旅行中、ずっと頭から離れなかったのは、直前に起こった佐世保の小学生の事件だった。日がたつにつれて、どんどん重たくなってくる事件だと思う。報道の仕事をしている関係で事件当日インタビューに応えた被害者の父親は、今にして思えば、まだ起こったことを受け入れていなかったんだろう。前日までの日常の中にいる感じがする。日がたつにつれ、事実の重さが増していくだろうことを思うと、とても他人事とは思えない気がする。
この事件に対する見方はいろいろあるだろうと思う。他愛のないけんかが、なぜ殺人にまでいってしまうのか。日常の軽い殺意と、それを実行するまでには、遠い距離があるはずなのに、加害者の少女はそれを軽く越えてしまった。その短絡さは何だろう。
計画し、準備し、実行し、確認する。それだけの頭と度胸がありながら、そのことが引き起こす様々な影響をまるで考えない未熟さはどうだろう。しかし、もちろん彼女は自分が罪に問われないことは知っているだろう。でも罪に問われず、それを償わず存在するということは、捕まって刑に服すよりも、もっと大変なことだ。それは本人を蝕み、家族を蝕み、被害者の家族も蝕む。それが際限なく続く。
今始まったばかりの、たくさんの人たちの苦しみを、誰も救えないということが、関係の無いはずの私たちの心を重くする。死んでしまった子供は帰ってこない。人を殺した子供は無垢の存在には戻れない。親の苦しみは死ぬまで終わらない。なにか慰めになるような言葉を思いつかないという事実が事件の重さかもしれない。