『右手に花束、左手にメス』のCDのところで「置鮎さんが関西弁ネイティブ」と書いたら、それは違うと友人からつっこみが入った。彼は関西に住んでいたかもしれないが、両親が関西生まれではないので、生粋の関西弁ではないだろう、と。うーん。そうなのか。関西生まれの人ならそのへんの聞き分けができるかしら。
そういえば、昔スチュワーデスをやっていた人が言っていた。現役の時の研修で、トレーナーが、東京生まれの訓練生の言葉を聞いて、「あなたのご両親のどちらかは、○○出身でしょう」と、言い当てたと。言葉の専門家には、そんなふうにわずかな方言を聞き分けることができるのかしら。ミステリによくそういうのが出てきたかもね。
私自身は富山出身の両親のいる家庭で、幼少時を金沢ですごし、そのあとは父の転勤で関東と北陸を二往復した。だから、ちゃんとした方言は話せない。実家でもここでも、相手にあわせて方言が出る程度。しかしうちの娘達は、金沢育ちだ。全然転勤がないので、ずっと金沢。学校も比較的地元民が多い。両親はなんちゃって金沢弁だが・・・金沢弁は語尾がのびるんである。「それでえ〜」「ほやしぃ〜」「そうけ〜」時々、聞いていていらいらする。早く結論を言え!といいたくなる。「なんでそんなにベタベタの金沢弁なんだ!」と言うと、「だって、金沢の子だもん。みんなそうだもん。」・・・そうか。むしろ私の方が異邦人か。
ところで私が高校生の頃から、帰国子女というのもそんなに珍しくなくなったように思う。同じクラスに何人かいた。小学生時代に外国に行っていた子と中学校時代に行っていた子がいたが、小さい頃、外国で暮らしていた子の方が、発音に外国風味がついていたように思う。大人になってから会っていないので、今はどうか知らないが。彼らの言うには、向こうにいた頃はちゃんと話せたが、帰ってきたら話せなくなったとか。それでも英語の成績はよかったような気がするけどね。・・・このあたりには、経験者がたくさんいらっしゃるかもしれませんが。
経験者のはしくれ(笑)です。ごめんなさい。きっかけ頂いて、以下、長文逸脱暴走してしまいました。
私自身、日本を離れたのは厨房時代の2年たらずで、外国語を本格的に身につけるには遅すぎました。しかも、学校と家と町中で言葉が違うという3カ国語生活。どれも中途半端でものになるはずがありません。(涙)六年生の時からFEN聴いたりして英語にハマっていたんですけどね。しょせんはガキレベル。
ただひとつ身についたものといえば、こちとら外国人なんだよ、言葉が出来なくて何が悪い、という開き直り精神というか、外国人と同席してもあがることのない毛の生えた心臓です。ま、これは天性で持っている人(笑)でなければ、外地(死語)でないと身に付かないかも知れません。
うちのがっこも小学校の頃から帰国子女(という言葉すらなかったが)が珍しくない、というか、クラスに2、3人はいるかなという感じでした。いわゆる帰国子女いじめなんてものもなかったよな。もちろん特別扱いもないし。
海外に幼い時に行った人ほど、言葉を覚えるのも速ければ忘れるのも速い、というのが定説のようですが、三つ子の魂なんとやらで、結構、大人になっても覚えている人は覚えていて、その国に行くと感覚が戻る場合もあるそうです。(そうでない人もいるかも知れないが。) 一人、9才まで海外で育って編入したきた同級生がいましたが、彼女はまさしく今でもバイリンガルです。
特に発音は、SOKEさんがお気づきのとおり、やはり唇や舌が柔軟な子供のうちに覚えた方がきれいになるのは確かなようですね。(註※)特に男の子は変声期を過ぎると外国語の発音習得能力が著しく下がると聞いたことがあります。だからと云って、発音がきれいでも中身のあることを話せなければ意味がないし、ブロークンだって、どんどん云うべきことを喋りまくった方が通用することは事実。むしろその方が言葉の本来の機能=コミュニケーションには適していると思います。三島由紀夫が英語を喋っているのをイギリスの番組で聞いたことがありますが、信じられないくらい流暢で巧かったですよ。
