■ 2004年08月12日 ■ 英国妖異譚の抜書き

さて、何回かこのシリーズを読み返して、一冊に一ヶ所くらいの割合で、すごく好きな場面があることに気がつきました。他の場所の文章が薄くても、その部分があるから大丈夫といえるような文章。少し長くなりますが、抜書きしてみます。ネタバレ・・・というより美味しいところばかりなので、未読の方はもったいないかも。ちょっと調子に乗って引用というには長すぎる文章を抜書きしてしまったので、しばらくしたら消します。

追記ししん
うふふふふ、射程距離ですか。あのページは読者サービスですね。
いまどきあんなシチュエーションは誰も使わないだろうと突っ込まれつつ。
読んで、つまんなかったらごめんなさい。一人でも引きずりこめたら本望です(笑)
お試しなら最新刊からどうぞ。その方が読みやすいかも。

1.英国妖異譚 P256
「きっと君に合う前の僕だったら、まちがいなくこんな道理の通らない場所は、早々に見限っていたと思うよ」
「僕に会う前?」
ユウリは意味がわからずに首を傾げた。
「そうだよ。僕は幼い頃から、父親に自分の実力以上のことをするなと厳しく言われてきた」
シモンが言う。
「自己が確立していない者は、何をやっても中途半端に終わる。だから自己責任や自己管理能力を養い、何をするにも自分を基準とすることが大切だと教わってきた。そのせいだと思うのだけれど、僕は自分でもときどき恐ろしくなるほど、他人に対して冷淡なところがある」
「シモンが?」
ユウリは驚いて訊き返した。
「そうだよ。そうは見えないかい?」
「うん、見えない」
きっぱりと言い切ったユウリに、シモンは曖昧に笑った。
「それはきっとユウリだからだな」
そんなことを呟いてから、続きを始めた。
「基本的に、他人の失敗は当人自身の責任だと思ってきた。当人が決めてやったことであれば、結果がどうなろうと諦めるしかないと考えていたんだ。(中略)ところが、君は、彼の死を自分の責任だと思っていたね。僕はびっくりしたよ。君が殺したわけでもないのに、なんで君の責任になるのかと。だけど見ているうちにわかったんだ。君はときどき、自分以上に他人を大切にすることがあるよね。すごいと思うよ。」
(中略)
「君自身はなんら不平も不満もない状況で、相手の不満や悲しみに同調して行動を起こすよね。しかもとっさの場合、身の危険すら顧みない。そしてそんな君を見ていると、はらはらさせられて僕はどうにも困ってしまうんだよ。」
「ごめん、考えなしで。」
ユウリの謝罪の文句に、シモンは首を振る。
「誤解している、ユウリ。僕は君の行動を責めているのじゃあない。むしろ尊重したいと思っている。そして僕は生まれて初めて自分以外の人間を基準に物事を判断したんだ。」

