったのであろう。 手術で異物を摘出してから急速に状態が改善して、術後4日目には血中アミラーゼも正常範囲に低下し、 嘔吐下痢も全然生じなかった。 ただ、急性膵炎はそのきっかけが何であれ経過によっては生命に関わる疾患である。 一応食べ始めて状態が落ち着くまで静脈輸液と膵酵素阻害剤の投与は継続し、まあ、大丈夫という感触を得たので本日の退院となったのである。 一生懸命の治療がうまく行って本当に嬉しいことだ。 金曜日に手術をやった骨盤骨折ビーグルのうめちゃんの経過も順調だ。 ケージ内安静の必要性とクライアントの都合もあったりして退院は今週末ということになったが、このまま大過なく回復するものと思われる。 本日は25日にて、取引先への支払日である。 午後はミニチュアダックスフントの去勢手術と晩期遺残乳歯抜歯をやっつけて、その後銀行と郵便局を回って支払いを済ませた。 動物病院の方は、手術が済んでから電気屋さんが来てくれて当初二階に設置していた関西電力のeo光ファイバーのルータと無線LANを一階に下ろし、二階のコンピュータはLANケーブルで動かすという配線工事をやってくれた。 光ファイバーのルータとの接続だけは専門業者さんでなければ駄目だということで、 関電の業者さんがやって来て繋いでくれた。 でもその料金が1万7千円を越えるのには参った。 他人に出来ないことはお金がかかるんだなあというのが実感である。 そんなこんなの合い間に、そうだ、ジャムの子供たちに2回目のワクチン接種をしなければならない。 TKI獣医にお願いしてインターベットのDHPPiという最初に接種したのと同じワクチンを8頭分注射器に吸ってもらって、本日から研修に来ている大阪コミュニケーションアート専門学院学生のMSTさんに助手をお願いして自宅犬舎に行く。 自宅犬舎の庭に行くと、黒っぽい子犬たちがたくさんわらわらと近寄って来て、私たちの足にかじりついて来る。 そのうちに仲間同士でレスリングをやったり、吠え合ったり、賑やかなものだ。 近所迷惑にならないかと少々心配である。 御近所の皆様あと一週間のご辛抱です。 申し訳ありません。 1頭ずつ子犬を掴まえて、ワクチンを背中に皮下注射していき、済んだ子はサークルの中にしまう。 そうしないと二度打ちしたり、打てなかったりができる怖れがあるのだ。 しかし、子犬に慣れていない感じの学生さんはサークルのドアを開けると外に出ようとする子犬たちの圧力に少し戸惑い気味であった。 子犬のワクチン接種はそうして無事に終了。 その間も母親のジャムちゃんはじめ4頭の年長さんたちはケージの中から静かにこちらを見ているだけで静かなものである。 ジャムの子犬たちは一週間後には新しいオーナーさんのところに行くことになる。 きっと元気で幸せになるよね。
2005年7月30日(土) 深夜午前1時過ぎにドイツのマンハイム大学に留学中の長男からメールが入った。 確かドイツは日本よりも8時間ほど遅れた標準時間だったかな? だとしたら、彼がメールを送信したのは現地時間で午後5時過ぎくらいか? 一日の授業が終わってひと息ついた頃であろう。 内容はこのサイトにアクセスして知った私の健康状態とか心理状態について心配し、それを気遣うものであった。 文面から彼の心理的な成長というか、人間的な成熟を感じることが出来る。 ああ、有り難いことだ。 大切な息子がこんなに優しい気遣いのできる素晴らしい存在にまで成長してきたのだ。 親馬鹿と言われそうであるが正直とても嬉しく感じられた。 今日の診療は程好いペースの来院で、 それなりにうまく対応できたのではないかと思える内容であった。 夕方には神戸の骨盤骨折のビーグルうめちゃんが抜糸を済ませて退院する。 非常に順調な回復なので予後は良好であろう。 そう言やあ、今日は私の誕生日だったっけ。 深夜に誰かさんから来た個人的なメールと、どこかで私の個人情報を把握している業者さんからの未承諾広告のメ−ルとにそう書いてあったな。 この年になると、誰か江戸時代だったかの俳人の真似をして、「誕生日、冥土の旅への一里塚。 目出たくもあり目出たくもなし。」 とやろうかくらいのものである。 しかし、未承諾広告は別として、まだこの世のどこかに私の誕生日を気にしてくれている人がいるのは、正直そう悪い気はしないなあ。 しかし、人生も大方三分の二を、自分としては精一杯生きてきたつもりではあったが、どうという結果を出すことなしに過ごしてきて、 この誕生日である。 お前の命はあと三分の一しかないぞという厳しい事実を認識せざるを得ない。 精神的にも肉体的にも何時まで自分が納得できる程度に活動できるのかは、 半分は自分の心掛けと半分は自分の基準の高低にもよろうが、これからはあまり欲張りをせずに一度にすることをなるべくひとつに限定して、目の前の課題をひとつひとつちゃんとなし終えることを心掛けなければならないかな?
2005年7月31日(日) 朝からえらく湿気が多くて屋外で少し動くと汗が吹き出て気持ちが悪い感じだったが、 午前10時過ぎくらいだったか、いきなりスコールの如くに激しい雨が降ってきた。 そのうちに雷まで鳴り出してきた。 雨の降り方も地球温暖化の影響からか、ここ数年熱帯化しているような感じだ。 11時丁度くらいに、和歌山からKYBさんがジャムの子を引き取りに見え、黒と白で肢の一部にブリンドル柄のある牡を連れて帰られた。 夕方には、大鶴パパが来宅した。大鶴パパにはジャムの子牡牝2頭と、ジャム本犬を連れて帰ってもらった。 実は、この2ヶ月近くの身体の変調の経験とかその他の個人的な条件からいろいろ考えて、私は自分の手許に置く犬の数を減らすべきだという結論に至ったのである。 となると、今までの経緯からエアデールテリアは置いておかざるを得ないであろうし、 鳴き止め系和犬雑の猟芸は未知のものゆえこれから経験して行かなければならない、しかも義理の絡む大切な預かり物であるから、これも置いておくべきであろう。 猪猟における咬み止め芸については、そろそろ卒業しなければならないかなとはここ数年ずうっと思い続けながら、なかなか踏ん切りがつかなかった。 しかし、今回は本当に咬み止め芸の犬たちは全部他人に譲渡して、鳴き止めの研究に専念しようと思ったのだ。 可哀相なのは犬である。 主人のそうした気まぐれに翻弄され、その都度新しい主人に仕えなおさなければならない。 許せよ。 お前たち。 しかし、一方では、私の許から他人に譲渡された犬は、そのほとんどが行った先で賢い賢いと誉められて、私の許にいたときよりも伸び伸びと幸せに過ごしているらしい。 であるならば今回ジャムとコルテス君を他人に譲っても、彼女と彼はそれなりに幸せに生きて行けるであろうからまあええかと思う自分がここにいるのも事実である。 これからは残る鳴き止め系の犬たちと仕事とに一生懸命取り組んで行こう。
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