2005/05/30

■ 2005年05月30日 ■井上陽水弾き語りコンサート2005in四万十市

アコースティックのギターだけで、最初から最後まで陽水が弾き語りをする。弾き語りコンサートは今回のツアーでは全国で三箇所だけで行われている。その三回のコンサートの最後は、陽水のお父さんの故郷が近い四万十市(旧中村市)で行われた。他のコンサートも、前半は弾き語りで、バックのバンドが入るのは後半からという構成で、私は四月のツアー初日の舞鶴のコンサートを聞きに行った。初日の弾き語りは陽水一人だけで、本人もかなり緊張し、聞いている方も手に汗握る感じで、しかも前日高田渡さんとお別れをした直後ということもあって、いつもとは違うコンサートだった。四万十のコンサートは古い友人である安田裕美さんのアシストを得て、ツアーの中盤ということもあって、余裕も感じられるステージだった。原点ともいえる古い曲を最初からひとつひとつ丁寧に歌っていく。陽水の曲はもともと初期のものでも古びるということがないけれど、それがさらに今の陽水によって新しく歌われる瞬間に立ち会う幸福感。私はやっぱり彼の歌が好きだし、歌っている陽水が好きだし、歌い続ける彼の姿勢が好きだ。コンサートの全曲が完璧に歌われたとは言わない。高音が出ないこともあるし、歌詞を間違うこともある。ギターのコード進行を間違うことも、時々ある。20年くらい前の陽水だったら、そんなことは自分に許さなかったかもしれない。今の陽水は歌い続けること、あえて主要都市を外して全国すみずみまで回ってファンに歌を届けること、そういうことを意識してやっているように見える。そして、アンコールに歌われた『傘がない』は、すごかった。本気で全力で歌った陽水の力に圧倒される。それは、何年か前に聞きに行ったコンサートのアンコールで私をこの道に引き戻した「人生が二度あれば」と通じるところがあった。同じ感動を求めてコンサートに何度も通うのが恥ずかしくなるような、真剣勝負をいつも陽水はやっているのだ。四万十のコンサートのお客さんは、全国から追いかけてきたファンらしき人たちも混ざっていたが、だいたい地元の昔からのファンの人が多かったように思う。「心もよう」で手拍子がでたのを聞いたのは初めてだ。でも、そういう物慣れなささえ、かえって愛しい感じがする。そういうファンのためのコンサートなんだろうな。「つめたい部屋の世界地図」「小春おばさん」「白い一日」を生で聞くのは初めてだ。・・・うれしかった。

セットリストは以下

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投稿者 SOKE : 19:53 | コメント (0)

■ 2005年05月30日 ■無幾庵さんと話す神戸の夜

大阪にお住まいの無幾庵さんと、お会いすることができました。私の泊まるホテルまで来て下さって、約束の6時ジャストに携帯に「ロビーにいます」とメールが入りました。そうして初対面の私たちは、ホテルから海沿いをぐるりと歩きメリケンパークのモザイクの中を歩き、倉庫を改造した煉瓦倉庫レストラン街の「くら蔵」に腰をおちつけました。お店に三時間近くいたかしら。私はその日、年上の同行の方々の相手をしつつ、長い講演を聞いたあとだったので、ちゃんと受け答えできていたのかちょっと心配なのですが、ネットのことや日記のこと、ハンドルのこと、本のこと。無幾庵さんが暖めていらっしゃるテーマのこと。いろんなことをお話しました。生身の情報量というのは半端じゃなくて、いろいろと面白いお話を伺ったのですが、そのうちご紹介できることもあるでしょうか。お料理もおいしかったし、お店の雰囲気もよかった。うれしいおみやげもいただいてしまったし、いろいろなことが印象深く記憶に残った夜でした。

 

 

付き出しの自家製豆腐 明石タコのお刺身
牛スジの煮込み 明石鯛のカルパッチョ
最後にお茶漬けを食べました。

投稿者 SOKE : 21:39 | コメント (2)

2005/05/31

■ 2005年05月31日 ■10年目の神戸

大阪から新快速で神戸に向かい、神戸の町を歩いて、神戸の宿に泊まった。よそから来た人間の勝手な思い込みかもしれないけれど、普通の風景を見ているのに胸がざわざわするような気がした。今回の研修は、神戸の人たちのたっての希望で、10年目の神戸を見てくださいという気持ちをこめて開催された。10年前の震災の際には、全国からの援助と励ましが寄せられた。そのことへの感謝の気持ちをこめて開くのだという話だった。実際、行き届いた世話をしてもらった。お弁当ひとつとっても、こんなに吟味された心のこもったお弁当は食べたことがないという品物だった。研修も、タイムリーでためになるものだった。日常を取り戻した神戸の人たちの努力とパワーに頭が下がる思いがした。と、同時に震災の記憶が残る神戸の町に心の中で手を合わせた。そして、最近の事故のこともいつも気配を感じていた。JR西日本の職員の人たちの緊張が社内アナウンスからも、窓口の対応からも伝わってきた。場所が見えるわけでもないのに、記憶の底の映像がちらついた。時間が解決しないことはない。けれども、記憶が消えることもない。それらを抱えたまま、それでも回復していくことを心から願いたいと思った。

投稿者 SOKE : 01:52 | コメント (0)