もっと細かい感想を思いつくまま書いてみます。
下のから読んでね。どちらもネタばれ全開。
プロローグはゴラムがいかにしてゴラムになったかという回想シーン。
アクシデントにより落ち着いて見られなかったが、かなり丁寧な描写のように思った。
映画全体を見て思ったのは、『王の帰還』は原作のテーマを明確にするために
大胆にいろんなエピソードをカットしたのだろうということだ。
そしてゴラムとフロドとサムを中心にすえた。
指輪を捨てる。しかす捨てることは難しい。なぜなら指輪は持つものを誘惑するから。
指輪を簡単に葬ることのできるヒーローはいない。
冒頭のシーンはそういう話の伏線的な役割だろう。
そして始まった物語はたたみかけるように心に迫るシーンの連続だ。
アイゼンガルドでの再会をちゃんと残してくれてありがとう。
馳夫さんがパイプをふかす場面はなかったけれど、
サルマン様の最期をはしょってしまったのは悲しいが、
パランティアの場面は迫力十分だ。トゥックのばか息子がヘマをしでかして
そしてガン爺と彼方へ走り去る。ピピンとメリーの短い別れ。
ここでぐっときた。ドムビリはいいなあ!
ピピンはわかっていないがメリーはわかっている。別れの意味を。
そして砦を駆け上るメリーのあとを馳夫さんが追いかける。
旅の仲間のつながりを感じさせる場面だった。
エルフ達が西に向かう。途中でアルウェンは幻影を見る。
その場面がものすごく美しい。
王様が子供を抱えあげる。ヴィゴの全開の笑顔。
まだ生まれていないふたりの子供。
こんな場面は原作にはない。
アルウェンが三本の映画を通して
一番アルウェンらしく見えた。きれいだった。
そして舞台はローハンに移る。
アラゴルンとエオウィンの描き方は
前回もそうだったが、どうも中途半端だ。
どう考えてもアラゴルンにも気持ちがあるような
アイコンタクトのシーンが多すぎる。
そんなんで「幻影」なんて言っても、説得力ないよ。
そのへんは原作既読者は脳内補完して映画を見る。
原作のエオウィンと、ミランダの違いは、ミランダが血肉を持った
暖かい女の子を表現してしまったことだろう。
彼女のアラゴルンへの気持ちは、自己実現へのあこがれではなくて
本当に恋しているかのようだ。だからアラゴルンがバカみたいに見えちゃうよ。
私がヴィゴのファンであることは周知の事実ですが
三作目の王様はどう贔屓目に見ても、情けないやつでした。
優男。肝心なときに現場にいない。他人の(幽霊の)力で戦ってる。
いっつも勝てそうもない軍隊の中に一番最初に切り込んでいくヤツ。
絶対命がいくつあっても足りないぞ。
男ならアルウェンじゃなくてエオウィンを選ぶべきだろー!見る目のないやつ。
戴冠式で真剣にキスするなよ〜などなど。
でもヴィゴは好きなんです。ほんとに素敵です。私はヴィゴが大好きです。
でもPJは王様さえサイドストーリーにしてしまった。すごい。
王様の歌はスマップの紅白を見るかのようにどきどきものでしたが
なんとかかんとか様になっていたのでほっとした。
黒門の前で演説するシーンより
「フロドのために」とぼそっと言うところに萌えました。
めちゃくちゃ格好よかったのはセオデン王とガン爺だな。
セオデン王が騎馬軍団の前で号令をかけるシーンがものすごくいい。
あそこで「死だ」と叫ぶのはどういう意味なのか
原作を読んだ時から実はよくわからない。
死を恐れないという意味か。敵に死をという意味か。
暗くて熱いシーンですけれど。
エオウィンとセオデンの別れは原作にはない場面ですが、
これはあっても全く違和感がありませんでした。
「私は男じゃない」と言って魔王を刺すシーンでは
実はひそかに笑いが起きちゃったんですけれど
エオウィンは強かったです。
ガン爺は白い衣装を汚しもせず、ひとりであちこち走りまわっていました。
デネソールを杖でばしばしたたいていました。
寝ているときに目があいているのは、レゴラスと同じでしょうか。
ちょっとこわい(笑)ピピンに死後の世界について語るところは
またしてもよい場面を持って行ったなあ、という感じでした。
出番は少なかったけれど、デネソールもよかった。