2.嘆きの肖像画 P148
アシュレイは座ったまま、肩越しに手で部屋の中を指差した。
「取引の条件は、俺が来期も本館に残ることだ。何せこれだけの本を抱えた日には、引越しはめんどうだからな」
部屋じゅうにうずたかく積まれた本の山。本来ならアシュレイは、来期から別館の幹事部屋に移るはずである。それが面倒だというのだ。もっとも理由はそれだけではない。アシュレイの魂胆は次の言葉で明白となった。
「ついでにユウリもな。今頃グレイが話していると思うが、ユウリを来期の寮監督生の一人にすることを条件にした」
シモンが、周囲に向けていた目をゆっくりと戻した。水色の瞳が静かにアシュレイに向けられる。
「これで逆転だな、ベルジュ。お前が心配していたのは、場所だろう。自分が寮長として本館に残り、俺とユウリが別館で二人きりになるのが心配だったんだ。だから頑なに寮長を辞退した。だが、それが徒になったな。来期からは俺がユウリの隣人だ」
勝ち誇った声で宣言し、アシュレイは楽しそうに喉の奥で笑った。
シモンの青い瞳がすっと伏せられた。見ようによっては、シモンが敗北を認めたように見えただろう。
しかし、シモンは考えていた。
(これは、図書館での対峙を再現したものだーーー)
塑像のように整ったシモンの表情が、かすかに動いた。それはあまりにも微小で相手にはわからなかったようだが、ある確信が芽生え、心に余裕ができた瞬間だった。シモンは視線を上げると、憮然とした表情を作る。
「お話がそれだけでしたら、そろそろ・・・」
一刻も早くこの場を離れたいというニュアンスを漂わせて、腰を上げる。ソファーに身を沈めたままニヤニヤしていたアシュレイは、手を振ってシモンを見送った。
薄暗い室内を出て後ろでに扉を閉めた瞬間、シモンは大きく息を吐いた。
「危ないところだったな」
そう呟いたシモンの知的な横顔には、珍しく危機感が浮かんでいる。
シモンは忘れていなかった。半月ほど前、この部屋でユウリの身に起こったであろう死に直結した遊び。
召還魔術。
アシュレイはもとより、当のユウリでさえ忘れかけているその出来事を、シモンはどうしても忘れることができなかった。ユウリの首に残っていた痣。魂を汚すような不潔で不快な空気。そこに潜んでいた危険を、なぜかユウリが無防備なぶん、シモンは今でも一番警戒している。
図書館でアシュレイの注意を自分に引きつけたのは、正解だった。
(自尊心が高いのはお互いさまか)
シモンは、自嘲をこめて口元をゆがめた。高慢な心は、足元を見えなくする。
アシュレイは明らかに早まった。今ならまだ打つ手はある。

3.囚われの一角獣 P180
「偉くなったものだな、ベルジュ」
毒のこもった声が、歩き去るシモンの背中にぶつけられる。立ち止まったシモンは、肩越しに振り返って悪意を放つ男を見る。地べたに座りレンガの飾りがある壁に寄りかかって下から挑むように見上げてくる男が、口元に嘲るような笑いを浮かべてシモンを挑発した。
「上から見下ろすってのは、そんなに気分がいいもんかね?」
シモンの聡明な輝きを持った水色の瞳が、すっと冷たく細められた。
「こんなところで何を言い出すかと思えば、くだらない。用がなければ話しかけないでくれませんか。あなたと馴れ合う気は毛頭ないんです」
シモンにしては珍しく、はっきりとした拒絶の言葉を投げかけて踵を返そうとする。それを背中に聞いたユウリの身体がピクリと揺れた。
「くだらない、ねえ。」
アシュレイがあだな仕草で唇に指をすべらせて反芻する。
「そりゃ、高みの見物気分のお前にとっちゃ、くだらないだろうさ。しかし汚らわしいものでも見るような目で見られるこっちは、たまらないね。そりゃ、お前は清廉潔白、おキレイで穢れを知らないお貴族サマかもしれないが、だからってそうじゃない人間を見下す権利が、お前にあるのか?」
シモンは歩き出しかけた足を止めた。言われた言葉に驚いたように、アシュレイを振返る。そこに見え隠れし始めた真意に対し、疑惑と当惑が混ざり合う。
「・・・誰が誰を見下していると?そんなつもりはまったくありませんが」
「へえ?」
青黒髪をかきあげて、アシュレイが不敵な笑いを浮かべた。
「とてもそうは思えんね」
言い置いて、顔からスッと笑いを消した。そのまま低い声で命令する。
「とっとと失せな、目障りだ。お前ごときに断罪されるいわれは誰もねえんだよ」
空間が明らかに温度を下げた。凍りついた時間に口をきく者はない。立ち尽くすシモンと座ったままふてぶてしく見上げてくるアシュレイ。
(この男がまさか――――――)
シモンは状況が示す唯一の真実を認めたくなくて、黙ったまま考え続けた。しかし考えれば考えるほど、結論は一つに限定される。
アシュレイはユウリを庇ったのだ。
この計算高い男が、なんの見返りもなく人の役に立とうとするなど誰が想像できよう。しかもあろうことか、この状況では、シモン自身からユウリを庇ったことになる。
シモンの心に痛みにも似た感情が走り抜ける。
(第三者に庇われなければならないようなことを、自分はユウリにしたのだろうか)
ここに来て最初にユウリの姿を見た時、表情に後悔の色がありありと浮かんでいるのがわかった。それがシモンを複雑な心境にした。ユウリの中の後ろめたさは、明らかに自分に向けられたものだと思ったからだ。アシュレイと行動をともにすることを了承してしまったユウリ。わかっていてそうした、それがユウリの判断だと思ったとたん、感情が先に立った。
他人に対して理性を超える怒りを感じたのは、初めてだった。大抵怒りの根源は、自分の理性がくだす善悪の判断に基づくものであり、決して必要以上の怒りにかられることはない。それが当たり前だと思っていたのに、今は、状況を考慮したりする以前にユウリの行動を責めてしまっていた。
だから、気づくのが遅れたのだ。ユウリが何に対して心を痛めていたのか、アシュレイに示されるまでわからなかった。このアシュレイに、である。この男が誰かの気持ちを汲み取るなど、太陽が西から昇っても考えられないと思っていた。それはほかならぬユウリに対しても同じで、都合よく利用するためだけに近づいたはずだった。それがいつの間にその方針を変えたのか。ただの略奪者だった男が、ユウリの理解者としてそばにいる。
(ああ、そういうことか)
そこまで考えて、ようやく一つの真実が見えてきた。ユウリを庇うことに見返りがないわけではない。それどころかそこには重要な意味があるのだ。シモンとユウリとアシュレイ、その三人の配置転換。庇う者と庇われる者と、傷を負わせる者。
(やってくれる――――――)
シモンは唇を噛む。
どんな状況も、自分のために利用する。口惜しさの中で、相手の手口の鮮やかさ、才知に長けた狡猾さに驚嘆する。独占欲だの嫉妬心だのに煩わされている場合ではない。わずかな隙をも衝いて来るアシュレイに油断は禁物だと改めて思いなおしたシモンは、悄然と座るユウリに目を移した。それからゆっくりと近づいていく。
「悪かったね、ユウリ」
背中を向けて座る身体の脇へ回り、横から手を差し伸べて言った。小さく身を震わせたユウリが、頭を巡らしシモンを見上げる。その顔色があまりにも蒼白であるのに、シモンは驚いた。
「大丈夫かい?」

