コメント欄で話題になっている『春秋姫』について、解説してほしいというご希望が寄せられたので、簡単にご説明を。『春秋姫』は若くして亡くなった金沢出身の漫画家、花郁悠紀子さんの作品のひとつです。日本画を描く姉妹の話。京都に住む姉の茜。金沢に住む妹の藍根。春の佐保姫、秋の竜田姫。同じものに心引かれながら対照的なふたりの短い交流と別れを描いた作品。
花郁さんが病に倒れる前に描かれた作品ですが、その後を暗示しているような内容で、ファンにとっては印象深く忘れがたい作品のひとつです。花郁さんの妹、波津さんがお姉さんと同じ漫画家の道を歩まれたこともあって、この作品に開発姉妹を重ねて見る人も多いです。(彼女達のペンネームは苗字の半分づつから音がとられています。)
少女まんがの大きな流れである、いわゆる24年組の萩尾さんと竹宮さんが一緒に住んでいる大泉に、高校生だった坂田さんと花郁さんが遊びに行き、花郁さんが萩尾さんのアシスタントをしていたというようなことも、ファンの間ではよく知られています。コンスタントに作品を発表されて、さてこれからというときに26歳の若さで花郁さんは亡くなりました。
金沢では坂田さんが白泉社の雑誌にデビューされる一方、まんが研究会『ラヴリ』の同人誌がオフセットで発行されて、当時の同人誌の中では飛びぬけて内容が充実していました。デビュー前の波津さんは、坂田さんのアシスタントをしたり、同人誌に参加したりされていました。そして時々突発的に『らっぽり』という身内で作った同人誌を発行されていました。「やおい」という言葉もそんな中から出てきたように記憶しています。いろいろな漫画家さんが参加されたらっぽり発行『兄弟仁義』の姐さんの下絵が花郁さんの絶筆になりました。
こういったことは、雑誌や同人誌や漫画情報誌からの情報なので、実際のところとは違っているかもしれません。以下は、読者としての私が思ったこと。ラヴリの頃の波津さんは、年上の仲間に囲まれて、好きなことをやっている妹さんというイメージがあります。グレープフルーツや、DUOなどに描かれていた作品も、同人誌作品の延長上にありました。お姉さんの死後、いったいいつ、波津さんがプロとしてやっていこうと思われたのか、そのあたりの事情は全然わかりません。私が漫画を読まなかった時期が10年ほどあって、気がついたら『雨柳堂』のシリーズの単行本がかなりの数になっていました。それでも、なかなか手にとることができなかった・・・・というのは花郁さんのファンからはよく聞かれる言葉です。お姉さんの作品を手伝っていらしたこともあるだろう妹さんの絵は、いろいろなところが花郁さんを思い出させるので。しかし、そういう頑なな(笑)読者も、ついに波津さんの作品を受け入れざるを得ない時がやってきます。作品の質も量も、それくらい充実しています。そういうきっかけになったのは、もしかしたら山岸さんのエッセイ漫画『蓮の糸』の一言だったかもしれません。花郁さんのエピソードに、漫画家のペンネームで波津さんが紹介されています。
まあ、そんなこんなが、漫画以上にドラマティックなお話だなあという話をしていたわけでした。
記憶を頼りに書いたので、違っていたら訂正してください>くーみんさん。
なお、花郁さんと波津さんの作品リスト、発行されているコミックスについては有里さんのHPに詳細な情報があります。是非、手にとって読んでくださいね。(私信)
このへんは、かおるさんもくわしいのよ。突然名指し・・・(笑)
(参考)ありさとの蔵
http://alisato.parfait.ne.jp/index.htm
うわーありがとう。
全然視点が違うと思うけど、波津先生の作品の充実度は、継続は力なりという生きた見本としてとらえていましたよ。
ネムキに移られた時には既に完成されてた人だったのに、話はおろか、絵がやっぱり以前よりも一段階ステップアップしていて、向上心を持っていれば成長は止まることがないんだねって、当時在籍してたサークル仲間と励まし合ったのを思い出します。
そうかー、その頃の作品をリアルタイムで読んでいないので、気がついたときには本がたくさん出ていました。地元の同人誌活動も活発だったようですよ。(総集編だけ買いました。)デビューされたアシさんたちもたくさんいるようですが、そのへんは、んまり知らないです。
波津彬子さんは、まさに花郁悠紀子さんのアシスタントでした。
会社をやめて、専属でやっていこうという矢先に花郁悠紀子さんが亡くなったのです。だから、カケアミのグランデーションなど、花郁悠紀子さんの最後のほうの作品には、彼女の手が入っていて、波津さんの絵でもあるわけです。一条ゆかりさんのデザイナーのメカがあの3人の絵であるように。
私は、けっこう、手にとれないっということはなく、波津さんをリアルタイムでずっとおっかけていました。
ただ、花郁悠紀子さんの残された作品の何倍もの質と量の作品を発表してやっと、自分と姉の関係を公言できたっというあたりに波津彬子さんのお気持ちが感じられるような気がします。
私は花郁さんの作品が好きで、最後の方は何度も読み返したものですが、ずいぶん時間がたってから、ものすごく好きだったという人をたくさん知って、驚いてしまいました。しかもかなり漫画を読み込んでる人ばかりだし。いったい花郁さんの作品の中の何がそんなふうに人をひきつけるのか、言葉にしてほしいと思うんですが、なかなか納得できるような文章を見たことがありません。ある人が言った「花郁さんの作品は”きれいだった”」という言葉が印象に残っていますが。
「うつくしいもの」ですね。
絵もそうだけれど、描いてある内容も。
若くして亡くなってしまったというまわりの人の思いもあるだろうけれど(氷室冴子さんの「忘れられることがなおさら、惜し」)作品自体も20年以上たっても、読ませるものがある。
もしかして、生きている時間より、ずっと長い時間を、マンガ家「花郁悠紀子」は生きていくのかもしれません。それこそ「不死の花」なのかもしれない。1980+26=2006
ああそうか、「うつくしいもの」ですね。花、宝石、着物、古典、能、中国趣味、ファンタジー、SF、少女小説、耽美小説・・・いろいろなものへの興味とか関心がそのまんま作品に反映されていましたね。花郁さんの美意識のフィルターを通して。それがまた、読者や他の漫画家さんの中に受け継がれているかも。たとえば、百合の花束を抱えている扉絵の構図は、何回か繰り返し現れているものね。(吉野さんとか、波津さんとか)彼女の作品が好きだった友人は、日本の耽美小説をたくさん読んでいました。
そういえば、私、藤波神社に行ったことありますよ。ほーんとに何もないところにあって、バイパス沿いの田んぼの中にぽつんと。車じゃないと行けない場所。石段にかかる藤の木はそれは見事ですが、その中に物語を見ることは誰にでもできることではないかもしれません。
http://www.city.himi.toyama.jp/~60400/bunkazai/60-fujinamijinjya.htm