だからか、今はやりのバイリンガル教育だの英語イマージョン教育だのがどこまで有効かは、はなはだ疑問を感じるんですが。
(このあたりからSOKEさんへのレスから激しく逸脱するんだが^^;)
また、小学生で海外に住んで覚えた外国語はしょせん小房レベル、中学生(私などの場合)は厨房レベルなので、そのままだと大人の会話や思考ができるかはわかりません。大人として外国語を操るにはやはり大人になってから現地に行かないと難しいようです。もちろん、帰国後の進路や職場・家庭環境、興味の方向などで大きく異なることは否めませんが。
今の職場にも帰国子女や留学経験者が結構いますが、この限られた人数の中で思うのは、大人として英語が使えて、しかも発音もネイティヴなみにきれい、という人は、どうやら高校〜大学の数年間を現地で過ごした人に多いように思います。一番ものを考えて、大人の世界とも地続きの時代だからでしょうか。
もうひとつ、これは絶対明らかなのは、母国語でお喋りな人は外国語会話も進度が速い。母国語で無口な人は外国語会話もためらいがち。
ただね、これも誤解を招きやすいんだけど、語学って会話だけしゃないですよね。私が尊敬する在イギリス30年にならんとするある方の言・「読む・書く・聞く・話す」を均等にやるのが一番いい。
どんな国にも無口な人はいて、その人がその人なりに深く母国語を理解するように、無口な人が外国語を習得することだって出来る筈なんです。
最後にもうひとつ、言語はどこの言葉であってもコミュニケーションの道具に過ぎませんよね。言語学者になるのでもなければ、外国語を習得することだけが目的になってしまうのは危険ですし。
(註※) 確かイギリスで見た(それを日本で放映したイギリスの)ドキュメンタリー番組で、しゃべり始める前の赤ちゃんの「ひとりおしゃべり」…「だーだー、ばぶばぶ、うまうま」といった感じの…音を、数時間分録音して分析したところ、世界中のあらゆる言語で使われるあらゆる発音が入っていたそうです。赤ちゃんて、無限の可能性を秘めているんですね。
翻って、国際結婚したご夫婦が子供をバイリンガルにしようと、両親それぞれがそれぞれの母国語でしか話しかけなかったところ、子供は混乱して4才まで喋らなかったという話もまことしやかに伝わっていたりして。これも子供の性格によるのかなあ。
英語について
私は、Yusa先輩と同じ中高なんだけれど、中学校にはいってびっくりだったのは、
週に学校が経営している修道院の塾も含めて英語が10コマ以上あったこと。
中学1年で、ほぼ公立の中学3年分の詰め込みでした。日本語を一言もお話にならないシスターの英会話の授業などなど、公立いってた人よりかなーーりネイティブな発音に触れていたので、その耳だけは、今もありがいと思います。
で、自分の英語は、米語なんじゃなく、英語なのね。と去年フィラデルフィアに旅行にいって思いました。
方言とか外国語とかはいろんな問題を含んでいて、こんな短い文章では語り尽くせないんですが、いろいろな要素をごちゃまぜにして、出してみました。(笑)おかげで、Yusaさんの長文を読めて私はとてもうれしいです。
Yusaさんの言語体験は豊富で幅広くて、お仕事上でも使われているし貴重だと思う。言語の体験は文化の体験でもあるよね。それなのに、というか、その上というか、漫画とかアニメの領域で同じ作品を楽しんだ過去があるので、シンクロできる余地があるところがもっと貴重(笑)。私は、Yusaさんの中の私もわかる領域から、その先を想像したりする。(テニスはWOWWOW入らないからなかなか行けませんがー)それはとても楽しいです。わからないことはわからないなりに。
