子供が小さかった頃、この人の『良いおっぱい悪いおっぱい』とか『おなか・ほっぺ・おしり』をとっても面白く読んだ。細かいことろは忘れている。でも、面白かった記憶だけは残っている。作者は詩人なので、既成の言葉を使わないのと同様に、育児に対しても既成のやり方を踏襲することはない。でも、ものすごく、ぶっとんでるわけではなくて、昔ながらのやり方のしっぽが頭の中には残っている。そういうものを知りつつ、試行錯誤している姿が新鮮だった。同じようなやり方をしようとは思わなかったけれど、自分のやっていることが、普通の常識に支配されていることを知るきっかけになった。そこがおもしろかったんだろうと思う。『パパはごきげんななめ』という本も読んだ。既成の子育てから自由になるためには、既成の結婚からも自由でなければ、できないわけで、昔ながらの父権を体現しているといいつつ、普通のお父さんからは信じられないくらい協力的でリベラルなだんなさんがいたわけだ。『パパは・・・』はそのお父さんが書いた子育ての本だ。これもおもしろかった。ほんとにいいお父さんに思えたんだよ。これ読むと。
さて、何年かたって、伊藤さんが離婚し、アメリカ人と結婚し、子供たちを連れてアメリカに引っ越したというような話を聞いた。その経緯については知らない。『伊藤ふきげん製造所』は、思春期を迎えた二人の娘さんと、新しいパートナーとの間に生まれた子供と、伊藤さんとステップダッドが暮らしている様子が描かれたエッセイ集だ。おもに上のふたりの娘さんの「ふきげん」がテーマになっている。家庭が変わり、環境が変わり、思春期のふたりは、ものすごい不機嫌を母親にぶつけてくる。不機嫌は拒食や過食さえともなってやってくる。伊藤さんはそれをうっとおしいと思いつつ、悩みつつ、放り出したいと思いつつ、逃げずに出来る限り受け止める。受け止めて悩む。これを読むと以前の本と姿勢は変わらないということがわかる。伊藤さんは一貫して、事実をみつめ、自分をみつめ、飾らない言葉で書き記す。
さて、本を読んだ感想は・・・・
うーん。私の中の「普通」の感覚や「常識」がきしきしと音をたてる。よそのご家庭のことなので、うちには関係ないのに。そして伊藤さんはそういう常識に対して反発も批判もしていないというのに。そんなことまで書いていいのかしら。とか、そんなに子供たちが大変ならアメリカにすまなきゃいいのに、とか。あんなに協力的だったのに、離婚されてしまうお父さんってかわいそう、とか。こうやって、エッセイとして発表し続ける姿勢は何だろうとか。
おもしろい、だけど、軽い反発を感じる。というのが、正直なところかな。でも、思春期の女の子って不機嫌なものなんだ、ということがわかったのは収穫だった。うちのふたりも、ずっと控えめとはいえ、「むかつく」とか「うざい」とか「べつに」とか言いたい年頃なので。それに過剰反応したりせず、無視したりもせず、自分のできる範囲でまじめにつきあわなくちゃと思った。
そういえば、先ごろ一緒にコンサートに行った時にKさんと話していて、日記に子供のことを書いたりするのは、自分が子供だったらいやかもしれないという話がでたんだけれど、一応、子供たちに確認したところ、「どうせたいしたこと書いてないんでしょ」ということで、いやというほどではないようです。で、うちの場合、毎日毎日、いろんなことを私が書き散らしていることは家族みんなが知っているんですが、書いたものは読んでないみたい。パソコンは共有だけれど。そして、子供とのやりとりも私の生活の一部なので、そのおりおりに感じたことを書いて残しておきたいと思っています。ある程度プライバシーに配慮しつつ。
伊藤さんの本を読んで、くらべものにならないくらいあからさまにいろんなことを書かれているので、書かれているお子さん達は嫌じゃないかなあ、と思ったりしていたんですが、この本のあとがきにある子供たちの言葉がとってもまっとうでした。いわく
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「たしかに事実はもとにしているかもしれないけれど」と娘たちが言っています。「主観的すぎるし、いいように粉飾しているし、親に都合の悪いことはかいていなかったりするし、過ぎたことだし、『フィクションです』って書き添えてほしい」と。
ほんとにそのとおり、これはフィクションです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まあ、フィクションってほど嘘っぱちじゃないだろうけれど、伊藤さんから見た現実ってところでしょうか。