4.終わりなきドルイドの誓約
「それで、俺のことでお前を責めたのは、誰だって?」
思わぬ問いに、ユウリはピクリと動きを止める。しかも静かな声音の裏に流れる冷たい激憤が恐ろしい。
顔色をなくすユウリを見つめてアシュレイが繰り返す。
「なあ、ユウリ。ベルジュじゃなく、俺に関係した誰が、お前を責めたんだ?」
情けも容赦も知らない獰猛な肉食獣の目をしながら、アシュレイが「けりをつけてやるから」と囁いた時、ユウリの中で恐怖と同時に理不尽なことへの苛立ちが膨れ上がった。
「そんなんじゃない。そんなことはどうでもいい」
「じゃあ、何をそんなにイライラしている。いつものお前じゃないだろう?」
ユウリは何度も何度も首を横に振る。つかまれた手首を振り払おうとするが、押さえつけてくる手はビクともしない。次第に暴力的な拘束への怒りが、恐怖を凌駕し始める。
「うるさい!」
ついに、ユウリは怒鳴った。
「何がわかるっていうんです。いつも遊び気分で人を巻き込んで。自分は飄々と見物して楽しんでいるあなたに!翻弄されるほうは、たまったものじゃない。彼らだって傷ついているから、人にあたる。それはしょうがないし、そんなことは気にしてない。それは僕だって同じなんだから。つい誘惑に負けて、シモンに迷惑ばかりかけてしまう。そりゃ、誘惑に負ける僕が悪いんですけどね。どうせ考えなしで、騙しやすくて、莫迦で、間抜けで、自分の実力もわきまえずに、後悔することばかりしていますよ。あげくに友達一人、満足に助けられないんだ!」
ふわっと、ユウリの漆黒の瞳から涙があふれ落ちる。
眇めた目でおもしろそうにユウリが壊れていくのを見ていたアシュレイは、最後の一言に眉根を寄せた。
「友達?」
思案する表情のアシュレイの前で、怒りを爆発させて息が切れたユウリは、樫の幹にぐったりと体重を預けた。怒るにはエネルギーがいる。この一瞬で、一週間分の力を使い果たしたような気のするユウリからは、すでに抵抗する力が失せていた。
その様子を見おろし、頬を濡らす涙を拭い取ってやるアシュレイはどこか満足げだ。
「なあ、ユウリ」
呼びかけに、気だるげな漆黒の瞳が応じる。
「今の、感想を教えてやろうか?」
答えないユウリの耳元に唇を寄せ、睦言を囁くように告げた。
「お前の泣き顔は、見ていて飽きない。」