成長期の子供が外国で暮らすことは、どういうことなのか、というのは、海外で暮らしたことのある人じゃないとわからないと思う。得るものもたくさんあるだろうけれど、もしかしたら無くしたものもあるかもしれない。私がそういうふうな視点で見るようになったのは、たしかマスターが昔エッセイ漫画で書かれていた近藤紘一氏の『サイゴンから来た妻と娘』を読んだせいかも。彼の娘はベトナム人でありながら、日本で暮らし、フランス語を使う学校で教育を受けることになって、文化の狭間で違和感に悩まされているようだと父親の近藤氏が書かれていたので。(読んだのはずいぶん昔なので、違ってたらごめんなさい。)子供の年齢にもよるけれど、自我が形成されるまでの柔らかい時期に、二つの文化に接することには、メリットと同時にデメリットもあるかもしれないと、それを読んで思いました。小学生の時にアメリカにいた友人の発音が高校生になっても、日本語としてはクセがあったように。それは言葉だけではなくて、目にはみえない文化的な差異も含んでるかもしれない。
Yusaさんがおっしゃっているように、大人として言葉を使いこなしている人は、大きくなってから意識的に言語を習得できた人に多いというのは、自分の立っている場所を確立しているからじゃないかと思いました。
人それぞれタイプも違うし、外国にいた時期や期間や家庭や学校の環境の違いで、ひとことでまとめられるほど簡単な問題じゃないかもしれませんが。そして、違う文化に接した経験というのが、そういうデメリットをカバーして余りあるほどのメリットだし。
なんか、いろんな問題をごちゃまぜにしてるので、あちこち話がとんでごめんね。実際、現在外国でお仕事をしている方々は、そんな悠長なことを考えてるどころじゃないだろうと思ったり。
身近なところに話を戻すと、国内の移動でも言葉と文化は違っていて、それがストレスになる場合もあるし、全然関係ないこともある。人それぞれ。私は北陸と太平洋側を往復して、大雑把な印象として、太平洋側の気質の方があっけらかんとしているなあという印象を持っています。北陸は湿気を背負ってて、湿ってる。転勤でこちらに来て長期にわたると、それが合わないで悩む人もときどきいる。(全然気にしない人もいる。)メディアの発達で、言葉も文化も均一化がすすむ国内では、移動が苦痛になるほどのことはもうなくなってきたけれど、これが地球規模でもそうなるかどうかは、わからないな。どれくらいの速さでどれくらい変わっていくだろう。
私は他の人と話をするのがけっこう好きなので、言語、特に英語をもう少しなんとかしたいなあと思っていますが、まあ、この環境では話す方はあまり必要ない。読み書きをなんとかすれば、ネットでもっと遊べるかなあ。そんな時間があるのかという問題はさておき。うちのチビたちは、金沢という地域でのほほんと育っているので、外の世界に出て行く言葉なり考え方なりを身につけることができるかどうか、というのがちょっと心配。千葉のいとこの早口にさえおいつけないんだよ。
くーみんさん、『笑う大天使』の世界だわ。しかしその環境で、あの人とかあの人とかあの人とか、みたいな人材が育ったことを考えると、環境って不思議で面白いって思うよー
自分が最初ふった話から逸脱暴走してしまった。
うちは、親子で帰国子女のはしくれになるのかしらね。
でも、私は高校生のときの3年間。息子は生まれてから2才まで。
ですから、普通に考えられる帰国子女のイメージとは少し違います。
(本人は全然おぼえてないけど、アメリカ生まれだから帰国子女って、まるマの有利と同じなのよね。だから親しみを持ってるみたいです。実は、名前も似てるのよ>うちの息子)
Yusaさんの書き込みは、うなずくことばかりです。
私の場合、海外生活で身についたのは、それまで人見知りが強くて、初めての人と話すのが苦手だったのですが、何を話してよいか分からない時、「英語で話すよりまし」と思うと「なんとかなる」と勇気がわくようになったことでしょうか。
困ったときは、日本語が通じるなら大抵のことは解決できる――英語しか通じない場合と比べたら、どれだけましか、と思うことによって。
今でもいろんな状況で、持てるボキャブラリーを最大限に駆使して英語で何かを説明していたり、交渉していたりする夢を見ます。
目覚めたとき、ぐっしょり汗をかいている、悪夢です。
アメリカで生まれた子は、日本生まれの上の子よりも口が遅い、というのは、かなり多くの人から聞きましたので、Yusaさんのお話の国際結婚のケースはあり得ると思います。
