古本屋で二冊買い、新刊書店で17冊買い、見つからない分を三冊はアマゾンで、三冊はbk1で買って、今日、出ているところまで25冊読み終わりました。おもしろかったです。抜けている分の到着を待つことができなくて、所々抜かしながら読んだけれど、このシリーズは雑誌連載の短編と中篇で構成されているので、必ず簡単なあらすじが本文中に載っています。どこから読んでも大丈夫。途中からでも十分話しについていけます。
フジミって名前は以前から知っていました。人気のあるシリーズですよね。でもこの五年ネットをやってて、私の巡回ルートで話題になったり、書評を読んだりしたことはありませんでした。でも、小説JUNE読んでる人は読んでるんでしょうね。今さらかもしれないけれど、感想を書いてみようと思うんですが・・・
いや、こんなにまじめな話だとは思っていなかったので驚きました。そしてこんなに長いのに、話が前に進み続けてることも。大まかに言うと「音楽と恋」ということになるんでしょうか。味付けはBL。この味付け部分が問題で。描写がかなりハードなんですね。だからここで読者が限定されてしまう。このごろ私は全然気にならなくなってしまったので、バリエーションを楽しむ境地(なんだよそれ)ですが、嫌いな人は嫌いなんだろうなあ・・・このジャンルの量は膨大だから、質の高いものもたくさんあります。そういうのを読まないのはもったいないなあと思いますが、こればっかりはそれぞれの趣味だしね。そういうシーンを抜いたフジミというのも、ちょっと想像がつかない。ていうか、それはつまらないとも思う。音楽がコミュニケーションであるのと同様に、ラブシーンもコミュニケーションなわけで。この作品の場合、それが不可分に結びついています。(読者サービス的なものも結構ありますが)
主人公は、音楽大学卒業後、臨時採用の教師をしながら富士見二丁目交響楽団のコンサートマスターをしている守村悠季。穏やかで引っ込み思案の彼は、バイオリンの才能がありながらプロになることをあきらめています。そこへたまたま悠季のバイオリンの音を聞いて、ほれこんで、アマオケの指揮者としてやってきたのが桐ノ院(とうのいん)圭。彼は名門の家を飛び出して、指揮者として世界に出て行くことを心に期しています。圭に出会ったことで、悠季は音楽に目覚め、悠季を得たことで圭は救いを得る。悠季が穏やかで優しいように見えて、実はプライドが高く、頑固者で、切れると激怒したりする反面、圭は何でもできてかっこよくて、天才肌でありながら、実は心に傷があったり弱さを持っていたり、それを隠すためにつっぱったりしています。二人はお互いの足りないところを補い、刺激しあって、より良い状態を模索する。その過程をゆっくりと納得できる描き方をしてあるので、読んでて楽しいです。
主人公ふたり以外の登場人物も皆、それぞれ個性的で、おもしろい。圭のライバル高嶺とその養子のソラはもちろん、フジミの仲間たち。バイオリンの先生、桐ノ院家の人々。このシリーズは中短編の積み重ねなので、本編中でも話によって視点が変わります。いつもは悠季の一人称ですが、圭になったり、後輩の五十嵐になったりします。妹の小夜子の時もあれば、M響の同僚、飯田の場合もあります。ひとつの事件を他の視点から見て説明したり、客観的に組み立てたりすることで、奥行きを出したり、二度美味しかったりしています。
圭の実家、桐ノ院家は元華族で銀行経営をしている名門で、ゲイであることをカミングアウトして家を飛び出した圭の素行を調査して、悠季との関係を把握しています。『シンデレラ・ウォーズ』では、悠季は圭の祖父の誕生祝の祝宴にバイオリンの演奏を頼まれます。そこには圭の妹小夜子の思惑がからんでいるのですが、悠季のことを快く思わない桐ノ院家に乗り込んだ悠季に思わぬアクシデントがふりかかる。そこで示した悠季の強さと優しさ。圭の強さと脆さ。この話は物語の転回点になるんですが、いろんな意味で素晴らしい場面でした。思いがけない場面がシリーズ中にはたくさんあって、読んでいて飽きさせません。