5.死者の灯す火 P270
「それより、訊いておきたいことがあるんですが・・・」
「なんだ?」
アシュレイは警戒心をあらわに問い返す。
「あなた自身のことです。大丈夫なんですか?」
シモンの口から出た言葉に意表をつかれて黙り込んだアシュレイだったが、やがて細めた目の奥で青灰色の瞳を光らせた。
「その台詞を言ったのはお前で二人目だ。前の奴は、まあ愛嬌で許してやる気にもなったが、お前が言うと洒落にならない。いいか。余計な心配をしている暇があったら、守りを固めろよ。俺はいつだって、お前の足元をすくってやれるぜ?」
低い声で言われた言葉に、その場の温度が下がったようだった。しかし、気圧された様子もなく、シモンは肩をすくめる。
「確かに、余計な心配をするほど暇ではないんですが、仕方がないでしょう。ユウリがあなたを心配するんですから」
諦めたような口調で言うシモンに、アシュレイが意地悪く笑った。
「なるほど、その献身ぶりは、たいしたもんだよ。俺はどうやら勘違いしていたようだ。巨大な十字架を背負って歩いているのはユウリのほうだと思っていたんだが、違ったらしい。あいつは、十字架そのものだったのか」
「どうでしょう。僕はそれほど重いものを背負っているつもりはありませんが」
「それは、キリストだって同じかもしれないだろう。本人は十字架を背負うことに、無上の喜びを覚えていた可能性だってある。要は、見ている側の問題だ。周囲がどう見ているか、考えたことはないのか?」
その穿った意見に、シモンは反論できずに黙り込む。
「しかも、だ。十字架は木でできているが、あいつは人間なんだぜ?感情もあれば、自分の考えだって持っている。少なくとも俺が十字架だったら、人の背中に乗っかっているくらいならゴルゴダの天辺まで自分の足で歩いていこうと思うがね」
容赦のない台詞を残して、アシュレイは飄々と部屋を出て行った。
ふざけているようで、本質を外さないところは、さすがである。アシュレイを見くびると、とんでもなく強烈な一打が襲うというのを、シモンは身をもって知った。大きな溜め息をついて気持ちを切り替えると、アシュレイの後を追って部屋を出る。