食べ物の食べ方の汚さに、彼が堕落していることが現われているようでした。
食事のシーンのピピンの歌を聞いたら泣けた。
姪っ子はあのシーンが一番よかったと言っていた。
ファラミアはかわいそうな子供の役回りだった。
もう完全に私の頭の中には某ジンさん仕様のファラミア像ができあがっているので
しかも映画のファラミアがぴったりそこにあてはまってしまうので、
いろんなよけいなことを考えて楽しかった。
ファラミアとデネソールとボロミアとソロンギル。
それだけで一本の映画になるくらいだ。
このキャスティングでやってくれないかな。
ジンさんの作品で読めるからいいけれど。
レゴラスとギムリは出番どころか、セリフも少なかった。
ちょっともったいなかったね。でも仲良しなシーンがあってよかった。
「友達の隣なら?」っていうのもいいね。
意外と蜘蛛の場面がはしょってあってほっとしました。
サムがまた演説なんか始めたらどうしようかと思いましたが
そういうこともなく、サムさえもサイドに回したところに
脚本のバランス感覚のよさを感じました。
原作を読んでからだいぶ時間がたっているので、サムとフロドとゴラムの
関係がどんなだったかよく覚えていないんですが、
あんなふうにゴラムのせいでぎくしゃくしていたっけ。
そのへんの描写が少し浅いような気がしたけれど、
滅びの亀裂に近くなってからと、その場面と、脱出の場面には
言うことがありません。サムかっこいいよ。
私はエピローグの場面よりも流れる溶岩を見ながら
フロドがサムに「この最後のときにおまえがいてくれてよかった」
というシーンが好きです。この場面で終わってもいいくらいです。
でもそういう瞬間は続かないんですね。
だからこそ美しいんですけれどね。
グワイヒアが飛んできたところで、おお!グワさん、かっこいい!!
と思ったのはおそらく私だけではないでしょう(笑)
PJは思う存分戦いの場面を描いていました。
じゅうがあんなにたくさんやってくるなんてすごい。
それがローハンの騎士を踏み潰すんですから、まともに見られなかったんだけれど
トロルもオークも獣の頭の形の城門を打ち破った武器もどれもこれも素晴らしい。
殺された兵士の頭部を砲弾がわりに場内に打ち込むシーンも
やや控えめに写っていました。
ナズグルが乗っている翼竜のなめらかな動き。
絶望的な戦いの暗さは現れていたでしょうか。
技術を駆使したこういうシーンを素晴らしいと思いつつも
どこか軽さを感じていました。幽霊の軍隊も、オークの軍隊も原作の中にあります。
想像力を最大限広げて映像化された場面です。
足りないのは、かけがえのない命が戦争によって消えてしまうことの
重さの実感かもしれないと思いました。
トールキンは恐らく自分の体験からそれを知っていました。
だから原作からは言いようのない暗さと重さが私たちに伝わります。
PJの映画にはその重さはない。それは仕方のないことだけれど。
だからアラゴルンの言葉が、都合のよいプロパガンダに使われてしまう
可能性を持っています。
ヴィゴが警戒しているのはいつもそのことだろうと思います。
それにしても何故?と私は振り出しにもどってしまう。
何故フロドがいつまでも苦しまなければいけないのか。
彼がいったい何をしたというんでしょう。
西の彼方の国は彼に救いを与えてくれるのかしら。
ホビット庄の風景が美しければ美しいほど、
フロドが故郷を去らなければならない理由が
理不尽に思えてなりません。
そして今日も映画を見ながら『残神』のジェルミのことを
思い出していました。
この世の中の理不尽なことを一人に背負わせるということに
どうしても納得がいかなくて。
そうしてもう一度『旅の仲間』の最初の場面を見たときに
「何故?」という疑問はもっと強くなるだろうと思います。
そして考え続けるんでしょう。
ところで、映画の最後のクレジットの背景は
アラン・リーによる出演者の似顔絵でしたね?
いいね。あれ。
主要なキャストの最後に
and Boromir って出るのよ。ボロミア。大トリ(笑)
映画三本を並べてみた時に、一番おいしい役だったのは
実はボロミアだったのではないでしょうか?