一方、悠季の実家は新潟にあり、両親を早くに亡くしているので、姉が婿をとって家を継いでいる。悠季のバイオリンの勉強を支えてきたのは、故郷の家族でした。ところが、圭を生涯の伴侶にするということは、故郷の家族を悲しませるということになり、悠季は圭と家族の間で板ばさみになってしまう。そこからも悠季は逃げません。うそをつくことは圭を傷つけ、ほんとのことを言うことは家族を悲しませる。誰も悪くないのに、誰もがつらい。それでもいつか受け入れられる可能性も残してあるような場面でした。ゲイであることをカミングアウトするという問題もひとつづクリアしていく二人ですが(バイオリンの先生にばれた話には笑った)シリーズがすすむうちに、きっと現実がお話を追い越してしまうかも。意外とフジミの中の世界の方が保守的です。だから読んでいて安心できる世界なのかも・・・
圭はハンサムで才能があってお金持ちで優しくて、悠季のためならなんでもする。このへんはお約束ですから読んでいて面映いところも多々あるんですが(キザだし、セリフがくさいし、過保護だし、ケダモノだし)そうやって大事にされる悠季に感情移入して、読者は満たされるという構造になっていますが、それだけでは終わらない何かもあるような気がしています。守られていた悠季が圭の中の弱さに気づいたあたりから、次の段階に入ったんでしょう。
そして音楽。フジミの音楽について音楽に携わっている人はどう思うのか、というのは私にはわかりません。秋月さんはアマオケをやったことがあるわけではないとあとがきに書いてありました。楽器の扱いについても、まちがいに後から気づくということもあったようです。細かいところに突っ込み所はいろいろあるんだろうなあと思いつつ、それでも悠季の音楽に対する姿勢や、ひとつづつ音を掴んでいく描写は、私を感動させます。自分の中の何かを探して寝食を忘れ、圭のことも忘れ、ぎりぎりのところで何かを掴んで、世界を開いていく。自分を解放していく。それは音楽に限らず他の世界でも極めていくときには通る道だと思います。その過程に他人は入り込めないし、孤独な作業です。何もできないとわかっていながら、横に寄り添い、見守って自分のことのように一喜一憂してくれる人の存在は、何者にも替えがたい。悠季にとって圭がそういう存在であり、圭にとっても悠季がそういう存在である、というところまで話が来ています。
このシリーズは富士見二丁目交響楽団の名前からフジミと呼ばれていますが、彼らの原点が富士見である。というのも、本当は難しい問題で。楽しむための音楽をプロの音楽を極めた悠季や圭が支えていくことができるのか。本当に、富士見二丁目交響楽団を理想のオケにしていくことができるのか、そっちの話に戻ってくることができるのか。というのも見ていきたいと思っています。
投稿者 SOKE : 2004年08月26日 02:40フジミまとめ、楽しく読ませていただきました。
私も一昨年の夏に、書店の書棚の一画を空っぽにしつつまとめ買いした口です。
フジミ書評の少なさは、私も読み始めた頃アレレ?と思いました。
以下はほんの想像ですが、
秋月先生ファンサイトの
http://park1.wakwak.com/~wonder/xaxa/index.htm
(D線上の〜はずいぶんと参照しつつ…)
こちらなども、現存するページの日付から察するに
97年頃のスタートであれば、
すでに8〜9冊出版されていたはず。
さらにここ2,3年で立ち上げたBL書評サイト様では
すでに20冊前後出ていた時期で、
書評として1冊ずつあるいはまとめてでもこなすには
最初から読み直すことを考えても手に余る
という状態だったんでは、と。
ちほさんもまとめ買いでしたか。
そうですね、ネット普及以前から刊行されている本の
書評は手薄になってる感じですね。
ミラージュも、ちゃんとした紹介文をあまりみかけません。
さすがにシリーズが何十冊も出ている本は
パワーがあると思った二作でした。
全然違うけれどグインサーガは私10冊まで
リアルタイムで読みました。
でも、どうしても面白いと思えなくてそれっきり。
100冊越えたんだっけ?面白いのかな?
そういえば『終わりのないラブソング』も読んでない。
あれは面白いのかなあ?
吉田秋生さんの絵の一番好きな頃なんで気になるんだけれど・・・
日記にあった無愛想なコメントって↑これ?
全然そんなことないのでお気になさらず。
カウントダウンで気もそぞろとか〜
もういっそ9月1日まで同時刻ねらったら。
(無責任はつげん)
ちほさん、冗談ですから、本気にしないでね。0時8分。
いっそ8時1分ならやりがいもあったかもしれないが(笑)
朝のバタバタした時間ではあるけれど
何かの時にやってみよう(笑)
時刻8:01・・・