6.聖夜に流れる血 P46
「そうそう、シモンに申し訳なく思うくらいなら、アシュレイのことは先生方に任せておけばいい」
パスカルがここぞとばかりに強く言う。どうやら彼にしても、ユウリがアシュレイに関わるのをあまりよく思っていないようだ。それでも「う・・・・・ん」と納得がいかないように曖昧に頷くユウリにウラジーミルが痛烈な皮肉をこめて言う。
「それとも何かい、ユウリはアシュレイとの関係をあれこれ噂されて、けっこう楽しんでいるのか?」
いつものことではあるが、ウラジーミルのその大胆な発言に、テーブルを囲む仲間たちの間に緊迫した空気が流れた。ルパートが肘で彼の脇を突っついたが、ウラジーミルは素知らぬ顔だ。同じく咎めるように友人を見たシモンだったが、ユウリの返答に興味があるのか、口を挟まず静かに事の成り行きを見守った。
ユウリが顔をあげてウラジーミルを見た。色素の薄い瞳は感情を読み取りにくく、彼がどういうつもりで今の言葉をくちにしたのかはわからない。漆黒の瞳を翳らせたユウリはしばらく何事か考えている様子だったが、やがて慎重に言葉を選びながら話し始めた。
「みんなの思う関係がどういったものをさすのかわからないけど・・・・、僕は、相手が誰であろうと、その人間との関係は自分自身で決めたい。つまり、えっと、他人にとやかくというか・・・・、いや、違うなあ、なんというのか、そう、多少なりとも僕のことを知っている人間ならまだしも、話したこともないような人にあれこれ言われたくらいで、その関係を変える気はないということ」
ユウリはそこで自分の言っていることが果たして通じているのかどうか、不安になってみんなの顔を見回した。ウラジーミルは腕を組んで難しそうな顔をしていたが、他の何人かは頷いてくれ、シモンに至っては「それで?」と柔らかく続きを促してくれた。
「ああっと」
ユウリは頭の中を整理するように指先をこめかみに当てる。
「アシュレイに関しては、僕自身、どんなバランスで関係が成り立っているのかわからない。ただ当たり前だけど、噂されているような色っぽさは欠片もないし、むしろ一緒にいると頭にくることや殴りたおしたくなるようなこともたくさんあるくらいなんだ。でもそんな意地の悪さや傲慢さ、・・・・・子供っぽさ?そんなものも含めて、僕はアシュレイという人間が好きだよ。少なくとも嫌いになんかなれないし、彼が怪我をしたり具合が悪くなったりすれば心配だってする。普段があんなだから、余計にそうかも」
「彼が、危険とわかっていてもかい?」
眼鏡を押し上げながら、パスカルが訊く。
「・・・・うん」
ユウリが躊躇いがちに肯定すると、ウラジーミルが「ふふん」と笑って言った。
「危険だからこそ、惹かれるんだろ。薄氷を踏むようなものだ。たいていの人間は落ちるとわかっていて踏もうとするんだから、始末が悪い。もっともユウリの場合、興味よりむしろ真摯な心配のほうが強いんだろうけど・・・」
辛うじてユウリの対面を保つ発言をしてから、彼は口調をいくぶんまじめなものに変える。
「だけど、ユウリがアシュレイに関わることをひどく心配している人間がいるとしたら、どうなんだ?」
「――――――それは、むろんありがたいけれど、ある側面だけを取って心配されても、困る・・・」
「ある側面?」
「そう、僕とアシュレイに限らず、誰であろうと人間同士の関係なんて相対的でひどく流動しやすいのだかあら、一概にこうだと決め付けることはできないと思う。だからつまり、そのときの状況と照らし合わせて心配してくれるのであれば、僕だって真剣に耳を貸すし、忠告にも従う」
(中略)
目を上げたシモンが、やんわりと救いの手を差し延べた。
「確かに。アシュレイに関しては噂が先行している節がある。たとえばアシュレイの部屋には地獄への入り口が開いているなどと言われているけど、何度か彼の部屋に出入りしている僕にしても、いまだにそんな物騒なものは見たことがない」
「まあ、噂なんてえてしてそんなものだけどね」
ルパートが口添えし、「だから人を心配するにしても、確たる理由がなければだめということか」とあっさり結論付ける。
するとウラジーミルが、目を細めてシモンを見た。
「いいのか、それで?」
「ユウリの言い分は正しいよ。」
シモンが返すと、ウラジーミルは「ふうん」とシニカルに笑って付け足した。
「あいかわらず、甘いねえ」
「なんとでも」