赤ちゃんがしゃべりだすのには、耳に入る言語の量が影響する。つまりインプットが十分でないとアウトプットにつながらないということでしょう。
発音が良いことと、その言語に堪能ということは違うというのは、今ではしみじみ感じています。
アメリカにいた時、テレビのコマーシャルでものすごく日本人的な発音の英語だと思ったら、それはソニーの盛田会長でした。
また、美空ひばりが10代の時に、ジャズを歌ったのを録音したものをラジオで聞いたことがありますが、ネイティブかと思うような素晴らしい発音だと思いました。
しかし、どちらが英語に堪能と言えるかは、お分かりのことと思います。
耳と音感がよければ、なんぼでもネイティブに近い発音ができるのです。(それと、口腔内の筋肉のコントロールを自在にできるかということも関係しているかと思います)
英語に限らず、外国語は、話す内容があってこそのものと、思います。
そうか、発音がよいことと、その言語に堪能ということは別の場合もあるんですね。さらに、言語を使いこなすことと、コミュニケーション能力も同じに論じられないかもしれない。そもそも、同じ言葉を使っていても、内容のある会話ではない場合もあるし・・・・
無幾庵さんとYusaさんのコメントを読んでいると、実際の体験でついた度胸っていうのが、大きいのかと思いました。こればっかりは英会話教室じゃ、なかなか身につかないでしょうね。語学教材よりはいいけれど。でも、そういう夢を見るというのは、ただで身についたものではないということなんでしょうね。
有利と同じ帰国子女なんだ。それはそれは。勝利にいちゃんくらいになると、多少は身につくものがあったかもしれませんね。
赤ちゃんに対する語りかけから、言語のインプットが始まってるとすると、言葉って奥が深いですよね。言葉に乗せて愛情もそそがれて人は育つわけですから。
ところで、無幾庵さんの100冊。楽しみに見ています。読んだことある本の名前があがるの見ると、どうして100冊といわれた時に漫画ばっかり出てくるのかな、と思う自分。やっぱり別にリストアップしてみるかな・・・書きながらいろんな記憶が浮上してくるかもしれないけれど。
父が魔族ではないので美形の名付け親はいませんが(笑)、鉄の父に学生時代蒸気機関車を撮影しに行ったとある駅の名前をつけられてしまいました。
その名前が性別不明で変わったものだったため、今日までずっと苦労をしてきたというのも、有利に親近感を感じる理由のひとつだそうです。
ただ、性格は勝利にいちゃんのほうが近いかも、というのが本人談。(にいちゃんほど勉強はできませんが)
真似っこして始めてみましたが、100冊選ぶのは難しいですね。
選び方のバリエーションをいろいろ変えて試みてみたいと思ったりしています。
原則として、マンガと、文字だけの本は別枠で選びたいような気がするのですが、じゃあ絵本はどうなる?というので、また悩み・・・。
映画と小説を混ぜているような感じが。
アニメと実写よりも、マンガと小説の隔たりのほうが大きく感じられるのですが、どうでしょうか。
古い人間なので、マンガを小説より一段下に見る、という無意識の偏見から、抜けきっていないのかもしれません。
ちょっと言葉が足りなくて、わかりにくいです。
(マンガと小説を同列に考えるのは)映画と小説を混ぜている(のと同じ)ような感じが(します)
というつもりでした。
美形の名づけ親がいるって、いいですよね〜しかもビジュアルが16年たっても変わらない。
小説と漫画が同列かどうか・・・私の場合はあいまいです。
100冊考えていて、映画とかアニメも入れたくなったの、実は。
自分を形作ったものと考えていたようで。
本だけで育ったわけじゃないと思うみたい。
長文すみません。
私の勤務先には富山県人が3人いて、おひとりが方言で、2人は標準語で話しています。
方言の方は富山で育って金沢の大学を出て、関西勤務が長くて…、聞いていると関西弁みたいにも聞こえるので、あれが富山方言なのかどうか私にはわかりません。
でも基本的には親不知より西の北陸方言って関西イントネーション入ってるよね?
