■ 2005年04月26日 ■ お葬式のことなど

昨日がお通夜、今日がお葬式。今年80才になる伯母の葬儀は、身内だけで済ませました。これを密葬と言うんですってね。今日は友引だったので、葬儀場も斎場も他に人がいませんでした。うちは暦にこだわらないし、お寺さんが関係ないとおっしゃったので。飾りのない部屋で棺を囲んで、母や叔母たちと、話をしました。昨日、大きな電車の事故があって多くの方が亡くなられ、そのご家族が過ごされる夜を思うと、胸が痛くなるような思いがするんですが、同じように棺を囲んでいながら、心穏やかでいられたのは、伯母がもう長い間意思の疎通が適わなくなっていたことと、それでも80才まで長生きできたことを喜ぶ気持ちがあったからかもしれません。会場の係りの人も、斎場の担当の人も、とても親切で、敬意を持って接して下さったので、シンプルだけれど、こういうお別れならいいかもしれないと思いました。
斎場へ行ったのはこれが三度目です。金沢は近代的な設備で、大理石の床の、ホテルのロビーのような場所でした。実家の市の斎場はかなり古い建物で、昭和から時間が止まっているような場所でした。今日行った斎場も古い建物だったけれど、他に誰もいなくて、担当の人がひとりで全部作業をしていて、丁寧にいろんなことを説明してくれました。骨上げの時の担当の人によって、やり方が違っているみたいで、ある程度お骨をまとめてくれているときはいいんだけれど、そのまんまで遺族の前に出てきたことがあって、ちょっとショックでした。そのままで収めることができなくて、いろいろしなくちゃいけなくてね。今日は、そんなことはなかったのでほっとしました。のど仏の骨と歯とあごの骨を中心に納めて、上に頭蓋の部分を乗せて、蓋をしました。
伯母は一人暮らしだったので、まだ元気な時に、きょうだいの一人に財産を譲る旨、公正遺言証書をつくり、入院中の世話も葬儀の喪主も相続人がしました。伯母の家は長い間人が住んでいないので、お骨は納骨までお寺さんが預かってくれることになりました。伯父と伯母のお墓は、私の実家のお墓と同じお寺にあるので、お墓参りのたびに、私たちは両方にお参りします。私たちがいる間は大丈夫。
伯母との思い出は、小さい頃預けられていた時のことが大半で、そういうときはたいてい両親が忙しくしている時で、少し不安で寂しい気持ちが混ざっています。町屋の窓の少ない部屋の奥に庭があって、その奥に台所と明かりのない便所(トイレじゃなかったなあ)がありました。縁側に竹で編んだ鳥かごがあって、桜文鳥が一羽いました。文鳥のえさのカラを庭に向かって吹き飛ばしていたのは伯父だったかしら。壁にはミレーの晩鐘のレプリカが飾ってあって、眠るまでの時間、時計のカチカチという音を聞きながらその絵を見ていました。天井の木目が自分を見ているように思えて泣いたこともあったかも。小さい子供の機嫌をとる手段などなかったのです。それでも、ことあるごとに私たち姉妹や、いとこの誰それの面倒を見てくれた二人でした。伯母は料理が上手で、遊びに行くといつも手早く美味しいご飯をつくってくれました。
葬儀というのは、人と人の縁を表しているのかなと思います。義理の客は来なくてもいいけれど、血縁ではない参列者がいないのも寂しいと思ったりしました。死んでしまったら本人にはわからないとわかってはいるけれど。高齢になると、それも難しくなっていくんでしょうけれど。人との間にどんな縁をつないでいるのか、はからずも葬式で見えてきたりするのかも。

斎場で棺と一緒に焼いてもらうものがあって、釜の裏側に回ってのぞき窓から入れてもらいました。ここは灯油を燃やしているのだそうです。ものすごい勢いの火で、点火から五分もたっていないのに、棺の横板はもう燃え尽きていました。枠が金具と一緒に残っていました。その火は怖いというより、浄化する火のように見えました。昨日今日と見聞きしたいろいろなことは、自分からさほど遠くもなく、近すぎもせず、淡々と自分の中に落ち着いていったような気がしました。

投稿者 SOKE : 2005年04月26日 21:04
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