■ 2004年04月30日 ■ 現在・過去・未来

さて、BSこだわり館の少女マンガ作品についての三回の番組を見て、考えたことなど。各回の感想にいろいろ書いたけれど、全体として見ればきちんと取材した良い番組でした。基本情報が間違っていないし、ゲストに呼ぶ人も的確。ファンや関係者のインタビューも入っていて、全方位的に及第点。BSまんが夜話にくらべれば、文句を言うのが申し訳ない仕上がりでした。その上で思ったことを以下に書きます。

まんがについてのテレビ番組を見たときにいつも違和感を感じます。小説の朗読番組(あんまり見ないけれど)にも感じる違和感かも。紙媒体の作品を映像で見ると、自分の頭の中にある作品とは違って見えるんですね。ネームを思いいれたっぷりにナレーターが読むことのマイナスもこのあたりにあって、マンガを読んだ時に頭の中に響いている声は、読者ひとりひとりで違っているんだろうと思います。映像や音声はイメージを限定するのにひきかえ、紙媒体の作品には想像の余地が大きいんでしょう。(マンガは絵があるので、小説の方が想像力を必要としますが)かなり出来の良い映像と音声でないと、ファンは納得しないかも。ただし、原作より映像化したものを先に見ると、そのイメージに助けられて読みやすい場合もあるので、マイナスばかりがあるわけでもない。まあ、これは別の話。
この三回分の放送でナレーションを一番すんなり聞けたのは『デザイナー』でした。ちょっと面白いくらいでした。次が『ベルばら』全然だと思ったのが『ポーの一族』・・・でも、これは私の思いいれの度合いの順番かも。(言うまでもなく後者のほうが思いいれが深いんです。)

作品紹介も、目に見えるものを紹介するだけでは不十分な感じがする。あらすじをまとめたものには、そのマンガが読者に与えた一番大事なものがすり抜けてしまう。だから、熱心なファンが自分の言葉で語った作品紹介の方が聞きやすい。それが、自分のイメージと違っていても、それは語っている人のフィルターを通して出てきたものだと納得できるから。(そして、その語った人についても、作品の感想を通していろんなことがわかって面白い)NHKがマンガの番組を作って、どうもガラスケースに入れたようなもどかしさを感じるのは、このへんに理由があるんじゃないかと思います。だからいいかげん、そういうものを感じさせない番組を作ってよ!といいたい。今回はかなりいい線まで来たけれど。

今回の番組は「ポーの一族」の長編の三部作以外は、雑誌でリアルタイムに読んでいたので、いろいろ言いたくなるんだろうなあ。リアルタイムで読んで、その作品の前後まで知っていて、この30年間の作者の動向を追ってきたようなその筋の読者と、全然読んだことのない人、少ししか知らない人では、見た感想が違うと思う。この番組を見て、「そうだったのか」と感心したり、本を手にとって読んでみようと思わせる効果があったなら、それはそれで成功なんでしょう。そのへんはどうだったんだろう。

実は、この三人の漫画家の作品は、偶然わたしが、子供たちに読ませたものでした。うちの子供たちは、ひとりはあまり本を読まないタイプ。もうひとりは少しは読むタイプ。でも、昔の私ほどは、本もマンガも読まないみたい。(文庫に通ったり、読み聞かせもしたのになあ。)『ベルサイユのばら』は、まあ、基礎教養だから読んどいて。みたいな感じ。『ポーの一族』は、ママが一番好きなマンガだから読んで。と言って、ハードカバーを渡した。一条さんは『デザイナー』じゃないけれど『プライド』を買って三人で読んでいる。で、結局一番読めたのは『プライド』だった・・・雑誌を立ち読みして続きを追いかけているようだ。『ベルサイユのバラ』はオスカルとアンドレ、という視点で読むには時期が早すぎたか。『ポーの一族』は長くて難しいと言われてしまった・・・(しくしく)そして、私が番組を見ている後ろをうろうろしながら、立ち止まって一緒に見たのは一条さんの回だけだった。実際、私が見ても、一番おもしろかったのは一条さんの回だったと思う。

それは作品の評価とはあんまり関係ない。番組としてみた時に、一番わかりやすかったせいだと思う。作者が作品を書くときのモチベーションがはっきりしていて、『デザイナー』と現在の作品の『プライド』両方に共通のものがあって、しかも人気もある。一条さんの過去と現在と未来がつながっていることを、この番組は表現することができていたと思う。じゃあ、ほかの二人についてはどうだろう。

今回の番組は作品がテーマになっているので、そのへんについて掘り下げなくてもいい、という言い訳ができるしな。池田さんは今何をしてるんだっけ。オペラ歌手?マンガは描いてるのかな?『オルフェウスの窓』のあと、この人は何をしていたのか、私は知らない。『ベルサイユのバラ』という作品が他の媒体に移されて、再生産されているそのあたりを追いかけてもおもしろかったと思うんだけれど。昔、私達が夢中になったあの作品の中の「オスカル」という存在と、現在のファン達の中の「オスカル」は同じなのか?違うのか?あのマンガの経済効果はどんなものなのか、そのへんも知りたい。

