■ 2004年11月20日 ■ <映画>『ハウルの動く城』

見てきました。感想は↓に書きます。

映画が始まって15分間はとても幸せな気分で画面に見入っていました。
絵も動きもきれい。ハウルとソフィーの出会いのシーンも素敵。
これからお話が始まるという期待感と、そこに町が存在しているかのように見える確かな技術。
それが、あれあれ、と思うようになったのはどのあたりだったのか。

アニメとしては水準以上なのだけれど、お話は結局なんだったの、
という印象でした。帰りの車の中でうちの娘たちといろいろ話をするんだけれど
今日はいまいち盛り上がりに欠けた。「ちょっと疲れたね」といいながら帰ってきました。
「だって、ストーリーがなかったよね」
「でもそれを言ったら千と千尋もそうだったけれど、あれは面白かった」
「結局、宮崎さんが戦争に対して不快感を持っていることは伝わったけれど」
「最後簡単にやめよう、というくらいなら、戦争してないよね」
「いったいソフィーの魔法が解けたのは何故?」
「カルシファーの呪いが解けたから、解けたんじゃ」
「時々、おばあちゃんからもとの姿に戻るのは変」
「あれは観客に媚びてるんじゃないの?」
「なんでソフィーがハウルを好きになるのか全然わかんない」
「キムタクは見事に気配を消していたね」
「最後の方はちょっと地が出たりしたけれど」
「途中でグウェンダルが出たー!」
「大塚さんはすぐにわかるねえ」
「塔矢アキラみたいなのがいっぱい」
「あれはハクでしょう。」
「ああいうのが好きなのかもね」
「女の子の声は若い子使えばいいのに」
「雑貨屋でも行く?」
「もういい。疲れた・・・・」

キムタクは自分の気配を消していたのに、
アニメの作画はキムタクを意識していました。
ハウルとソフィーの恋を描くなら、最後までお婆さんの姿で
通すべきだと思ったな。最後の最後に若い姿に戻した方が
よっぽどロマンチック。千と千尋の時もそうだけれど、
男の子をハンサムにして、女の子を醜く描くのは
いったいどういう意図なのか?
「親指姫」と「幸福な王子」のイメージがところどころに
現われていたような感じ。鳥の姿のハウルって火の鳥みたいだな。
原作を読んでいないので、どこまでが原作のイメージで
どこからが宮崎さんなのかは、わからないけれど。

久石さんのテーマは久しぶりに耳に残るいい感じのメロディでした。
主題歌の方は、あんまり印象に残らなかったけれど。

投稿者 SOKE : 2004年11月20日 16:40
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