『ハウルの動く城』の原作を読みました。原作を読んでから映画を見た姪は、映画をものたりないし、シンプルだと文句を行っていました。映画を見てから原作を読んだ私は、宮崎アニメの映像を手がかりに原作を読みました。お話は全く別ものと言っていいくらい換骨奪胎してありますが、原作の中の自由闊達なイメージはアニメの中に、たくさん取り込まれているようでした。私はアニメを見た時に、お話のわかりにくいところや、不十分なところは、原作に準拠してる故の足かせだろうか、と思ったのですが、かなり改変してあったので、そうではないことがわかりました。原作から脚本を作る時に変わった部分、変わらない部分をつき合わせてみれば、宮崎さんの考えている事がわかるかもしれません。でも、このごろ私は、彼のアニメを理詰めで考えてもしょうがないかも、と思うようになりました。見た時のイメージ。記憶の中に刻まれたイメージ。そういうものが語るメッセージを受け取ればいいかも、と思いつつ、もう一回見に行く予定です。
さて、原作は元気のいいソフィが大活躍です。こちらは魔女の呪いも、ハウルの性格もきちんとつじつまがあっていて、パワフルで、豊かな想像力に彩られたお話でした。いろいろとイギリスのファンタジーのあれこれからの引用があるようです、指輪からもね。イギリスってやっぱりファンタジーの世界が扉の向こうにいつもあるんだなあ。
友人がやはり、原作と映画の比較をして日記に書いていました。SOKEさんの意見とは異なるかもしれないけど、彼女なりの結論が出ているのでご紹介します。
http://atlas.honesta.net/sea/diary/mo_news2.cgi
日記が上手く出なかったら、トップから「風魚之災」(これが日記のタイトル)に行ってください。
私はまだ映画も原作も読んでないので何とも言えない。見に行けるとしても大分先になりそうです。とりあえず今日で終わる「2046」を大慌てで見てきたところで、まだ捕まえ損なっている上映中が3本あったりして大変。
読んできました。いや、幸い、ご友人とほぼ同じ感想でした(笑)。ただし、そういう整合性を評価の基準にするかどうかは、私は保留。宮崎さんはもののけ姫あたりから、そういうの放棄してる節があると思っているので。そういうやり方がいいのかどうかはともかくとして、じゃあ、彼が今、何を考えているのか(いないのか)というのには興味があるなあ。結構、昔はそういうのを理解するてがかりの対談とか、文章があったんだけれど、最近、見かけないので。クロサワ化?