7.古き城の住人 P115
「その知り合いの、霊能者として能力は、確かですか?」
職業を明確にして確認するシモンに、アシュレイは頷いて太鼓判を押す。
「確かだな、業界では、かなりの知れた男で、ヨーロッパじゅうから依頼が来る。だが、こいつに見えないのであれば、いくらあの男の腕がよくても、無理だろう」
こいつと言いながらアシュレイが顎で指したのは、言わずとしれたユウリであるが、シモンは訝しげに眉を寄せた。
「それは、どういう意味ですか?」
「何をいまさら」
両手をあげて呆れた様子を表現してみせたアシュレイが、「往生際が悪い」とシモンを糾弾する。
「どういうもこういうもないだろう。いいか、こいつを大事にしているお前は認めたくないだろうが、普通に考えてみろ」
アシュレイは、一呼吸おいて、断言した。
「ユウリの持っている能力は、はっきり言って異常だ」

(P156)
「アシュレイって、牙はないですよね?」
さっき間近で顔を見た時、きれいな歯並びであるのは確認している。前にシモンとその話しをした時はあまり真剣に考えなかったが、なぜかユウリはそのことが頭にずっと残っていた。
「わけのわからない質問もそうだが」
突拍子もない質問に対し、アシュレイは読んでいた本を置いてマジマジとユウリを見つめてくる。
「お前は、説教をされながら、人の歯並びを見ていたって言う気か?」
「いや、別に。なんとなく目に入っただけですよ。たぶん、ずっと無意識に気になっていたんだと・・・」
説明している途中から、脱力したアシュレイが大きな溜め息をついて下を向いた。
「ええっと、アシュレイ、大丈夫ですか?」
「これほど空しい想いをしたのは、生まれて初めてだ。お前は、俺のことが怖くないのか?」
「怖いですよ。当たり前じゃないですか。ごつい指輪をはめた手で殴られるのも嫌です。だけど、純粋な悪意だけが残されたようなものと違って、アシュレイには感情の波があるから」
だからホッとすると、ユウリは言う。それが人間であることの証であるから。
その言葉には、実体を失ってなお在り続ける人の怨念のようなものに触れ続けているユウリの、悲痛な嘆きが込められている。
異常という言葉でくくられる、ユウリの宿命。
一重の目を細めユウリを見つめたアシュレイは、何か思うことがあったようだが口には出さず、「それで」と事務的なことに話しを戻した。
「なぜ、急に、牙なんだ?」

7.水にたゆたふ乙女 P231
「それは、シモンから聞きました。でも、別に、あなたがどうしようと、結果は同じだったと思います。いつかは僕のところに話がまわってきた。そういうふうに事態が流れ出しただけです」
ユウリが言うと、驚いたようにユウリを見つめたイザベルが、複雑そうな表情を浮かべて苦笑した。
「・・・・あの方と、同じことをおっしゃるのね」
「あの方?」
「ええ」
(中略)
「関係ない人を巻き込むなんてできないと訴えた私に、あの方は同じようなことをおっしゃったの。自然に流れ出したことは止まらない。誰かが助けを求めたら、それは救える人間が受けるしかないのだと。」
(中略)
そこでいったん言葉を切ったイザベルは、苦しそうに付け加える。
「確かに、私たちは、助けを求めていたから・・・・」
窓際に立ったシモンは、見た目には静かに控えているようだが、その実、ギリシア彫刻のように美しい白皙の面の下でたぎるような怒りを抑えていた。
(なんと、身勝手な論法であることか――――――)
もちろん人にはそれぞれ役割というのがあるだろう。それは、宿命とか、運命という言葉で表され、その人の一生を左右する力を持つ。けれど、だからといって、あかの他人がそれを決め付けていいはずがない。
彼のやったことは、明らかにユウリという存在への冒瀆だ。
けれど、当のユウリが受け入れてしまえば、シモンの怒りは行き場を失う。それともユウリにはユウリの運命があるように、怒りを持て余すことが自分の宿命なのだろうか。
シモンは、それならそれでいいと思う。
それでユウリを守ることができるなら、不毛であっても怒りを持ち続ける。少なくとも、自分が怒りを感じている限り、この状態が当たり前になってしまうことだけは、避けられるはずだから。

投稿者 SOKE : 2004年08月12日 01:31
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