萩尾さんについては、もし『ポーの一族』を、思春期の対人関係だの自分の存在についての悩みの反映だのという視点で見るのなら、彼女にとって、そういう問題から抜けた時期はいつか、それはどんなふうに訪れたのか、今はどうなのか、というところまで追ってほしい。内側から外側に向かい合うことができるようになったのはどうしてか。そして、今は何を描いているのか。今現在もすごい作品を発表し続けている萩尾さんの現在の中で、『ポーの一族』は何だったのか?どこにつながっているのか。『ポーの一族』がマンガ全体に与えた影響はどういうものだったのか。

作品と作者の現在と未来まで、視野に入れて番組が作られていたら、もっと面白かっただろうと思う。あ、それと萩尾さんの作品については、映像的に素晴らしいことを、たとえばプロのカメラマンとか映画監督に、作品の一場面を映像化してもらうとかそいうアプローチもあるんじゃないかなあ。(お金かかりすぎ?)それと、大昔、私は萩尾さんの作品のネームを紙に書き取ったことがあるんだけれど、文章としてもすごいということがそれでよくわかった。そういう分析もおもしろいと思うんだよね。    

他の漫画家で、こういう番組を作るのは、どんなもんだろう。きっと難しいと思う。過去、こんな作品がありましたじゃ、一時間もたないと思う。それこそマニアが知っていること以外に話が及ぶことはめったにないだろうし。現在につながっていて、その先を見通せるような題材がやっぱり面白いんだよね。

話がまとまらないけれど(笑)一条さんの姿勢が面白いと思う。少女マンガって、初期の頃ははらはらどきどきの物語が主流だったんだよね。それが妙に難しくなったり、軽くなったり、焦点が定まらなくなってるけれど、いや、いろんな作品があっていいんだけれど、あまり本を読まないうちの子供たちにも、マンガの面白さを伝えてくれてありがとう。という感じ。          

投稿者 SOKE : 2004年04月30日 08:47
コメント
■ Posted by: 茶 : 2004年05月02日 03:04

丁寧に作られたマトモな番組でほっとしたのが正直な気持ちです。漫画家に対する姿勢が少し変わって来たのかしら‥内容的にはほとんどこっちはもう知ってることの「復習」になってましたね(^^;
表紙のデザインをする人とか、編集者の談話や再現シーンが新しかったかな。
何も知らない人が見てどう思うのかは全く未知数ですが‥ちょっとプロジェクトXみたいな成功物語なのかしら?
お子さんたちに読ませたのって、偶然じゃないと思いますよ。確かにザ・少女漫画って感じのお三方ですもの〜。この揃い踏みは‥
小学生にはちょっと早かったのでは‥?という気がしないでもない。学年一漫画好きって子でもないと(^^;当時は小中学生向けという建て前でしたが、大ヒットを支えたのはぜったい小学生じゃなかった〜。
一条さんはこの番組の作り方に一番合っていたような気が私もしますね。今の連載が好評で、自伝的エッセイも描いてそうたってないというタイミングとパワフルさが牽引力になっていたみたい。ほとんどの漫画家が年齢層の高い雑誌にうつった後も「有閑倶楽部」で週間マーガレットの人気作家だったっていう時点でも立派なもんでしたけどね。「デザイナー」の絵が古くなっていないのには今さら驚嘆しました。華やかな絵の人は最近でも意外と少ないし。最近のは漫画読みでなくとも一般性のある面白さなのよ。一番デビュー早いのにいやはや若いわ。

萩尾さんは感性が全然違う気がするので、どんな番組作りになるのかという期待と不安がありました。
「この作品が降りて来てくれて嬉しかった。描いている間幸せだった」という言葉が聞けたのはファンとして嬉しいことでした。
独特な絵の魅力というのは私自身、上手く言葉に出来ない所です。
他の作品についても語った方が個性を掘り下げることにはなるけど、まとまらなくなる危険もありますよね〜。分析だけじゃダメなのよね‥と思う(^^;

池田さんは一身上の体験で愛を描けなくなったと言い出すまではかなりコンスタントに漫画描いていましたよ。その後すっかり立ち直り、今はオペラ歌手だったり‥何度かの結婚とかいうことよりもベルばらに話を集中させた方が肝心かと‥
いやベルばらは社会現象として歴史に残るほどのものですからね〜。当時ネームを暗記するほど大ファンだったのはいうまでもありません!(^^)

■ Posted by: soke : 2004年05月02日 05:52

茶香さんが朗読(笑)されていた頃、私は姉の友人の同人誌をやってる人からトーマの切抜きを借りて読んでいました。あと数年早く生まれていたら、もう少し関わり方が違っていたかもしれないと思うと、ちょっと残念・・・でも14歳でポーが読めたことはラッキーだったのかもしれません。うちの娘たちも、もう少しあとに楽しめるようになるかしら。そういえば、24年組にはまる前は、私も一条ゆかりさんが大好きだったんでした。やっぱり読みこなす順番があるのかなあ?

当時の読者が作品の中に何を見ていたのか、ということを再現することはとても難しいのかもしれません。我が家では今、松田聖子だけじゃなくて、洋楽なんかも70〜80年代のベストヒット集とかを聞いてるんですが、私たちがそれを聞いて思うことと、初めて聞く子供たちでは感じるものが違うんだろうなあ。でも、「キラー・クイーン」がCMで流れた時に、思わずミミをそばだててしまう、そんな気持ちは共通かも。(あの曲好きなんですよ)

普遍的によいもの、古典として残って行くものみたいな作品ってあるんでしょうね。懐かしく思う気持ちも大事にしたいし。なんか、そのへんを両方記録したい、してほしいという気持ちがあります。

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