■ 2004年11月 3日 ■ 見ざる聞かざる

メインのテレビが壊れて、食卓用の小さいテレビをAVセットの方に持っていってしまっていらい、全くテレビを見なくなった。子供達も同様で、あれはやっぱり習慣性のものだったようだ。それでも朝のニュースだけは見る。画面の時刻表示を時計代わりにするために。あと、アニメの録画は予約する。
イラクの拉致事件の一報を見た途端、それからあとは、そのニュースが映ると画面を消していた。だって、その先が予想されるから。非難より何より、見たくないと思った。事件は最悪の結末を迎えて、ネットに映像が乗ってしまった。私は見ない。だけれど2ちゃんは見に行った。目の前の事実に、2ちゃんねる流のコメントも影をひそめ、ただただその重さを持て余しているようだった。長い時間をかけて作り上げてきたいろいろなものを突き崩すのは簡単なことなのだ。その事実の前に茫然としてしまう。ぬるま湯の中につかることのできた数十年間がそろそろ終わるかもしれないと思う。でも、私は見ないで暮らすこともできる。自分の住んでる身近な生活が脅かされるまで、見ないで聞かないで暮らすことは十分可能だ。私は飛んで火の中に入ってしまった青年の「すみません」という言葉を聞いてしまった。できれば彼を守って欲しかった。

投稿者 SOKE : 2004年11月03日 01:59
コメント
■ Posted by: くーみん : 2004年11月03日 08:03

最近ネットとテレビをみるようになって、そうか、知らないうちにそういう時代になってしまっていたのか。と思うようになった。
テレビしかみなかったらノー天気なままだっただろう。逆にテレビが映した映像の片隅に隠しきれない一瞬が映っていたりする。知識がなければ、その映像の意味がわからない。だから放送されたのかもしれないっと思った。

■ Posted by: soke : 2004年11月03日 19:26

ネットは良くも悪くも、情報の流通を変えてしまいましたね。国際情報からオタク情報まで。ネットの功罪とか可能性って、まだ誰にも把握しきれていないんだろうと思う。見ている分にはすごく面白いけれど、流されずにいるのは難しいかも。

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