で残りの2人のうちの一人は、就職後バングラデシュ勤務になってベンガル語ができて、ときどき日本人ではない考え方をするので、そういう時には私は「この人はバングラ人なんだな〜」と思って付き合ってます。
だから成長期の価値観も大事だけど、大人になってからでも長期間滞在すれば人間は変わるんだろうなぁと私は思ってる。
発音は細かいところで違うみたい。Yusaの言ってた9才まで外国にいた子は、完璧なバイリンガルだけど、「し」の発音だけは違った。sh音が強い発音になるの。ハワイで育った早見優も、「し」の発音だけは違うんだけど…あ、あの子と同じ…と早見優を聞いていると思う。
私は「かきくけこ」の発音がちょっと強い…江戸訛が多少あるみたい。これは赤坂育ちの父からもらったらしい。母にはありません。
うちは東京に出てきて私で4代目だけど、ずっと標準語だと思っていたのに、家の中でしか通じない言葉(調べてみたら茨城方言だった…曾祖母が持ち込んだらしい)があったりしますし。
Yusaとくーみんと同じ教育を受けながら、私は実践的な英会話は全くできなかった。
就職して国際電話がかかってくるようになって困って、英会話学校に行って。
最初はどうしても、まず頭の中に日本文を作ってそれを訳すの。でもそれではしゃべれない。
簡単な会話の実例を幾つか丸暗記して、応対のタイミングみたいなものを何となく掴んで、英会話学校の校舎の中では日本語禁止なので、しどろもどろで何とか言いたいことを英語にして…それを3ヶ月くらいやっていたら、ある時突然、回路がつながる…っていうか、自分が思ってることが日本語を経由せずに英語で直接出るようになるの。
そうなると、それまで学校で習っていた受験英語の単語ストックが全部、実践で使えるようになるから、突然口がまわるようになる。
本を読む時間も半分に短縮されます(日本語を経由しないから)。
そして、英語でこれができると、カタコトしか出来ない他の原語でも無謀にも同じ思考回路になるみたい。
私は海外で暮らしたことも、きちんと留学したこともないけど、今はそれなりだから。
だから勉強する場所とかか機会とかはあんまり関係ないのかも。何処で学んでもこの回路だけ作ってしまえばこっちのものだと思う。
日本語でおしゃべりな人は外国語でもおしゃべり…これは真実。うちの事務所ではそういう人を「インターナショナルおしゃべり」と読んでいます。
由比さんのお話も面白い。海外経験がなくても、語学の学習はできるんですよね。まあ、それでも職場での必要に迫られてということがあってのことだと思いますが。長女の同級生に英語の上手な子がいますが、その子は両親が英語教師で、英語に触れる機会が多い。だから海外旅行程度の経験しかなくても、かなり巧みに英語を使うことができます。そういう環境は少しうらやましい。親としてね。
さて、方言。富山圏内でも呉羽山の東と西では明らかに言葉が違って、私は関西圏の言葉の北限は親不知より呉羽あたりじゃないかと思うんだけれど、呉東より北のことはよく知らないのでわからない。そして呉西の富山の言葉と金沢の言葉は、また全然違うので・・・・ローカルの人間にとっては別物です。富山と一口に言うけれど、出身地域によって言葉が違うかもです。方言周圏論によれば、文化の中心から遠くになるにつれて古い言葉が残っていたりする、というのは実家あたりの言葉を聞くと妙に納得する。古くて雅な言い回しや抑揚が残っていますよ。人の出入りが比較的穏やかだったから。でもそんな富山でも、いとこたちは海外に仕事に出ちゃって、帰国しても地元に戻ってこないので、いつまで言葉が残るのかはわからない。(しかし、どうして私の文章って違う方向にばかり行くのやら)
さっき書いた子供の友達のお母さんは高校時代に留学した人なんですが、長くお付き合いしていると、微妙に考え方が地元の人と違う。合理的っていうのかな。個人的な性格か、海外経験のせいか、わかりませんが、人っていうのはいろんなものから出来てるんだと思う。
英語的な回路が私にはまだ出来ていない。なまくら英語というのはそのへんで、一度浴びるように英語に集中することが必要と思いつつ、先延ばしにしています。そうこうするうちに目がおぼつかなくなってきて、英文読む元気なくなっていくのかなあ。